(2)
マルティーヌが右手にレースの手袋をはめながら、「今思えば、ヴィルジール殿下は強かったね」と笑う。
ヴィルジールの隊との合同訓練の最終日、マルクは素手の人差指一本で触れることにより、ヴィルジールの体内魔力を破壊した。
彼はマルクが言い放った「最低十秒、耐えろ」の言葉を数秒超えて耐えた後、高熱の症状を現して昏倒した。
今そこに転がっている衛兵たちには少し手加減をしたのだが、彼らは一秒も耐えられなかった。
重病人のような真っ赤な顔で床に転がっている。
「まさしく瞬殺ですね。恐ろしい」
「物騒な言い方はやめてよ。殺してはいないんだから。回復までに何日もかかるだろうけど。さてと……。塔は左手にあるって言ってたよね」
マルティーヌが左側に伸びる通路を覗きこみながら言う。
「はい。でも、城の中から直接は行けません。一旦外に出ないと……」
「外かぁ。ちょっと嫌な予感がするけどな」
大聖堂に入る前、この同じ場所で、外を駆け抜ける黒魔狼の魔力を感じ取った。
おそらく、城の外周には多くの魔獣がうろうろしているだろう。
人間相手ならいざ知らず、丸腰で魔獣とは戦いたくない。
「さすがに、これが必要になるよね」
マルティーヌは、倒れた衛兵の一人の腰から、ベルトごと長剣を外した。
相手が細身の男だから、ベルトをめいいっぱい締めることで、なんとか帯剣できそうだ。
「あれ?」
手慣れた様子で剣を腰から下げると、革で作られた鞘がするりとドレスの膨らみの内側に入り込んでしまった。
柄頭は出ているものの、鞘に収められた剣身は外からは全く見えない。
「えええ? どうなっているの、これ」
マルティーヌが手で探ってみると、一枚だと思っていたスカート部分の布は二枚重ねになっていた。
剣を腰に下げればその重みで布の間に滑り込んでしまう。
しかも、スカートが適度に膨らんでいるから、剣先が突き出して見えることもない。
上品なドレスの腰に巻かれた無骨な革のベルトは不釣り合いだが、ドレスの裾を少し持ち上げて歩けば、ほとんど見えなくなるだろう。
「ヴィルジール殿下の特注品なんですよ、そのドレス」
「特注品なのは分かるけど、こんな細工がしてあったの?」
「普通のドレスより、足さばきも良いはずです」
「言われてみれば……」
ヴィルジールが自己満足のために揃いで作ったふざけたドレスだと思っていたけど、動きやすさを考え、長剣を下げることまで想定したなんて。
なんとなく彼に守られているようで、不思議な気分。
マルティーヌは首を左右に振って、奇妙な感覚を振り払う。
「よしっ。じゃあ、行こう。道案内して!」
「こちらです。ちょっと遠回りしないとならないですが」
ジョエルの先導で二人は城の中を移動する。
途中で出くわした騎士や兵士らは、クーデターの話を知らない様子だ。
ただ、ジョエルが令嬢を連れて歩いていることを不審がられたり、避難を勧められたりして面倒だったため、マルティーヌが素手の指先で次々と倒していった。
「これでは、原因不明の疫病が城内で流行っていると噂になりそうですね」
ジョエルが苦笑しながら「ここです」と通路の端にある一枚の扉の前に立った。
どうやら、使用人や出入りの商人たちが食材などを運び込む裏口らしい。
ちょうど通路の反対側には厨房があった。
本来なら、舞踏会に供される料理の準備で戦場のように忙しいはずのその場所は、誰一人おらず静まり返っている。
かなり慌てて避難したらしく、床には割れた食器や野菜が散らばっていた。
「外に魔獣はいる?」
「すぐ近くにはいませんが、ここから塔までの間に黒魔狼が十数頭は……います」
ジョエルは途中で言葉を切って、顔をしかめた。
そして「双頭熊はいません」と付け加えた。
「分かった。もう、出よう」
マルティーヌは剣を抜くと、ゆっくりと扉を開いた。
頬を打つ冬の冷たい風に、血と獣の臭いが微かに混ざっていた。
城の窓から漏れる明かりが少し見えるだけで、外はほぼ真っ暗だ。
二人とも暗視術が使えるが、視力だけでは闇に紛れた漆黒の魔獣の姿を捉えることは難しい。
マルティーヌは神経を研ぎ澄ませて周囲の魔獣の魔力を探り、ジョエルは標的視術を駆使して注意深く獣の姿を探す。
「塔は左にまっすぐ行った先です。反対方向のずっと先には庭園があるので、そちらから魔獣が逃れてくるかもしれません」
説明しながら、ジョエルも剣を抜いた。
「塔まで走るぞ! ついてこい!」
もう令嬢ぶる必要はない。
鬱憤が溜まっていたマルティーヌは、騎士団副団長の顔で指示を出すと駆け出した。
まだ体調が万全でないジョエルは、身体強化を使って必死についていく。
「左前方の木陰に一体! ——来ます!」
「はああっ!」
マルティーヌは走る速度を落とすことなく、闇から飛びかかってきた黒魔狼を斬り伏せた。
獣は悲鳴をあげることなく真っ二つとなって、飛び出した勢いのまま、後方へと飛んでいった。
さらに二頭を倒した後、マルティーヌはぎくりと足を止めた。




