(5)
突如、大きな拍手が上がり、四人はびくりとなった。
どうやら、ヴィルジールと皇女のダンスが終わったらしい。
静かな音楽が流れる中、中央に集まっていた人々の輪が徐々にほどけていく。
「ああ、ようやく終わったか。お前たち、どうする?」
これから数曲は、夫婦や婚約者同士などの特別な関係にある男女が踊る時間となる。
踊らない者たちは壁際に移動し、ホールの中央部が広く開けられた。
「一曲見送って、もうしばらく休んでいようか」
元気のない様子のマルティーヌをアロイスが気遣う。
マルティーヌとアロイスは婚約者であることを印象付けるため、二曲続けて踊る予定だ。
その後、二人の兄と順に踊る。
ヴィルジールの婚約発表で王子との噂が完全に消滅した辺境伯令嬢には、様々な視線が向けられていた。
あわよくば声をかけようと狙う独身貴族や、哀れみの視線を向け扇で覆った口で嘲笑する令嬢たち。
セレスタンは、そんな不届き者たちを不機嫌な魔力をまとって威嚇していた。
「大丈夫。行けるよ」
マルティーヌは抱え込んでいたアロイスの腕をぐいと引いた。
じっとしているより、体を動かしている方が余計なことを考えなくてもすむ。
ヴィルジール殿下のことも、周囲の雑音も——。
だから。
「早く、行こう!」
「ああ、待って待って。なにか違う」
ホールの中央に向かって、勇ましく進もうとするマルティーヌをアロイスが慌てて止めた。
これでは、魔獣狩りにでも行くような勢いだ。
初めての舞踏会にはしゃぐ令嬢を、婚約者がなだめているように見えなくもないが、病弱令嬢らしくない。
軌道修正が必要だった。
アロイスは腕をがっちり掴んでいるマルティーヌの手をゆっくりと解いた。
上に向けた左の掌に、白いレースの長手袋の右手をそっととまらせると、大げさなほどうやうやしく言う。
「マルティーヌ嬢。私に、貴女の最初のお相手をつとめる栄誉をいただけますか?」
アロイスらしくない言葉にくすりと笑ったマルティーヌは、今、自分がなすべきことを思い出した。
今日の任務は、舞踏会に初めて参加する病弱令嬢らしく、この夜を無難に乗り越えることだ。
今頃、御者や護衛、侍女に扮して城内に入り込んだ仲間たちが、魔王に関する情報を集めるために奔走しているはずだ。
「ええ、喜んで」
できる限り上品に微笑みを浮かべ、彼にエスコートされて歩いて行くと、本日二組目の話題の婚約者同士の登場に、周囲の貴族たちが騒ついた。
人前でダンスを披露するのは初めて。
でも、あれだけ練習したんだから、影口しか言わない人たちの前で、失敗なんてしてあげない。
さあ、落ち着いて——。
オリヴィエとセレスタンはほっとした顔で二人を見送った。
エメラルドグリーンと銀の揃いの衣装の二人は、ホールの中央より少し手前まで出て行くと向かい合った。
流れてくるワルツに合わせて、ゆったりと踊り始める。
社交界で勝手に出来上がっていた「ラヴェラルタの秘された花」の異名を裏切らないよう、アロイスのリードに任せて控えめながらも優雅に曲に乗る。
緩く巻かれた金の髪が、肩口で軽やかに揺れる。
エメラルドグリーンのドレスの裾が大きく広がり、銀色の薔薇の刺繍がシャンデリアの光をきらきらと弾いていた。
周囲からため息が漏れた。
近くでそれぞれの相手と踊っている男女までが、気もそぞろになっている。
「わたし、ちゃんと踊れてる?」
「上出来だよ。できれば、時々でいいから顔を上げて私の方を見て欲しい」
「そ、そうだね」
全く目を合わせないで踊るというのも、婚約者同士としてはおかしいだろう。
そっと上目遣いでアロイスを見ると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
彼には絶対的な安心感がある。
マルティーヌの口元にも自然な笑みがこぼれたが、彼の背後に見えた光景に、思わず目をそらした。
一瞬目に入ったのは、ホールの一角に設えられていた贅を尽くした王族席。
その中央の大きな椅子に王太子アダラールの姿があった。
見たくない。
そう思うのに、どうしても気になってまた目を向けてしまう。
次に目に入ったのは、王太子より少し下がった場所に立ち、貴族たちからの祝福をにこやかに受けている様子のヴィルジールとサーヴァだった。
びくりと体が震え、思わず足が止まりそうになる。
すると、アロイスがマルティーヌの腰を支えて、くるりと立ち位置を入れ替えた。
王族席は自分の背中側になり、もう見えない。
「アロイス……あの……」
「ヴィルジール殿下のことが気になる?」
彼に心を読まれたようでどきりとなる。
「…………ま、まさか。わたしは、王族なんてきらい……だもの」
「昔からずっとそう言ってたのは、知っているけど……」
アロイスの視線がマルティーヌの頭の上から遠くに向いた。
立ち位置を入れ替えたから、そこに見えるのは王族席だ。
彼はその近くにオリヴィエの姿を見つけ、思わず「あ……」と声を漏らした。
「どうしたの?」
「あ……、いや。リーヴィが王族席に向かっているんだよ。多分、お祝いを述べに行くのだろう」
アロイスは少し言いづらそうに言う。
ラヴェラルタ辺境伯家もこの国の貴族であるから、王子殿下の婚約を祝わない訳にはいかない。
さっき、マルティーヌの婚約を祝ってくれたサーヴァとの関係もあるからなおさらだ。
本来なら同じ会場にいる弟と妹も一緒に行くべきなのだろうが、長兄一人で挨拶することにしたようだ。
辺境伯家当主の名代としてオリヴィエが行けば、なんとか体裁は整う。
「皇女殿下も一緒にいる?」
「いらっしゃるようだ。お小さいからここからは見えづらいが……無邪気なものだな」
「そっか」
どう考えても不自然な婚約と、それを成立させた両国の権力。
その裏にどんな陰謀があるのか計り知れないのに、皆、表面的にはこの婚約を祝うしかない。
にこやかに祝辞を述べながらも、今後の身の振り方を計算しているはずだ。
婚約を純粋に喜んでいるのは、何も分かっていない皇女だけ。
周りの大人たちは皆、あの小さな姫を利用しているのだ。
王子であるヴィルジールでさえ利用される側であるが、その彼も王族らしい微笑みを絶やさないでいる。
マルティーヌは、そんな上部だけ美しい光景に強い嫌悪感を抱いた。
けれど、自分たちの婚約も王族や貴族を欺くための仮のもの。
自分を含めて、この場には嘘しか存在しなかった。




