(9)
「私にマルティーヌ嬢を譲ってもらえないだろうか」
「は?」
「ええっ!」
予想外の言葉に、二人は思わず声を上げた。
マルティーヌ嬢を譲る——。
それはマルティーヌが隣国皇子と結婚するということだ。
さすがに想定外すぎる。
二人の驚愕をよそに、サーヴァはなんでもないことのように言葉を続ける。
「なに、ほんの一ヶ月までに戻るだけなのだから、君もさほど困らないだろう?」
「お……お戯れ、を」
セレスタンはぎこちない笑みを浮かべながら、無意識に兄の姿を探した。
しかし、こんな大変な時に、オリヴィエはマルティーヌとダンスに興じている。
この状況で兄を呼びに行くこともできないから、彼が戻ってくるまで二人で時間をかせがないといけない。
相手は強国の皇子。
自分の妹かわいさに、妹とこの国の第四王子との婚約発表をあっさり決めてしまえるだけの力を持つ男。
この国の王太子アダラールや第四王子ヴィルジールよりも、はるかに強敵だ。
まさか、こんな事態になるとは誰も思ってもいなかった。
「い……いいえ、困ります。いくらサーヴァ殿下の望みでも、それは……」
「大変名誉なお話ではありますが、妹に殿下のお相手など務まるはずがありません。サーヴァ殿下にはもっとふさわしい女性がいらっしゃるでしょう」
「いや、今までそんな女がいかなったから、私は独り身だったのだ。私はマルティーヌ嬢が気に入った。彼女ほど可憐な女性はいないだろう? なぁ、セレス」
「たしかに、マティは世界一綺麗ですけど、でも……そ、そう、妹はひどく病弱なのです!」
「だから私と結婚して、ラヴェラルタ領で静かに暮らすことになっているのです」
アロイスとセレスタンは、皇子に考え直してもらおうと必死に言い募る。
魔獣討伐に同行したときのサーヴァは気さくで、騎士団の者たちとも馴染んでいた。
今のような皇族らしい尊大さは微塵も感じさせず、目線の低い誰にでもやさしい人物だと思っていた。
しかし、やはり彼も権力者側の人間だったのだ。
彼は、欲しいものは何でも必ず手に入れてきたし、それが当然だと思っている。
立っている土壌と思考回路が全く違うのだ。
「アロイス。辺境伯家の令嬢と婚約できるのだから君も貴族なのだろうが、私はザウレン皇国の皇子。しかも、他に妃はいないのだから、彼女にとっても、ラヴェラルタ家にとっても、君より私の方が良いに決まっているだろう」
「ですが……私は、マルティーヌ嬢を心から愛しております。彼女を幸せにできるのは私だけです。たとえ殿下であっても彼女は渡せません」
見下すように言うサーヴァに、アロイスの本気の覚悟が口をついて出た。
権力者を見上げる瞳に力がこもる。
その静かな気迫にセレスタンはぎょっとしたが、サーヴァは虚を突かれたような顔をする。
「おや。貴族同士の結婚に恋やら愛やらを持ち出すつもりかい? 心配しなくても、彼女はすぐに私に夢中になるさ。私は彼女の思うもの全てを与えてあげられるからね。傷心の君と君の家には充分な保障をするから、それでいいだろう」
「そんなっ! それでいいわけが……」
「よせ、アロイス」
思わず皇子に食ってかかりそうになるところを、セレスタンが慌てて割って入った。
同時に軽い拘束魔術を使って、アロイスの身体を縛る。
「ははは。君はいつも冷静だと思っていたが、違うのだな。そんなにムキになることでもあるまいに」
必死の攻防は、明らかに二人に分が悪かった。
二人の言葉は全く皇子に届かない。
マルティーヌは大事な妹、婚約者であるのに、まるで猫の仔でも貰い受けるかのような気軽さだ。
隣国皇子と二人の男がもめている様子を、周囲の貴族たちが何ごとかと見ている。
そんな人々の間を抜けて、オリヴィエが一人で戻ってくるのに気づいたセレスタンが、必死に手を振った。
「リーヴィ! 早くこっちへ!」
「どうし……」
オリヴィエは弟たちと一緒にサーヴァがいることに気づくと、ぎくりと立ち止まった。




