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 マルティーヌは大聖堂の長椅子の上にお行儀悪く上がると、あたりをぐるりと見回した。


「うっわ……。壮観だねぇ」


 足元には、さっき乱暴に腕を掴んだ男が、椅子に半分体を預けた状態で白目をむいていた。

 王太子の親衛隊長だという男は、椅子の間に挟まるようにうつ伏せで伸びている。

 残りの三人も似たような状態だった。


 少し離れた聖者像付近には、着飾った貴族と修道服姿の人たちが折り重なるように倒れている。

 かすかなうめき声が聞こえたり、体を震わせる者が何人か見えるが、おそらく魔力耐性が高い者だろう。

 そんな彼らでも、今、何が起こったのかは理解できていないはずだ。


「ざまみろ」


 マルティーヌはヒールで長椅子をかつんと蹴って悪態をつきながら、もう一度足元に目を落とす。

 そして、椅子の隙間で膝を抱え、背中を丸めて座り込むジョエルの姿に気づいた。


「あっ、ジョエル。大丈夫?」


 慌てて椅子を降りると彼の体を支える。


「……う…………。うぷっ」

「どうしたんだよ? もしかして、合言葉を忘れてた?」


 マルティーヌはネックレスの大粒のエメラルドをつまみ上げて見せた。

 その宝石には、セレスタンの手によって、ラヴェラルタ騎士団副団長の隊服の第二ボタンと同じ機能が付与されていた。


 マルティーヌは規格外の魔力を持ちながらも、それを体外に放出することができない体質のため、攻撃術や治癒術は一切使えない。

 しかし、剣などの他の物体に魔力を通して強化することは可能だ。

 マルティーヌの指先で光る宝石には、強化のために注がれた魔力を外へと素通りさせる機能がつけられていた。

 しかも、ただでさえ大きな魔力を、大幅に増幅して放出する。


 放出された魔力はマルティーヌを中心に爆発が起きたように広がり、膨大な魔力を無防備に浴びた者は一時的に身体の機能が麻痺し、多くは失神する。

 魔力が届く範囲にいるすべての人々が被害を被る、いわば無差別攻撃だ。

 不用意に使えば、仲間まで巻き添えにしかねない。


「俺、ちゃんと助けてって叫んだよね?」


 マルティーヌが念を押すように確認する。

 彼女が絶対使うことのない「助けて」という言葉は、魔力を放出することを仲間に知らせる合言葉だった。


「わ……忘れてま……せんよ。だ、から……気を失っていない、で、しょ……う……?」

「あ、そっか。そうだね。いちばん近い場所にいたのに意識があるもんね」


 ジョエルは叫び声を聞くと同時に、全力で防御術を行使した。

 しかし、彼がいた場所はマルティーヌに近過ぎた。

 そして、放出された魔力が強力すぎた。


「もぅ……。やりすぎな……んです、よ」


 ジョエルは震える手で体を支え、やっとのことで椅子によじ登った。

 背中を低い背もたれに預け、右手で口を押さえて吐き気に堪える。


 彼は、初めてマルクに会った日に、全く無防備で至近距離から同じ魔力をくらった経験がある。

 今回は、その時とは比べものにならないほど強烈だったため、防御術を使ったにも関わらず、かなりのダメージを受けていた。


「悪かったよ。だけど、すっごく腹が立ったんだもん。それに、周りが聖結界に囲まれているせいで魔力の逃げ場がなかったから、より効果が高まったんだと思う」

「……なるほど。しかし……きっつい」

「ごめんって」


 さっきまで向こうから聞こえていた微かな呻き声も聞こえなくなった。

 この場所には大勢の人がいるにも関わらず、全く人の気配を感じない。

 こちらを見る目も、そばだてる耳もない。


「なぁ。さっきのこいつらの話、どう思う?」


 マルティーヌは椅子の上に両足を上げて座ると、エメラルドグリーンの豪華なドレスの裾を膝と一緒に抱え込んだ。


「どう……とは? 単純に、貴女を捕らえるため……の、嘘……でしょう?」


 ジョエルが息も絶え絶えに答える。


「うん。でも、あっちにいる貴族たちも話を聞いていたんだから、現実にしなきゃならない。だけど、リーヴィたちを捕らえるなんて、どう考えたって不可能だろう?」

「いや。貴女さえ手に入れば、どうとでも……なったのでは?」

「あー、そうかぁ。俺が本当に病弱令嬢ならそうなるのか……」


 自分が人間に捕まるなんてことは全く想像できないが、普通の令嬢なら病弱でなくても、五人もの屈強な男に囲まれればあっさり捕まってしまうだろう。


 彼らが武装していたのは、腕の立つジョエルが一緒にいたからだ。

 標的であるマルティーヌに対しては、何の警戒も抱いていなかった。


「ラヴェラルタがクーデターを起こしたことにするのなら、一緒に戦っているヴィルジール殿下も同じ罪に問われるよね?」


 マルティーヌの疑問に、ジョエルは深いため息をつきながら「おそらく」と頷く。


 魔獣と戦う力を持たない王国の騎士や兵士は、庭園からはほとんど撤退していたはずだ。

 そこで何が起きていても目撃者はいない。

 いたとしても、いくらでも口を封じることができる。


「でも、一緒にいるサーヴァ殿下は真実を知ってるんだ。さすがに、大国の皇子を黙らせることなんて……」


 そこまで考えてはっとした。


「ああっ! ルフィナ皇女が危ない!」

「なぜ、皇女殿下が?」

「ヴィルジール殿下が言ってたんだよ。俺が襲われるような事態になれば、彼女にも同じことが起こるって」


 ルフィナを人質にすれば、サーヴァを黙らせることができるのだ。


「早く助けに行かなきゃ! 彼女はどこ?」


 椅子から勢いよく降りると、細い踵が足元に転がる柔らかな何かにめりこんだ。

 それでも自業自得だとしか思わないから、そのまま思いっきり踏みにじる。


「何も起きていなければ、客室にいらっしゃるはずですが……。ここからは、視えませんので」

「まさか、大聖堂にはいないよね?」


 マルティーヌは貴族たちが倒れている聖者像のあたりをちらりと見た。


 あれだけの騒ぎが起きたのだから、皇女が客室で休んでいる可能性は低い。

 もしかすると、魔獣の脅威から最も安全なこの場所に避難しているかもしれない。

 あるいは、すでに捕まって大聖堂のどこかに閉じ込められているかも。


 聖結界に阻まれ、聖女の行方を探知できなかった失敗を繰り返したくない。

 この場所にいるという可能性を潰したかった。


「ええと…………」


 ジョエルは皇女を捜索しようと、弱々しく首を上げた。


「あぁ、だめです。私……はルフィナ皇女殿下のお顔を、存じ上げません」

「え?」


 そういえば彼女は、ザウレン皇国の風習で薄いベールで顔を覆っていた。

 ジョエルの標的視術は、相手の顔を知っていれば確実に視ることができる。

 条件が曖昧になればなるほど、多くのものが視界に入り探しにくくなるのだ。


「でも、あんなに綺麗な黒髪の小さな女の子は、この国にそうそういないだろう?」

「確かにそうですね。やってみます」


 ジョエルは皇女のおおよその身長と長い黒髪だけを手掛かりに、強力な半球状の聖結界に囲まれた内側を視る。

 しばらく視線を彷徨わせた後、彼は目を閉じて肩を落とした。


「いらっしゃらないようです。私の……探し方が悪いのかもしれませんが」

「いや。やっぱり大聖堂にはいないんだろう。よし、早くここを出るぞ」

「うぅ……。そ、うですね」


 そう答えながらも、彼は自力で立ち上がることができなかった。

 ときどき、吐き気を堪えるように顔をしかめている。

 呼吸も苦しそうだ。


「ああもう、仕方ないなぁ」


 マルティーヌはジョエルの両手を取ると、椅子から引き剥がした。

 彼の両足が床からふわりと浮く。


「ち、ちょ……っと、待ってくださ……い」


 マルティーヌは弱々しく抵抗するジョエルをひょいと左肩に担ぎ上げた。


「うわぁぁぁ……。勘弁してくださいよぉ」

「ん? お姫さま抱っこの方が身体の負担が少ないかな? ヴィルジール殿下の時はそうしたんだけど、今はできれば右手は空けておきたいんだ」

「……男前すぎ……ます」


 ジョエルは観念して目を閉じた。

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