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(9)

 アロイスとロランに両脇を抱えられるようにして拘束されているアダラールも、ほっとしたような顔をしていた。

 ヴィルジールは彼らの前に立ち、兄を見下ろす。


「アダラール……いや、チェスラフ。今、お前を拘束している二人が誰だか分かるか」


 事件について尋問されると思っていたアダラールは怪訝な顔をしながらも、少し考えて答える。


「面識はなかったが一人は知っている。アロイスと言ったか、ダルコ子爵令息なのだろう? だが、少年の方は知らない」

「彼らも生まれ変わりなんだよ。アロイスはラウル、もう一人はエドモンだ。知っているだろう?」

「……えっ」


 絶句したアダラールは、左右の二人の顔を代わる代わる見た。


 もちろん二人ともチェスラフの記憶とは全く違う。

 ラウルだと言われた男は背が高く細身だし、エドモンは小柄でまだ十代半ばぐらいの少年に見える。

 しかし、昔と変わらないのは、二人とも魔王の討伐を目指す正義の側にいるということだ。

 アダラールがベレニスの生まれ変わりだと思い込んでいる弟も、彼らと同じ側にいる。


「そうか……。私一人だけが反対側に行ってしまったのだな」

「見損なったぞ、チェスラフ」


 かつての仲間だったエドモン——ロランの辛辣な言葉が、アダラールの胸をえぐった。


「頼む。私をその名で呼ばないでくれ。彼は……君たちの仲間のチェスラフは、本当に聖者の名に相応しい男だったのに、私が彼の名を汚してしまった。本当に、すまない。魔力が乏しい私は、魔術を自在に操る彼が妬ましかった。いつも記憶の中の彼に見下されているような気がしていた。私は、彼のような魔力が欲しかったのだ」


 聖者の記憶がなければ、彼は少ない魔力を努力で補い、王としての道を堅実に歩んだだろう。

 優秀すぎる魔導士であった『彼』と自分とを比較して劣等感に苛まれることも、『死の森』の秘密を利用しようと考えることもなかったはずだ。


 記憶に負けた王太子のことを一方的に責める気にはなれない。

 彼もまた、過去の記憶に翻弄された一人だったのだから——。


 苦い思いで、三人と偽りのベレニスのやり取りを見ていたマルティーヌは、ここにいたかもしれないもう一人の仲間の存在を思い出す。


「ああっ! 聖女様が!」


 はっとなって叫ぶと、ロランも「そうだ、早く行かないと!」と、すぐさま反応した。


「セレス。聖女様が何者かに襲われて瀕死の容体なんだ。彼女を助けてほしい」


 マルティーヌはセレスタンに訴えた後、ちらりとアダラールを見た。


 聖女に危害を加えたのも、きっと彼だ。


 しかし、視線の意味を察したアダラールは「ち、違う。私ではない」を首を横に振った。


「聖女には椅子の封印を依頼していたのだ。彼女は聖女としての使命感で、我々に協力してくれた」

「だったら、なぜ彼女を害したんだ」

「椅子の能力を最大限に引き出すために、封印が邪魔になったんだ。しかし、聖女は封印の解除を拒んだ。だから、フィリベールが彼女を刺して、強引に封印を解いた。しかし……そうだな、それも私の責任だ。私が彼女を殺したようなものだ」

「彼女はまだ死んでないっ! 死ぬもんか!」


 マルティーヌは怒りに任せて、俯くアダラールの胸ぐらを掴んだ。


「知らなかっただろうが、聖女さまは、アンナの生まれ変わりだったんだっ! それをお前は!」

「えっ! 聖女が、アン……ナ……?」


 アダラールの隣でアロイスも「まさか……」と呟いた。


「そうだ。彼女は、お前がチェスラフだと気づいていた。そして、自分が死の淵にあるのにチェスラフを救ってほしいと、そう俺に懇願したんだ!」


 アダラールが邪な力を手に入れようとしていることに、聖女が気づいていたかどうかまでは分からない。

 けれど彼女は信じていたのだ。


 彼を。

 チェスラフを。


「う……そだ。そんな……こと……」


 アダラールの口元が歪み、緑の双眸がみるみる潤んでくる。


 四百年前、ベレニスとチェスラフは、瀕死の彼女を救えなかった無念と深い悲しみを共有した。

 その彼女を、間接的とはいえ殺そうとしたのだ。


「ああ……私は、何ということを……」

「お前は彼女を利用するだけ利用して、見捨てたんだ! 王太子だろうと魔王だろうと、例えチェスラフの生まれ変わりだろうと、俺はお前を許さないっ!」


 マルティーヌは拳を固く握ると、アダラールの頬を殴りつけた。

 鈍い音が響き、彼の体は拘束されていた腕から外れて後方に吹っ飛んだ。


「あっ!」


 周囲から驚きの声が上がった。


 手加減をしたから気を失ってはいないが、王太子の唇は切れ、歯も数本折れたようだ。

 彼は床に小さくうずくまると、殴られた頬よりも胸の痛みに耐えきれず、嗚咽を漏らし始めた。


「セレス、すぐに俺と来てくれ! 今、ジルが対処してくれているはずなんだ。早く行かないと間に合わない」

「分かった。あの男が刺したって言ってたよな。どれくらいの怪我なんだ。ジルの術じゃ心許ないだろう」


 セレスタンが何かを気にしているのか、周囲をきょろきょろと見回しながら近づいてくる。

 他の男たちも、困惑したような様子を見せている。


「だって、セレスはここで戦闘中だったから、ジルしか動ける魔術師がいなかったんだよ! 彼女は腹を刺されていて、このままじゃ危ないってジョエルが言ってた。だから、すぐに行ってあげなくちゃ。こっちだ!」


 マルティーヌが兄を先導しようとすると、その腕をがしりと掴む者がいた。


「なんだよ! 今、急いでるんだ!」


 噛み付くように言って振り返り、ぎょっとなる。

 腕を掴んでいたのは——。


「サーヴァで……んか?」


 しまった。

 彼の存在をすっかり忘れてた……。


「どこへ行く。逃さんぞ、マルティーヌ嬢……いや、マルクと呼んだ方が良いか」

「う……わ」


 サーヴァにもう一つの名で呼ばれ、気が遠くなりそうになった。


 彼がそう思うのは当然だ。

 マルティーヌ嬢は病弱のはずなのに、鮫の魔獣を倒す主力となり、強大な魔力を持つ椅子を破壊し、王太子を殴り飛ばした。

 言葉遣いも騎士団の男たちと同じように荒っぽい。

 サーヴァはその言動を全て見ていたのだ。

 マルクと面識のある彼は、当然、同一人物だと考える。


 なんとか誤魔化せないかな。


 マルティーヌは無駄な足掻きを試みる。


「あの……っ。向こうで聖女様が大怪我をなさっているのです。ですから、わたくしが助けに行かなければ……」


 両方の掌を口元で合わせ、小首を傾げて上目遣いで訴える。


「今さら上品ぶっても、もう遅い。お前は間違いなくマルクだ!」

「嫌ですわ。彼はわたくしの従兄弟ですのに」


 こんな所でもたもたしていたら、聖女——アンナは助からない。

 今すぐ彼女の元に行きたいのに、彼は放してくれそうにない。


 困っていると、ロランが脇をすり抜けていった。


「俺がセレスを聖女のところに連れて行くから、お前はここに残れ」


 ロランの後を追うセレスタンが、追い抜きざまに肩にぽんと手を置いた。

 彼はちらりと、気の毒な者を見るような目をこちらに向けた。


「聖女のことは心配しなくていい。マティは……まぁ、頑張れ」

「えっ! 待って、セレスお兄さま。頑張れって何? 俺も……じゃなくて、わたくしも一緒に行きますわ!」


 慌てて二人について行こうとしたものの、掴まれていた腕はやはり放してもらえなかった。


「だめだ。マルクはここにいろ」

「ですからっ! わたくしはマルクなんかじゃ……」

「じゃあ、その髪はなんだ」

「えっ? 髪……?」


 とっさに、自由になる方の手で自分の頭に触れた。


 この夜は母親のお気に入りの、ゆるやかに巻かれた金の髪であったはず。

 しかし、妙にボリュームがなかった。

 後頭部に手を滑らせると、掌をざらりと刺激する独特の心地よい感触。


「あーっ! いつの間にっ!」


 セレスタンや他の男たちが見せた奇妙な反応はこのせいだった。

 金色の豊かな髪はどこかへ行ってしまい、うなじをすっきりと刈り上げた少年のような短髪になっていたのだ。


「王太子を殴る直前までは長い髪だったのだがな。もう、言い逃れはできまい」


 サーヴァがにやりと笑った。

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