(4)
ジョエルの案内で広い城内をかなり歩くと、目の前に、二人の衛兵が守る開け放たれた大きな両開きの扉が現れた。
その向こうには、扉とほぼ同じ幅の通路がまっすぐに伸びており、避難する人々は次々とその通路を渡っていく。
「この空中回廊を渡れば、大聖堂に入れます」
「ああ、なるほどね。向こうの方に見えない壁があるよね」
以前、大聖堂を訪れた時に感じた強力な聖結界が、通路の向こうの端に感じられる。
非常事態に対応するために、さらに結界が強化されているらしく、こんなに離れていても鳥肌が立つほどだ。
この凄まじい強度なら、双頭熊でも侵入できそうもない。
もしかすると、あの聖結界の中からはジョエルの目が効かないかも。
「ねぇ。大聖堂に行く前に、もう一度リーヴィ兄さまたちの様子を視て欲しいんだけど」
「そうですね……」
二人は、空中回廊の少し手前で立ち止まった。
ジョエルが後ろを振り返る。
すると、避難してきたはずの二人の動きを不審に思ったのか、衛兵たちが駆け寄ってきた。
「どうされましたか! 早く向こうに避難してください」
ああ、もう! この人たち邪魔っ!
どうやって追い払おう。
力ずくって訳にもいかないよね。
マルティーヌはへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
両手を胸元で祈るように組んで俯くと、消え入りそうな声で言う。
「あの……わたくし、あまり体が強くなくて、ひどく疲れてしまったの」
「ですが、ここは危険です。早く大聖堂にお逃げください。手助けが必要でしたら我々が……」
「もし何か起きても、あなた方が助けてくださるのでしょう? だから、ここでしばらく休んでから避難したいのだけれど、だめかしら?」
弱々しく眉を寄せ、ちらりと上目遣いで見ると、衛兵たちはその美貌に一瞬固まった。
「は、はいぃぃっ。それは、もちろんですっ!」
舞い上がった男たちに、ジョエルがちらりと振り返る。
「お前たち、ここは私に任せて早く持ち場に戻りなさい」
そう断罪するように言った男の顔を見て、衛兵たちは今度はひゅっと息を飲む。
彼は第四王子の側近で有力侯爵家の子息。
彼にさぼっていると思われたら、処罰の対象になるかもしれない。
「はっ! 失礼いたしました」
彼らは慌てて敬礼すると、あたふたと扉の前に戻っていった。
「なかなかお上手ですね、マルティーヌ嬢。あの二人、まんまと騙されていましたよ」
ジョエルは苦笑しながらマルティーヌの前に膝をついた。
こうすれば彼女の姿を隠すことができるし、介抱しているようにも見える。
数人の男女がこちらを気にしながらも、扉に向かって足早に通り過ぎていく。
「どう? 向こうの様子は」
マルティーヌは声を落とした。
人の耳が近くにないから、いつの間にかマルクに近い口調になっている。
「そうですね……。魔獣の頭数は減っている感じですが。うーん」
標的施術と遠視術を駆使して視線を彷徨わせたジョエルの目は、地面から湧き出てくる新たな双頭熊の姿を捉えた。
「あっ! 新たな魔獣が出現していますから、魔法陣はまだ解除できていないようです。あと……あちこちに逃げた魔獣もいます。ほら、このすぐ下を黒魔狼が走っていきます」
「ええっ?」
マルティーヌは目を閉じて魔獣の魔力を探した。
ジョエルのように姿を視ることはできないが、確かに、低い場所を疾走する、人間とは違った魔力を感じる。
おそらく逃げた魔獣はこの一体だけではないだろう。
「うわぁ……。庭園を封鎖したわけじゃないから、いくらでも逃げちゃうよね。これは後始末が大変そうだな。で、仲間たちは全員揃ってる?」
その言葉で、彼はラヴェラルタの仲間たちの顔を思い浮かべながら庭園方向に目を向けた。
指を折りながら何度か頷いてから、広い範囲を探るように首を動かす。
「えぇと。ジュストとパメラがまだ遠いですが、後の仲間は戦闘に参加しています」
「みんなは無事なんだね」
「ええ。全員の姿が視えましたので」
「サーヴァ殿下も?」
ジョエルの頭の中ではサーヴァは仲間に数えられていなかったらしく、改めて目を細めて視てから「はい。ご無事です」と答えた。
「じゃあ、王太子は?」
「………………いません。やはり視えません」
ジョエルはたっぷり時間をかけてから、悔しそうに答えた。
「そっか。だけどさ、どうして魔王は今、魔獣を召喚したんだろう。順序がおかしくない?」
「順序ですか?」
「だって、わたしはここにいるよ? 王太子はラヴェラルタ騎士団を手に入れたかったんでしょ? 魔獣を止める手段を持たないまま、城内に大量の魔獣を放つのはおかしいよ」
「確かにそうですね。ラヴェラルタ騎士団が潜入していたから良かったものの、そうでなければ今頃……」
ジョエルが顔をしかめた。
今、庭園で魔獣と対峙しているのは、ラヴェラルタ騎士団とヴィルジール、サーヴァと彼の側近だけだ。
もし彼らがいなければ、この城は恐ろしい魔獣たちに蹂躙され、血の海になっていたに違いない。
王都や王城を守る騎士や兵士らは、魔獣相手にあまりにも無力なのだから——。
「ヴィルジール殿下は王太子が焦っているって言ってたけど、いくら焦ったとしても、ここまでのことをする理由が分からない。四百年前の魔王と違って、今の魔王は意図的に魔獣を呼べるのに、どうしてこのタイミングだったんだろう」
「確かに、城内も王太子殿下の立場も滅茶苦茶になりますよね」
「さすがに王太子が魔王だなんて誰も思わないだろうけど、立場上、警備責任は問われるよね。ザウレンの皇子と皇女もいるから外交問題にもなりそう」
どう考えても、この魔獣の召喚は王太子の利益にならないのだ。
切れ者として知られる王太子は、これまで国王の代理として手腕を振るってきた。
外交でも内政でも、綿密に策を練り成果を上げてきた彼が、こんな策とも呼べないような無謀を取るだろうか。
「もしかすると、魔王は別にいるのかもしれませんね」
ジョエルがそう考えるのも無理はなかった。
それほど、彼の知る王太子とはかけ離れている。
「でもさ、今、王太子の姿が視えないんでしょ? それだけでもすっごく怪しいじゃない。本来なら、陣頭指揮を取らなきゃならない人なのに」
「じゃあやっぱり、死……」
そう言いかけ、ジョエルは慌てて自分の口を両手で押さえた。
「魔王が王太子でも、別に存在していたとしても。俺らが倒さない限り、この国の真ん中にもう一つ『死の森』ができる」
このまま魔獣の出現を止められなければ、いずれ魔獣たちは城の外へと溢れ出る。
王都は惨劇の舞台となってしまう。
「そんなこと、させない!」
決意を口にするマルティーヌの顔は、完全にマルクだった。
「そうですね。では、マルティーヌ嬢、そろそろ大聖堂に向かいましょうか」
ジョエルは最初の一言だけに同じ決意を込めた。
その後は、病弱令嬢を気遣う偽の微笑みを浮かべて右手を差し出した。




