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(4)

 人々の混乱を断ち切るように、ワルツの音楽が奏でられる。

 最初のダンスは、予想外にこの夜の主役となった二人のものだ。


 ヴィルジールは幼い姫の前に跪くと、目の前に差し出された小さな手を取り唇を寄せた。

 そして、二人で周囲に丁寧に頭を下げると、ゆっくりと踊り始めた。


 年齢差は十五歳ほど。

 姫の身長は王子の腰のあたりまでしかない。

 そんな小さな子どもに合わせて、この国の王子が、腰をかがめダンスの相手になっている。

 まるで子ども相手のお遊戯だった。


 それでも、ヴィルジールが浮かべている高貴な微笑みは完璧だ。

 身長差がありすぎるせいで踊りづらそうだが、幼い婚約者を丁寧にリードしている。


 ルフィナ皇女は顔をベールで覆っているため表情はほとんど見えないが、ひらりとめくれあがったベールからは、嬉しくて仕方がないという口元が見えた。

 小さな足は、ぴょんぴょん飛び跳ね、はしゃいだステップを踏んでいた。


 屈辱的だと思いながら見守っている者も多いはずだが、「微笑ましいですな」とか「この国も安泰だ」などと、本心を押し隠して囁き合う。

 内心ほくそ笑んでいる王太子派の貴族たちも、すました笑みを浮かべて二人のダンスを見守っていた。


 王太子はさすがの鉄壁の微笑。

 ザウレン皇国皇子は、自分の娘の晴れ舞台を見守るように目尻を下げていた。


「や……だ」


 ヴィルジールが別の女性の手を取り、ダンスを踊る場面など見たくなかった。


 あの手はわたしの……。


 そう思いかけてはっとなる。


 彼は多くの女性と浮名を流す、遊び人として知られる不良王子だった。

 これまで公の場に出たことがなかったから、彼の社交界での振る舞いを知らなかっただけで、女性の手を取りダンスを踊り……きっとそれ以上のことも、普通にしてきたはずの男だ。

 だからそもそも、あの手はこれまで誰のものでもなかった。


 自分だけに向けられていると思ったのは、ただの錯覚。

 傲慢な思い違い。

 あの手は今後、あの小さな姫のものになる——。


 いや。

 でも、そんなのわたしに全然関係ないじゃない。

 彼は大っ嫌いな王族なんだから、誰と婚約しようとどうでもいい。


 ……はず、なのに。


「マルティーヌ嬢……?」


 顔を覗き込んできたアロイスが、指先で頬に触れてきた。

 彼の白い手袋にじわりと水が沁みていく。


 はっとなったマルティーヌは、慌てて顔を背けた。

 自分でも訳が分からない涙なんて、誰にも見られたくなかった。


「大丈夫かい?」

「え? ……う、うん。なんでもない。ちょっとびっくりしただけだから。ヴィルジール殿下もこんな話があったのなら、言ってくれてもよかったのにね。あ、そか、正式に公表する……まで、言えなかったのか。王族だもん、ね」


 ショックを受けていることを誤魔化そうとして言葉数が増え、早口になる。


「あの皇女さま、かわいいよね。きっと殿下のことが、大す……きなんだね。すごく、嬉しそ……う……」


 苦し紛れに言った言葉が自分の胸をえぐる。

 だんだん自分が惨めになってきて、唇を噛む。


 けれど、なぜ惨めに思うのか分からない。


「マティ。ここを少し離れようか」


 見かねたオリヴィエに促され、四人は人気のない窓際まで移動した。


 ヴィルジールと婚約者の姫は、人の壁の向こう側となり姿が見えなくなった。

 演奏はまだ終わらない。

 二人は衆目の中、ダンスを続けている。


「マティはアロイスに寄りかかって、人に酔ったようなふりをしていてくれ」

「う……うん」


 マルティーヌはアロイスの腕を抱え込むようにしてもたれかかると俯いた。

 たとえ兄でも顔を見られたくなかったから、病弱なふりは都合がいい。

 ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。


 妹の姿を隠すように、二人の兄が前に立った。

 これで、身内の男三人が病弱令嬢を気遣っているように見えるだろう。


 オリヴィエは周囲を見回して、近くに誰もいないことを確認すると話し始めた。


「実は、ヴィルジール殿下がザウレンに留学することと、第三皇女殿下と婚約することは以前から決まっていたんだ。彼が国境で巨躯魔狼に襲われたのは、その顔合わせに行った帰りのことだ」

「は? どうしてリーヴィがそんなことを知ってんだよ」


 セレスタンが訝しげに言う。


 あの事件が、ヴィルジールが隣国を訪問した帰りに起きたことは明らかだったが、彼は訪問の理由を話さなかった。

 『死の森』で王太子が魔王ではないかと初めて疑った時ですら、「極秘訪問」としか言わなかった。

 王族が極秘というからにはそれ以上の追求はできず、誰も触れなかったのだが。


「『死の森』への大遠征の前に、本人から直接聞いたんだよ。だが、正式な婚約は皇女殿下が成人してからのはずだったんだ。二十三歳と八歳じゃ、さすがに体面が悪いからな。だから、どうして急に発表したのか分からない」


 ヴィルジールは三日前にもラヴェラルタ家を訪れたが、婚約発表のことは何も話していなかった。

 そんなそぶりもなかった。


 現在の彼とラヴェラルタ家の関係を考えれば、これほど重要な内容を隠しておくとは思えない。

 本当に直前に決まったのだろう。


「殿下がマルティーヌ嬢と噂になったせいじゃないか? ラヴェラルタ家が彼の後ろ盾になるという期待を持った貴族も多かったから、彼らを抑えるにはこの婚約発表は効果的だろう」


 アロイスが冷静に分析するとセレスタンは首をひねる。


「だけど、婚約は国の問題でもあるのに、突然発表できるものかなぁ? 本国の皇帝陛下の了承を得る時間はなかったはずだし、今この国に来ているサーヴァ殿下には、そこまでの権限はないだろうし」

「いや、サーヴァ殿下ならやる」


 オリヴィエが断言する。


「第三皇子なのに?」

「皇帝陛下は第三皇女を溺愛してるから、彼女の喜ぶなら何でもするという話を聞いたことがある。サーヴァ殿下も似たようなものだから、皇女殿下が婚約発表を望めば、サーヴァ殿下は喜んでその望みを叶える。ダンスをする妹を見守る嬉しそうな顔を見ただろう?」

「あー、気持ちは分かる。僕だってマティの望むことなら、何でも叶えてあげたいもん。婚約は絶対嫌だけど」


 同じ妹を溺愛するもの同士、共感するものがあるようだ。

 セレスタンはちらりとアロイスを見た。


 こんな視線にもすっかり慣れたアロイスは、平然と無視する。


「しかし、婚約とか留学というと聞こえはいいが、体の良い人質なんじゃないのか?」

「まあな。実際には、人質の身に何が起ころうと王太子は見捨てるだろうから、一般的な人質とは違うだろう。だが、殿下の婿入りは、この国の裏口の鍵を渡すようなもの。帝国がその気になれば、ヴィルジール殿下を擁立して、この国の王の首を強引にすげ替えることができるってことだ。だから皇国としては悪い話じゃない」

「そんな危険を冒してまでも、王太子はヴィルジール殿下を外に出したいのか」

「第四王子を国内に置いておく方が、より危険だと思っているんだろうな」


「いや、まて」とセレスタンが別の視点を持ち出す。


「そもそも、あの国境でヴィルジール殿下を亡き者にするつもりだったんだろう? 皇国との約束はただの口実だったんじゃないかなぁ」

「なるほど。殿下が助かったから、約束を果たさなければならなくなったということか。王太子にとっては、なかなかの誤算だな」


 周囲に人がいないのをいいことに、男たちは物騒な話をしている。

 誰かに聞かれれば、牢屋に直行させられてもおかしくない内容だ。


 けれど、マルティーヌの頭には、ほとんど内容が入ってこなかった。

 ただ、ヴィルジールの婚約が彼の意思によるものではないことだけは分かったから、少しだけほっとした。

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