(7)
「くそっ! 早く王冠を拾え!」
フィリベールとジェラルドが、慌てて禍々しい魔道具の行方を追っていく。
銀の輪は床や壁で跳ねた後、ころころと転がり離れていく。
「今だ! 奴らを捕えろ!」
団長の叫び声を聞くまでもなく、全員が一斉に動いた。
男たちは自然と三手に分かれた。
マルティーヌとヴィルジール、ロランは魔王の椅子に座するアダラールめがけて突っ込んでいく。
わずかに遅れて、長剣に持ち替えたアロイスとセレスタンも追随した。
「マティ! 何か仕込まれているかもしれない。気をつけろ!」
「分かってる!」
マルティーヌが誰よりも早く壇上に到着した。
何かが起きる気配はない。
まず、アダラールの頭に被せられていた二本の輪を外して、遠くに放り投げる。
そして、王太子の腹部を拘束していた鎖を力任せに引きちぎった。
「兄上! 大丈夫か」
次に到着したヴィルジールが、アダラールの手を拘束していた鎖を解こうと手を伸ばす。
その指先が、石の椅子の肘掛けに軽く触れた。
「えっ」
ぴりりと指先から入り込んできた背筋が凍る感触。
「まずいっ!」
ヴィルジールは弾かれたように手を離し、慌てて椅子から距離を取った。
突然、世界が大きく歪んでしまったかのような感覚に襲われる。
同時に王太子が座っていた石の椅子が、がたがたと音を立てて振動を始めた。
「なんだ!」
「うわあっ!」
王冠の回収に走るフィリベールとジェラルド、そして彼らの拘束に向かった男たちも、大きな異変を感じて振り返った。
「う……あ……っ」
ヴィルジールが両手で胸を押さえると、その場にがくりと膝をついた。
「まずい! ヴィルの体に大きな魔力が集まってきている」
セレスタンの目に、禍々しい魔力が渦を巻きながらヴィルジールに流れ込む様が見えた。
「どういうことっ? 何が起きてるんだよ、セレス!」
「この椅子から、大量の魔力が彼に流れ込んでいるんだ」
それは、ヴィルジールには覚えのある感覚だった。
しかし、四百年前の魔王の記憶では、数十日かけて魔力がじわじわと充填されていた。
これほどまでに大量の魔力を、急速に流し込まれた経験はなかった。
ヴィルジールが内側に膨れ上がる力に喘ぐ。
「は……こ、れは、あの……魔王の記憶と、同じ……。このままでは、すぐに穴が開……く……」
石の椅子の振動は止まらない。
かつての魔王との再会に、歓喜に震えているようだ。
ああ、やはり俺はこの時代でも魔王だったのか。
これまで、目の前から魔獣が逃げることはなかった。
罪滅ぼしのように数多くの魔獣と戦った。
だから、自分は魔王の生まれ変わりであったとしても、魔王ではないと信じていた。
信じたかった。
しかし、今起きている現象は、今の世でも魔王である証拠。
石の椅子はアダラールの次に、自分を魔王に選んだのだ。
「く……そっ! やはり……俺……は……」
自分の身の内に膨れ上がる魔力に必死に耐えながらも、ヴィルジールは絶望した。
「俺を……殺せ」
「そんなこと、できるはずないだろ!」
「それ……しか、俺を止め……る、手は……」
「ダメだ! 諦めるな。セレス、どうにかならないの?」
マルティーヌがセレスタンにすがりつくが彼は悔しげに唇を噛んだ。
「これは……無理だ。僕の手には負えない」
セレスタンが悔しげに唇を噛む。
今の状況は、王太子の頭に三つの輪が追加されるよりも、さらに悪い。
強い魔術を行使すれば、悪い影響が出る可能性の方が遥かに高いのだ。
ヴィルジールが言うように、彼を殺せば事態は収まるかもしれない。
しかし、四百年前、この椅子は少年の死体を利用していたのだ。
「最悪、彼を殺しても止まらないかもしれない」
「じゃあ、俺がヴィルの魔力のバランスを壊せばなんとかなる?」
マルティーヌが右の掌を開いて見せた。
ヴィルジールを昏倒させれば、なんとかなるのではないかと考える。
「いや、だめだ。この魔力は彼の体を入れ物にして、ただ溜まっているだけなんだ。最初からバランスもくそもない」
「それなら、逆に魔力を整えたらどうなる?」
「えっ——?」
マルティーヌの予想外の発想に、魔術師は言葉に詰まった。
その困惑した顔は「いけるかも?」という僅かな可能性を感じさせた。
考える暇はない。
マルティーヌは落ちていたヴィルジールの長剣を拾い上げた。
「さあ、これを構えて。魔王の椅子を叩っ斬ろう!」
「あ……あぁ」
差し出された剣はヴィルジールにとって唯一の希望。
彼は震える手で愛剣を受け取ると、両手で握った。
しかし、構えるどころか持っているだけで精一杯だ。
マルティーヌは彼の手に手を重ねて一緒に剣を握った。
うっ……。
これは、やばい!
重ねた手から伝わってくる、想像以上の暴力的で狂気じみた魔力。
少しでも気を抜けば、自分の魔力まで取り込まれてしまいそうな強力な力が、彼の内部に渦巻いていた。
それでも、平然とした顔を作り、声を張り上げ、彼と自分自身を鼓舞する。
「しっかりしろ! 俺が支える!」
「……くっ!」
この凄まじい魔力を、俺がどうにかできるのか?
……でも、やるしかない。
やってみせる!
彼に触れた手から自分の魔力を流し込み、彼の中の荒ぶる魔力の統率を試みる。
「堪えろ、ヴィル!」
椅子の魔力が絶え間なく流れ込む上に、マルティーヌの魔力を追加するのだから、ヴィルジールの負担は大きい。
失敗すれば、彼の体が耐えられなくなり内側から引き裂かれるか、マルティーヌの魔力まで巻き込んで、想像もつかないような恐ろしい魔獣を召喚するかのどちらかだろう。
「う……ぐ、うぅぅぅっ」
どれほどの苦痛に耐えているのか、ヴィルジールの肩がこわばり、がたがた震えている。
限界がすぐそこまで来ていた。
「くそっ! さっさと、俺に従え!」
これ以上は、彼が耐えられない。
早くっ!
もうこれで最後だと覚悟を決めて、魔力を上乗せする。
すると、無秩序に暴れていた魔力の一部がマルティーヌの意思に従い、握りしめている剣へとすっと流れた。
あ……いける!
小さな流れは周囲の魔力を巻き込んで本流となり、やがて、すべての魔力が彼女の支配下となる。
「う……うぅっ……」
「ヴィル。あと少しだ、耐えろ!」
魔力の大部分を、構えた剣に移動させて剣自体を強化する。
そして、残りの魔力をヴィルジールの肉体の強化に割り当てることによって、椅子から流れ込む魔力を遮断した。
禍々しい魔力は行き場を失い、椅子の周囲に渦を巻いた。
「う…………はっ!」
「おっと!」
彼の身体から力が抜け床に崩れ落ちそうになったところを、マルティーヌがしっかりと支えた。
「うおぉぉぉっ! すげえ!」
「さすが、マティ! よくやった!」
目に見える変化に、周囲から歓声が上がった。
「どう? 立てそうか?」
「ああ。体が楽になったどころか、力がみなぎる感じだ。今ならマルクでも倒せそうだよ」
ヴィルジールが冗談めかしながら、ゆっくりと立ち上がった。
マルティーヌも「確かに今のヴィルは無敵だな」と同時に立ち上がる。
「よし、やるぞ」
二人は剣を構えたまま、石の椅子の後ろに回り込んだ。
ロランとアロイスはアダラールの両手の戒めを解き、彼の両脇を抱えるようにして椅子から移動させた。
「や、やめろ! それは我のものだ! 壊さないでくれ」
オリヴィエに後ろ手に捕えられたフィリベールが叫ぶ。
魔力の高いジェラルドは、遅れて到着した魔術師とバスチアンの二人がかりで拘束されていた。
もう勝ち目はないと観念したのか、うなだれている。
マルティーヌとヴィルジールは椅子の背もたれに剣を乗せた。




