屈辱のお茶会(1)
マルティーヌの自室の小さなテーブルの中央に、一昨日少ししか食べられなかった、屋台のアップルパイがたっぷり盛られた皿が置かれていた。
これは侍女のコラリーに頼んで市の最終日に買ってきてもらったものだ。
テーブルの上は他にも、市で一緒に買ってきてもらったドライフルーツが乗った素朴な見た目のクッキー、色とりどりのキャンディーとヌガーが詰まった瓶、ラヴェラルタ家特製のケーキやムース、二人分のティーセットなどでぎっしりと埋め尽くされていた。
だけど、どうしてこうなったの?
マルティーヌは部屋の隅で居心地悪そうにしているコラリーに、咎めるような視線を向けた。
本当なら彼女は、テーブルを挟んで向かいの席に座っているはずだったのに、その席に座り優雅な所作でお茶を口にしているのはヴィルジール殿下なのだ。
この日の彼は、先日挨拶をした時と違って前髪を下ろし、シャツのボタンも二つほど外したラフな格好をしていた。
彼の側近のジョエルも、コラリーとドアを挟んだ反対側の壁際に控えている。
「どうした。食べないのかい?」
一昨日と違う、少し砕けた甘い口調。
兄たちが「女ったらし」と揶揄したそのままの雰囲気に圧倒される。
「えっ……あのっ……」
「具合が悪いと聞いていたんだが、これだけの菓子を用意するくらいだから、もう大丈夫そうだね。安心したよ」
ヴィルジールはカップを静かにテーブルに戻すと、皿に盛られた小型のパイを一つ手に取った。
「これは王都では見ないお菓子だね。あぁ、アップルパイだったのか」
彼が手でパイを二つにちぎると、サクッと軽い音がした。
崩れた細かなパイ生地が白いテーブルクロスに落ち、ふわりと甘い香りが漂う。
「わ……わたくし、アップルパイが好き、なんです」
とにかく何か話さないとと思って、なんとか口を開くと、彼は「そう」と微笑む。
そして、少し腰を上げて、半分のパイを持った右手をマルティーヌの目の前に差し出した。
「え?」
「これが好きなんだろう? 食べないのかい?」
これは食べろということ?
マルティーヌは驚きに目を見開いた。
兄二人なら普通に同じようなことをしてくるのだが、相手はこの国の王子だ。
洗練されたマナーの達人であるはずの彼が、手づかみで貴族令嬢にお菓子を食べさせるなんて、どうなのだろう。
これは食べるのが正解?
そのままかじりつけばいい?
それとも断るべき?
でも、どうやって?
これまで習ってきた作法とは大きく逸脱した王子の行動に、頭の中は大混乱だ。
誰か助けて!
マルティーヌは助けを求めて、再度コラリーに視線を送った。
その意味を察して、彼女は誰か家の者を呼びに行こうとドアの取っ手に手をかけた。
しかし、彼女に背を向けて座っているヴィルジールが、彼女の動きを察して牽制する。
「あぁ、君はこの部屋にいてくれないか。私の側近がいるとはいえ、未婚の令嬢と部屋で二人きりでは、何かと問題もあるだろうからね」
「は、はいぃぃっ」
王族と接する機会などない侍女は、びくりと固まった。
そんな未婚の令嬢の私室に勝手に押しかけておいて何を言うか! とマルティーヌは思う。
思うけど……言えない。
「ほら、早く食べないと、中の林檎が落ちてしまうよ」
「でも……」
「ほら、早く。いちばん美味しいところが台無しになってしまう」
彼が指先に軽く力をこめると、たっぷり詰まった果肉がパイの間から押し出されてくる。
指先ほどの大きさの黄金色のかけらが、ゆっくりと手前に傾いてきた。
「わあっ!」
もうどうにでもなれという気分で、差し出されたパイに口をつけた。
大口を開けないと全部は食べられない大きさだったから、半分ほどをかじりとる。
「いい子だね」
彼は満足そうに笑うと、手に残ったパイを何のためらいもなく自分の口に放り込んだ。
うそっ! それ、わたしのかじりかけなのに。
「うん。素朴な味だけど、悪くないね」
彼はそう言うと、マルティーヌを見つめながら、指先についたバターをぺろりと舐めた。
王子だとは思えないほどお行儀悪く、そして艶めかしく。
「あ……、あああ、の……っ」
この王子は一体何をやっているの?
もうどう反応して良いか分からず、顔だけが赤くなって硬直していると、部屋の隅にいた側近のジョエルがヴィルジールに近づいてきた。




