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(4)

 辺境伯は王子にソファを勧めながら、心配そうに言う。


「殿下。この状況で、私どもの屋敷に立ち寄ったりなどして、問題はないのでしょうか」


 今、王城は王子と娘の噂で持ちきりのはずだ。

 彼がお忍びでラヴェラルタ家を訪れたことが知られたら、噂の信憑性が増してしまう。


 ヴィルジールはソファに落ち着くと、目の前のテーブルに山と積まれた封筒や贈り物の箱、花束などをざっと見回した。


「ああ。馬鹿な貴族らがラヴェラルタ家に殺到しているようだな。辺境伯には迷惑をかけているが、私としては逆に動きやすくなった。マルティーヌ嬢との噂のおかげで、こうやって訪問しても、別の理由を勘ぐられることはないからな」


「なるほど、そうですか。では、この状況は狙っておられたのでしょうか」


 辺境伯の言葉に、隠しきれない怒りと無念の思いが滲む。

 謁見の日の王子の機転は、娘の危機を救ってくれたのだとしても、父親としては決して見たくない場面だった。

 無関係の人々があの二人を見れば、恋仲だと誤解してもおかしくない……いや、そう思わない方がおかしい状況だった。


 ヴィルジールは「まさか」と肩をすくめ苦笑する。


「成り行きでこうなっただけだ。興が乗ってちょっとやりすぎたとは思ったが、思いがけない結果を生んだ。噂が広まったおかげで、兄上はマルティーヌ嬢に手を出しづらくなったからな」


 そして彼は、マルティーヌに視線を向けた。


「わたしに?」

「そう。やはり彼は、マルティーヌ嬢を狙っているんだよ。あの日、急に思いついたように君をお茶会に誘っていたが、最初からその計画だったようなのだ。ラヴェラルタ家の謁見に合わせて、お茶会も五日後に延期されていたんだ」

「えっ!」


 驚きのあまり、親指と人差し指でつまんでいたピンクのギモーヴがぐちゃりと潰れた。


 あの時は単純に、人見知りと世間知らずを同時発動して恐怖を感じていただけだったのに。


「もしかして、罠……?」


 恐る恐る聞くと、彼は「おそらく」とうなずいた。


「君をお茶会に引っ張り出した後に、何を企んでいたのかまでは分からない。君を大いに歓待して手なずけようとする穏やかなものから、言質をとって策略に陥れようとするもの、お茶に何かを混入するような荒っぽいものまで考えられる」

「まさか!」

「君の利用価値を考えると、殺されることはないだろうが、お茶会の出席者は王太子派の貴族令嬢で固められていたから、そこで何が起きてももみ消せる状態だったんだ」


 彼が次々と示した可能性に、背筋がぞくりとなった。


「……もし、あのままお茶会に出席していたら、無事には帰れなかったってこと?」

「そうだな。まぁ、君のことだから、君を捕らえようとした者たちの方が無事では済まなかっただろうがね。もしかすると今頃、城があとかたもなく破壊されていたかもしれない。本当に危ないところだった」


 ヴィルジールは茶化していうが、目は笑っていなかった。


 マルティーヌの父親も兄たちも、それほどまでの危機的状況だったことに気づいていなかった。


「そ……うだったのですね。我々では、娘を守ることができなかった。ヴィルジール殿下には本当に感謝しきれません」


 父親が深々と頭を下げ、二人の兄もそれにならう。


 マルティーヌの魔力がいくら高くとも、凶暴な魔獣を軽々と討伐できる戦闘力があったとしても、権力者には敵わない。

 王族や貴族流の悍ましい心理戦には全く無力だし、薬を盛られる可能性は考えてもいなかった。

 ただのお茶会だとしか思わなかった時点で、勝負に負けていたのだ。

 つきつめれば、王太子からマルティーヌを同伴しての登城命令が下った時点で、自力では対処できない状況だったのだ。


「王城とはそういう場所なんだよ。兄上がお茶会に誘った時は、私ですら冷や汗をかいたが、とにかく、君を救い出せて良かった」


 ヴィルジールもホッとしたように言った。


 ふと気がつくと、右手の親指と人差し指の腹がくっついてしまい、つまんでいたギモーヴの真ん中に穴が空いていた。

 さっきの話を聞いた後では、もう食べたいとも思わない。

 無残な姿になったお菓子をじっと見つめていると、ヴィルジールがからかうように言う。


「私が持ってきた菓子には毒は入っていないよ。新しく作らせたし毒味もすんでいる」

「そんなこと思ってないわよ」


 怯えていたことを見透かされた気がして、少しむきになって言った後、お菓子を口に放り込んだ。

 潰れて固くなった部分はあったものの、優しい苺の風味が口で溶ける。

 ほぅとついたため息と共に、肩の力も抜けた。


「ヴィルジール殿下、こちらからも少々お耳に入れたいことがございまして。実は今日、アロイスが聖教会に出向きました時に……」


 オリヴィエが聖女に関する話を切り出した。

 ラヴェラルタ家に接触してきた貴族たちや、侵入者の情報も共有する。

 ヴィルジールからは、彼がラヴェラルタ家に滞在していた間の王太子の動きや、現在の王城の様子などの情報がもたらされた。


 そして約一時間後。


 マルティーヌ嬢の見舞という口実の手前、長居ができない第四王子が席を立った。

 略式の挨拶を受け、当主に見送られて書斎の扉から出ようとしたヴィルジールが、ふと何かを思い出したように振り返った。

 彼の視線はなぜかアロイスに向けられる。


「貴殿のそのような姿は初めて見たが、落ち着いた大人の装いが似合うのだな。なかなか良い貴公子ぶりだ。辺境伯令嬢の婚約者としてふさわしい品がある」


 にこやかに告げられた不意打ちの褒め言葉に、アロイスは面食らって言葉を失くす。

 ややあって、「恐縮です」と一言答えるのがやっとだった。


 扉が閉まり足音が遠ざかっていく。


「なんなんだ。あの方は……」


 いつも冷静なアロイスにしては珍しく、かなりの動揺が見える。


「王子殿下は男も褒めるのか。なるほどなぁ、あれが社交術ってもんか」


 オリヴィエが腕を組んでしきりに感心する。


 アロイスは王子から贈られた花束や、見舞いのお菓子が入った籠をちらりと見た。

 王子のマルティーヌに対する言動と、先ほど自分に向けられた言葉を思い出す。

 そして、誰にも聞こえないような声で「完敗だ」と呟いた。

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