(12)
妹をヴィルジールに預けて一人戻ってきたオリヴィエは、自分を待ちわびていたような弟たちの近くに、サーヴァがいることに気づいた。
やば……。
思わず足が止まり、顔から血の気が引いた。
それでも、ひきつった笑顔を作って皇子に近づいていく。
「サーヴァ殿下。こちらにいらっしゃったのですか」
「オリヴィエ。マルティーヌ嬢はどうしたのだ」
サーヴァは明らかにマルティーヌを待っていた。
「あ、あの。私とのダンスが終わった直後に誘ってくださる方がいたので、そのまま……」
妹がヴィルジールからダンスを申し込まれた時、サーヴァが来ていることに気づいていなかった。
知っていたら、何か理由をつけてマティを連れて来たのに。
あの状況でそれができたかどうかは分からないが。
舞踏会では最初の数曲を除けば、既婚者でも婚約者がいても、他の異性と踊って構わない。
そうやって人脈を広げていくのが社交界なのだが、今は間が悪すぎる。
しかも妹は今、サーヴァの最愛の妹の婚約者であるヴィルジールと踊っているのだ。
「殿下がいらっしゃっていることに気づかず、大変失礼をいたしました」
「そうか。それでは仕方がないか」
サーヴァは少し不機嫌な口調で言った後、ホールの中央に向かって歩き始めた。
そこには熱いのか冷たいのか分からない奇妙な空気が渦巻いていたから、興味を引いたようだ。
「オリヴィエの目の前でマルティーヌ嬢を誘えるとは、なかなか強心臓の男もいたものだな」
「ははは、そうですね」
「どれ。どんな男か顔を見てやろう」
「あ……殿下、お待ちを!」
オリヴィエが慌てて声をかけたが、止められるはずもない。
セレスタンが青い顔をして兄の背中をつつく。
「なぁ、リーヴィ。聞きたくないけど……マティと踊っているのはまさか」
「ああ。ヴィルジール殿下だ」
「うわ……。最悪」
「しかも、ただ踊っているだけじゃないんだ」
ひそひそ話しながら、兄二人とアロイスがサーヴァを追って後ろからついていく。
そして、ホール中央で踊る二人の姿を目にした時、サーヴァは憮然とした顔で腕を組み、セレスタンは膝から床に崩れそうになり、アロイスは両手を固く握りしめた。
互いの色を纏って親密そうに踊る二人は、誰の目にも恋人同士にしか見えなかった。
「ど、どうしよう。サーヴァ殿下がこっちを見てる!」
マルティーヌは慌てて、ヴィルジールの胸元に顔を隠した。
今さらそんなことをしても無駄であるし、ヴィルジールにしなだれかかっているように見えるから、むしろ逆効果だったのだが。
「だから、それは気にしなくてもいいと言っただろう」
まだサーヴァに気づいていないヴィルジールは、たしなめるように言う。
「ヴィルジール殿下は良くても、わたしはダメなの! だってわたし、サーヴァ殿下とダンスをする約束をしていたのよ!」
「……え? そういえばリーヴィ達も一緒にいるな」
ヴィルジールがちらりと視線を向けると、オリヴィエとセレスタンの顔色は青を通り越して真っ白だった。
『死の森』で恐ろしい魔獣と出くわした時でも、彼らのあんな顔は見たことがない。
ヴィルジールは思わずぷっと吹き出した。
「あいつら、今にも死にそうな顔をしているな」
「笑い事じゃないわ。殿下は魔獣狩りが趣味だから、討伐演習なんかでラヴェラルタとよく行動を共にしているの。どうしてくれるのよ。サーヴァ殿下の不興を買っちゃったじゃない」
「ダンスの約束をしていたなんて、マルティーヌ嬢はサーヴァ殿下と親しいのか」
「まさか。マルティーヌとして会ったのは今日が初めてよ。マルクとしてなら何度も会ったことがあるけど」
「そうか。なら、いい」
「よくないわよっ!」
溺愛する妹の婚約者が別の女性と踊っているだけでも、きっとサーヴァの気分を害するだろう。
しかも今、二人が身につけているのは、相手の髪と瞳の色を連想させる揃いの衣装だ。
二人の関係を誤解したサーヴァが、激怒しても不思議はなかった。
マルティーヌは恐る恐るサーヴァを盗み見た。
彼は先ほどから微動だにせず、腕を組んだままこちらを睨んでいる。
纏っている魔力がゆらりと不穏に揺れる。
うわぁ……怒ってる。
やめて!
わたしは断りきれなかっただけなんだから、そんな目で見ないで!
近くにいた貴族たちは、静かな怒りを全身から放つ皇子の側からそそくさと離れた。
ざわめきや、ひそひそと話す声も止んだ。
凍りついた空気の中、楽団が奏でるワルツと、自分たちの衣擦れの音しか聞こえない。
ヴィルジールはマルティーヌに密着するほどに距離をつめ、くるりと方向転換した。
少し前にアロイスがしたように、自分の背中の向こうに見せたくないものを隠す。
「気にしなくていいと何度も言っているだろう。責任は主に王太子が負うのだから。サーヴァ殿下もラヴェラルタの強さを分かっているはずだから、彼の怒りは君たちには向かない。きっと今頃、アダラールは肝を冷やしていることだろう」
彼が笑いを堪えている様子が、振動としても伝わってくる。
「どういうこと? これも計算のうちなの?」
「いや、誤算だよ。婚約発表もサーヴァ殿下も計算には入っていなかったからな。しかし、より激しく兄上を揺さぶることになった。自業自得だ」
ヴィルジールには動揺も不安もなさそうだ。
誤算すら面白がっている。
「……本当に、大丈夫なの? ヴィルジール殿下も、ラヴェラルタ家も」
「ああ。ただ……、良くない影響を受けそうな人物が一人いる」
「誰?」
「ルフィナ皇女殿下だ」
「どうして彼女が?」
「もし、君……マルティーヌ嬢が直接何者かに狙われることがあれば、同じことが彼女にも起こる可能性が高い。彼女はマルティーヌ嬢と同じ立場。大国ザウレンの急所なんだ」
『マルティーヌ嬢』と同じと言われてはっとなる。
王太子はこの国最強のラヴェラルタ騎士団を掌中に収めるために、『マルティーヌ嬢』を欲していると考えられている。
そんなわたしと同じということは——。
「彼女を人質に取るということ?」
「ああ。皇帝陛下の溺愛ぶりは有名だ。この国に何か起きた時、彼女の身柄がドゥラメトリアにあれば、ザウレンはハイドリヒ騎士団の投入を躊躇うだろう」
ハイドリヒ騎士団はラヴェラルタ騎士団と同様に、魔獣討伐に特化した騎士団だ。
魔獣が戦力として利用された場合、この二つの騎士団しか対抗することはできない。
つまり、マルティーヌとルフィナの両方が王太子の手に堕ちれば、小国であるドゥラメトリア王国が大国ザウレン皇国を圧倒するのだ。
「もし、皇帝が皇女を見捨てる判断をすれば、二国は全面戦争となる。まず最初に、両国の国境で君たちとハイドリヒ騎士団が直接対決することになるだろう」
「うわぁ……。考えたくないわ。うちが負けるはずはないけど、たくさんの血が流れることになるわ」
ハイドリヒ騎士団を撃破すれば、ラヴェラルタ騎士団はそのまま、ザウレン皇国へと侵攻させられるだろう。
そこに、どれほどの悲劇が生まれることか。
戦の悲惨さをベレニスの記憶を通していやというほど知っているマルティーヌは、もう決して、戦に加担したくはなかった。
「さすがに王太子が、そこまでするとは思いたくないが、もし、彼が魔王なら……何を考えているか全く分からない。だから、君の身に何かあった時は、皇女のことを気にかけてもらえないか」
「うん。分かった……けど、もう曲が終わるわ。わたしはどんな顔であっちに戻ればいいの」
「私も一緒に行こう。女にだらしない第四王子の姿を、サーヴァ殿下に見せてあげよう」
ヴィルジールが冗談めかして言った時、足元が揺さぶられるほどの巨大な魔力を感じ取った。




