突然の発表(1)
彼らが会場に一歩足を踏み入れたとたん、入り口に近い場所にいた人々がざわついた。
「まさか、あれ……?」
「どこのご令嬢だろう。なんと美しい」
彼らの中央にいたのは、目の冴えるようなエメラルドグリーンの華やかなドレスに身を包んだ、艶やかながらも清楚な雰囲気の令嬢だった。
ドレスの裾には銀糸で薔薇が刺繍され、胸元にはエメラルドをふんだんにちりばめた銀のネックレス。
明るい金色の長い髪は緩く巻かれ、長い睫毛がかかる青い瞳は不安げに揺れる。
白く滑らかな頬はふわりと赤みがさし、小さな形の良い唇はつややかに彩られている。
彼女の美しさと存在感は、着飾った貴族たちで埋め尽くされたその場に大きな衝撃を与えた。
誰一人として、その顔を知る者はいなかった。
しかし、彼女の左側を歩く面差しの似た美形の青年と、背後を守るようについてくるがっしりした体格の男は、誰もが見知っている。
第四王子を連想するドレスからも、王都で最近大きな噂になっている令嬢だと推測できた。
「あれはラヴェラルタ兄弟じゃないか。ってことは、あの令嬢が噂の……?」
「ラヴェラルタの秘された花か。さすが、噂にたがわず美しい」
「あれなら、ヴィルジール殿下が夢中になるのも納得だ」
ざわめきは歩く速度よりも早く、会場への奥へと波のように伝わっていく。
兄たちが睨みを利かせても止むことはない。
「魔獣討伐なんて汚れた仕事でお金を稼いでいる田舎者のくせに、この格調高い場によく顔を出せたわね」
「大人しそうな顔して、どうやって王子殿下をたぶらかしたのやら」
「ヴィルジール殿下の色のドレスなんて、厚かましいにもほどがあるわ!」
社交界というものは、本人に聞こえるように陰口を言う場所らしい。
どれほど美しく着飾って上品ぶっていても、その口から吐き出される言葉は下品で卑劣なことこの上ない。
覚悟はしていたが、蔑みや中傷がどんどん耳に入ってくる。
ああもう。やめて!
全部、聞こえてるからぁ〜!
マルティーヌは賞賛と同じほど中傷にも慣れていない。
その両方を全方向からたっぷり浴びせられて、すでに心が折れそうだ。
右手を預けた指先に思わず力が入ってしまう。
「大丈夫かい?」
気遣わしげに視線を向けてきたアロイスを見上げ弱音を吐く。
「も……やだ。帰りたい」
魔獣相手なら絶対に逃げるようなことはしないが、相手は人間……貴族だ。
子爵家四男で少年時代に騎士団に入団したアロイスも、社交界はあまり経験がないはずなのだが、洗練された余裕ある佇まいで、兄たちとはまた違った安心感があった。
彼は、レースの手袋の下で緊張にこわばった指先をなだめるように軽く叩いて言う。
「大丈夫だ。みんな、君を妬んでいるだけだから。どうしても、気になって仕方がないのなら、君の好きなアップルパイに囲まれていると思えばいい。焼きたてのパイはさくさく音を立てるものだろう?」
焼きたてのアップルパイに囲まれる?
それはちょっと経験してみたいかも。
「ふふっ」
彼のめずらしい冗談に、マルティーヌが笑った。
眉を寄せて不安そうにしていた令嬢が、突然、花が綻んだかのような笑顔を見せた。
その鮮やかな表情の変化に、周囲の若い男たちは心を鷲掴みにされる。
そして、あの視線が自分に向けられたらどれほど幸せだろうかと夢想したとき、ようやく彼女の右隣にいる青年を認識した。
存在感の大きいラヴェラルタの兄妹と違い、その男は影が薄かったのだ。
「おや、彼は……?」
令嬢の手を取る青年は、よく見ると彼女と同じ鮮やかなエメラルドグリーンの上着を着ていた。
その内側には銀色にも見える、光沢のあるグレーのベスト。
茶色の髪を後ろで束ねたリボンも銀色だ。
緑も銀も二人の髪や瞳の色とは違うものの、明らかに対の装いだ。
しかも、妹を溺愛していることで有名な二人の兄が、妹のエスコート役を任せている。
「あのドレスは第四王子の色かと思ったが、違うのか」
「どうみても、あの男が婚約者だよな。誰だ、あいつ。知ってるか」
「ダルコ子爵の四男だっていう話を聞いたが」
出席者の誰も、アロイスの顔を知らなかった。
マルティーヌに接触を試みた貴族だけが、婚約者の存在を知っているに過ぎなかった。
「獣臭い田舎娘には、あの程度のぱっとしない男がお似合いだわ」
「辺境伯令嬢の婚約者が子爵家だと? うまく取り入ったものだな」
そんな辛辣な言葉も聞こえてきて、アロイスが「私もか」と苦笑した。
しばらくすると、周囲の罵詈雑言にも慣れてくる。
彼らは遠巻きにひそひそ話しているだけで、決して近寄ってはこなかった。
さすがに、ラヴェラルタ兄弟がぴったりと張り付き、隣に婚約者までいる令嬢に声をかける度胸がある男はいない。
初対面の辺境伯家の令嬢に、面と向かって嫌味を言える女もいなかった。
なんだ、直接攻撃してこないなら平気じゃない。
弱っちい魔獣が遠くから威嚇してるだけじゃん?
マルティーヌにもようやく、周囲を見る余裕ができてきた。
すると、会場の一角にできた人だかりが目に入った。
貴族たちが入れ替わり立ち替わり、誰かに挨拶しているように見える。
「ねぇ、あの人が集まっているのは何?」
左隣にいるセレスタンをつついて聞いてみる。
「ああ、身分の高い客がいるんだろう。王族のお出ましはまだだから、公爵あたりかな。じゃなかったら、外国の招待客……あっ!」
少し伸び上がり、遠視術で人混みの向こうを探ったセレスタンが驚きの声を上げた。
そこにいたのは、黒く長い髪を背中で大きく編み、長いローブのような紫色の独特の衣装を身につけた男だった。
左のこめかみから頬にかけて、幾何学的な模様の刺青がある。
「どうしたセレス」
「リーヴィ。あれ、サーヴァ皇子殿下だよ」
「えっ?」
オリヴィエが慌てて人混みに目を凝らした。




