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「ヴィルジール殿下とマティの噂が広まった時は、面倒なことが増えたと思ったが、王族や貴族連中の状況が見えてきたから、結果的には良かったかもしれない」


 オリヴィエがテーブルから封筒を一通取り上げると差出人を確認し、ぽいと放り投げた。

 差出人は王太子妃ベアトリスの実父のミュルヴィル公爵で、王太子派の筆頭。

 封筒の中身はマルティーヌへの縁談だった。


 噂を真に受けた王太子派と王弟派の貴族らは、第四王子と辺境伯令嬢の婚姻を阻止するために間者を送り込み、縁談を持ちかける。

 過激な者たちは刺客を放つ。


 一方、第四王子派と日和見主義の貴族たちは、辺境伯家と繋がりを得ようと、夜会やお茶会の招待状を送ってくる。

 二人の息子に届く縁談や、辺境伯家への商談も、主にこういった貴族からだ。


 ヴィルジールからは各派閥に属すると思われる貴族の一覧をもらっているが、必ずしもその通りの動きを見せていないところが、興味深い。

 貴族の世界は闇が深い。


「でもさぁ、王太子派とか第四王子派が分かったって、魔王の問題には直接関係ないだろう?」


 セレスタンが不満そうに唇を尖らせる。


「いや、そんなことはない。王太子派は彼の秘密を握っている可能性がある。王太子に敵対する勢力からは、何か協力が得られるかもしれない。敵味方を把握できた方が、こちらも対策が立てやすい」

「だとしても、マティを餌にしているようで嫌なんだよ!」

「しょうがないだろ! 結果的にこうなっちまったんだから! くそっ。あのとき、無理矢理にでもマティを奪い取れば良かった……」


 オリヴィエが両手で顔を覆ってうなだれた。


 あの日、貴賓室からマルティーヌを抱いて廊下に出たのが王子でなく兄のオリヴィエだったら、派手な派閥争いに巻き込まれることはなかったはずだ。


 しかし、ラヴェラルタの男たちはマルティーヌの窮地に全くの無力だった。

 母親だけが果敢に権力に立ち向かおうとしたところに、ヴィルジールが救いの手をさしのべてくれたのだ。

 だからヴィルジールには感謝すべきなのだが、王子が可愛い妹と恋仲だとの噂が広まり、様々な弊害を引き起こしていることが我慢ならなかった。


 しかし、マルティーヌにとっては、あの時ほどほっとしたことはなかった。


「殿下が機転を利かせてくれたおかげで助かったんだから、文句言ってもしょうがないじゃん。やり方はちょっと……あれだったけど、さ」


 耳朶に残る甘い声と、今もふと香るような錯覚に陥る彼の香り、彼の腕に閉じ込められた密室感をつい思い出し、顔がかあっと熱くなる。

 とっさに、頬を両手で覆って俯いた。


 さっきまでのマルティーヌは、ドレス姿にも関わらず少年にしか見えなかったが、今は、指の間から見える赤く染まった頬が純真な少女らしく見せている。


 その突然の変貌に、アロイスがとまどう。


「おや。マルク……いや、お嬢……じゃなくて、マルティーヌ嬢。どうかしたのか?」

「ど、どうもしないよ。ちょっと暖炉の火が強くて暑い……のかも?」


 マルティーヌは顔を上げると、慌てて掌で顔を煽ってごまかした。

 それから、膝の上の小瓶の蓋を開け、中身を一粒口に放り込む。

 ヴィルジールからもらったことのないお菓子だから、彼との記憶を思い出させることはない。

 濃厚な甘みで気を紛らわせる。


「これ、ほんとに美味しい!」

「気に入ってもらえて何よりだけど……」


 アロイスはそう言いながらも怪訝そうだ。

 兄二人もなぜか不機嫌そうにこっちを見ている。


 だめだ、話題を変えないと。


「ね、ねぇ。アロイスは今日、大聖堂に行ってきたんでしょ? どうだった? 聖女様には会った?」

「ああ、会ったよ。わずかな時間だったが」

「えっ、本当に? わたしも昨日ロランと行ったんだけど、また聖女に会ったんだよ。この間、パメラも会ったって言ってたし、よく会うよね」


 チェスラフ聖教会の内情を少しでも知るために、騎士団の仲間たちが信者や観光客を装って、大聖堂を訪れている。

 建物への人の出入りは魔術で監視されているため、不審に思われることがないよう、一人当たり一、二回を限度とし、短時間で切り上げていた。

 それにも関わらず、聖女との遭遇率が高い。


 セレスタンが首を捻る。


「アロイスも会ったのか? 僕は仕事柄、何度か会ったことがあるけど、滅多に人前に出てこない人だったはずなのになぁ。ほいほい出てきたら、神聖性も何もあったもんじゃないからね」

「聖女に会えるのは奇跡のようなもんだって、バスチアンも言ってたよ。でも、わたしとロランは、二回行って二回とも会ったんだよね。途中ですっごく魔力の高い修道士が呼びに来たせいで、たいした話ができなかったけど」


 昨日も、ベレニス像の前に二人でいたときに、聖女から声をかけられた。

 再会を喜んだ老女は、その後しばらくはベレニスの話をしていたが、ふとロランに向かって何かを言いかけた。

 しかし、近づいて来る修道士の魔力を感じ取ると同時に、口をつぐんでしまった。


「ああ。私のときも、修道士が呼びに来たよ」

「アロイスも? まさかその修道士って、二十代後半ぐらいの、短い茶色のくせ毛の人だったりする?」

「そうそう、そんな感じ。かなりの魔力を持つ男だった」 

「やっぱり! あの人、聖女のお目付役とかかなぁ。聖女様が仕事をさぼっているところを、連れ戻しに来たみたいに見えたけど」


 マルティーヌの呑気な推測に、アロイスが考え込む。


「いや、お目付役というより、監視役?」

「監視?」


 聖女はチェスラフ聖教会の最高位で、セレスタンも認める凄腕の魔導師であるはずだ。

 それなのに、彼女を監視するとはどういうことなのだろう。


 しかし、確かにあの修道士は、聖女に対してかなり強い態度で接していた。

 聖女はやんわり抵抗するものの、最終的には彼の言葉に従うのだ。


「私が会った時も、聖女様は最初のうちはベレニスの話をしていたんだ。しかし突然『あなたにも高い魔力があるが、仕事は何をしているのか』と聞いてきた」

「うん。それで?」

「聖女相手に嘘をつかない方がいいと思ったから、騎士だと伝えたら、彼女はひどく喜んで私の手を取ったんだ。そして『あなたの魔力は民を守るために使って欲しい。恐ろしい災厄が起きた時には、ベレニスのように立ち上がって欲しい』と必死に懇願された」

「は? 何か変じゃないか?」


 アロイスの話にオリヴィエが困惑する。


「なんで聖女様が一介の騎士に民の救済を懇願するんだ? それは教会の仕事だろう。自分の教会で無理なら、国に請願すればいい。国の厚い庇護を受けた国教なんだから」

「私もそう思ったんだが、とりあえず『この先、何か災厄が起きるのですか』と聞いてみた。しかしそこへ、例の修道士が慌てた様子で駆け寄ってきたんだ。彼の気配に気づいた聖女様は、急に笑顔になって、何事もなかったかのようにベレニスの話をし始めた」

「つまり、修道士には聞かれたくなかったってことか」

「そうかもしれない」


 アロイスの話は、昨日の聖女の様子と一致する。

 あの時、ロランに対して言いかけたのも、きっと——。


「そっか。聖女様は昨日、ロランにも同じことを伝えようとしてたんだ。おそらく、パメラにも……」


 彼ら二人はアロイス以上の魔力を持っている。

 実際にはマルクの方が遥かに高い魔力を持っているが、さすがの聖女にも感知できず、ロランだけに興味を向けていたのだ。


 オリヴィエが「ふむ」と考え込む。


「聖女は教会を訪れた魔力の高い者に、声をかけていたってことか。でもそれは、魔力の高い修道士も気づくことだから、聖女が妙な動きを見せると止めに入る。おそらく聖教会の中にも派閥があるのだろうな。セレスは聖教会の派閥について何か知らないか」

「いや。チェスラフ聖教会は以前は聖女一強だったんだよ。魔力が高くて慈悲深く、誰からも畏れと親しみの両方を持たれていた人だからね。派閥ができたとしたら最近じゃないかなぁ」


 セレスタンは以前、王立魔術師団に籍を置いていたことがあるから、同じ魔術を扱う者として聖教会との接点があった。

 しかし、彼が領地に戻って以降の聖教会については詳しくない。


 チェスラフ聖教会がラヴェラルタ騎士団と対立するようになったのは、国教と定められ、聖結界の行使を独占して以降のことだ。

 全国の教会建物に、統一された聖者像を置き、聖結界を施して見せかけの権威づけをし始めた時期も重なる。

 極め付けは、昨年完成した、王城に連なる大規模な大聖堂だ。

 ここ数年で聖教会は大きく変貌したのだ。


 もしかすると聖女は、最近の教会の姿勢に疑問を抱いているのかもしれない。

 とすると、新興の勢力に属していると考えられるのが、あの修道士ということになる。

 これまでの両者の様子を見る限り、力関係は修道士側が明らかに上だ。


「セレス兄さまは、聖女を監視してる修道士のことは知ってる?」

「うーん。教会には魔力が強い奴が大勢いるんだよ。容姿が当てはまるのは……ジェラルド修道士かな。でも、彼は聖女の愛弟子だったはずなんだけどなぁ」

「そうか。で、聖女が言う災厄について、お前はどう思う?」

「どうって、そりゃ当然……」


 その場にいる全員が同じことを想像していると、書斎のドアが叩かれた。

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