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「マティ。私が贈ったそのドレス、思った通り君によく似合っているよ。私の色をそれほど見事に着こなせるのは君だけだ。ほら、このホールにいる者全てが、神秘的な森の女神かのような美しい君に見惚れている。だが、気の毒なことに、そんな君は今、私だけのものだ」


 ヴィルジールがずっと何かを囁いているようだが、その言葉は何一つ頭に入ってこなかった。

 彼の顔を見ることすらできなくて、うつむいたまま彼のリードに任せていた。


 もう恥ずかしいも、怒りもすべて大きく超越してしまい何も感じない。

 心を塞いで、ただゆらゆらと、ホールの真ん中で揺れていただけだったが。


「ああ、君が私に何も応えてくれないから、悲しみでどうにかなってしまいそうだ。どうしたら、君は目覚めてくれるのかい? そうだ。この薔薇色の頬に口づけしてみようか」


 は?


「ま、待って!」


 最後に聞こえた不穏な言葉に、慌てて背中を逸らして彼から離れようとすると、腰をぐいと引き寄せられた。

 そのままふわりと身体が浮き、遠心力を感じたと思ったら、同じ場所に着地する。

 ふわりと広がったドレスの裾が、銀色の輝きを振りまきながら、少し遅れて足元にまとわりついた。

 なぜか周囲から、ぱらぱらと拍手が起こった。


 な……何が、起きたの?


 一瞬の出来事に、大きく目を見開いてヴィルジールの顔を見た。


「ふふっ。やっとこっちを見てくれたね。なかなか華麗な舞いだったよ」


 久しぶりに彼の顔をまともに見た気がする。


 前髪をすっきり上げ、露わになった精悍な輪郭と、凛々しい目元。

 口元には柔らかな笑み。

 うっかり見惚れてしまいそうになる。


 けれど、すぐに気まずくなって目を背けた。


 ザウレンの小さな皇女と婚約した直後に、別の女の子と踊っているのはおかしくない?

 しかも、わざわざ、わたし色に着替えてくるなんてどうかしてる!


 どうしようもない思いは、すべて怒りに変換される。

 しかし文句を言ってやる前に、貴族令嬢として王子殿下にどうしても言わなければならない言葉があった。


「あ……の。ご婚約おめでとうご……ざいます」


 言葉につまりながら、ようやく必要最低限のお祝いの言葉を絞り出した。

 頑張って、笑顔も作ってみた。


「ああ、君もそれを言うのか。とりあえず、ありがとうと言わなければならないのかな」


 ヴィルジールは苦笑いすると、急に声をひそめた。


「君との噂で、兄上もずいぶん……」

「え? 何? 聞こえない」


 ちょうど曲が盛り上がってきたせいで、彼の声が音に紛れてしまった。

 ヴィルジールは「仕方がないな」とにやりと笑うと、マルティーヌの腰をぐいと引き寄せた。


「ち、ちょっとぉ……」


 文句を言ったのに、彼はさらに声をひそめ、囁き声ほどになった。


「ザウレン皇女との婚約の話は以前からあったんだが、今日の婚約発表が決まったのは、舞踏会が始まる直前だったんだよ。ルフィナ皇女が大喜びだったし、サーヴァ殿下がいらっしゃる手前、拒否することができなかった」

「そ……そうなの?」


 こんな内情の暴露は、周囲の貴族たちには絶対に聞かせられない。

 重要な話をしていることに気づいたマルティーヌは、声を聞き取ろうと少し背伸びをして彼との隙間を詰めた。

 ヴィルジールは深く首を曲げ、辺境伯令嬢の耳元に顔を近づける。


 周囲からは、人目もはばからず愛を囁き合うような、凄まじく甘い恋人同士に見えるのだろう。

 色めき立つ小さな悲鳴と、非難するようなざわめき、ひそひそ囁く声が聞こえてくる。


「正直、してやられたよ。まさかザウレン皇国を巻き込むとは思わなかった。それだけ、兄上は焦っているのだろうが」

「でも、婚約を発表した直後に他の女の子と踊ったりしていいの? しかも、わたしの色……じゃなくて、別の衣装に着替えるなんて! サーヴァ殿下の心象が悪くなるじゃない」

「それで困るのは兄上の方だから構わないさ。遊び人の弟王子を制御できなかったってことだから」


 確かに、婚約発表したばかりの弟王子が、王都中の噂になっていた令嬢と揃いの衣装で親密に踊っていれば、婚約を成立させた王太子の顔に泥を塗るかもしれない。


 ちらりと視線を上げると、誰もいなくなった王族席が見えた。


 王太子はどこに行ったのかしら。

 どこかから、見てる……?


 王太子の姿を探して、周囲をちらちらと見ていたマルティーヌは、人の輪の中に紫色の独特な民族衣装を身につけた黒髪の人物を発見した。


「あ……待って! わたしも、困……る」


 彼の周りには、焦った顔をした二人の兄とアロイスもいた。

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