(3)
そこにいたのは明るいグレーの修道服を着た高齢の小柄な女性。
大聖堂の中で目にした修道士や修道女らは全員紺色の修道服だったから、一人だけ別の色をまとうこの老女は地位が高いはずだ。
白いウィンプルで完全に頭を覆っているため髪色は分からないが、額や口元に皺が深く刻まれ、腰も少し曲がっているから、かなりの高齢だと思われる。
「へぇ、そうなんですね」
マルクが軽く相槌を打つと、老修道女は嬉しそうな顔をする。
「ええ。その話をすると、がっかりした顔をなさる方が多いのですが、あなたは違うのですね」
「がっかり……? あぁ、そんな人は多いかも」
そう言って、マルクはちらりとロランの顔を見た。
美化されすぎたベレニス像を信じるあまり、「ベレニス様はもっと美しい」「この像はベレニス様に対する冒涜だ」などと言いがかりをつける者がいてもおかしくない。
目の前の逞しいベレニスを、すんなり受け入れられる者の方が少ないだろう。
これまでと全く違った解釈の勇者像が真新しい大聖堂に置かれているということは、これが聖教会と王国の公式見解なのだろうか。
そもそも、勇者像が教会内に置かれることもこれまでなかった。
教会が庶民に人気の高い勇者ベレニスを利用しようとしているようで不愉快だが、目を背けたくなるほど美化されたベレニス像より、目の前のいかにも強そうな像の方がマルクにとっては好ましい。
「でも俺は、この勇者像の方が強そうで好きだけどな。彼女は魔王を倒した人なんだから、この像の方が真実味があると思う。女神のような姿の方が嘘っぽいもん」
「ほほほ。そうでございますね。わたくしもそう思います。あなたはいかがですか?」
突然話を振られ、ロランが戸惑いながら答える。
「えっと、あの……俺も、こっちの方がベレニス……というか、勇者らしいと思います」
「まぁ、あなたもそう思う? 嬉しいわ。わたくしとしては、もっと冒険者らしい服装にして欲しかったのですけど、教会に置くにはふさわしくないと却下されて、このお姿になったのですよ」
老女は愛おしそうに勇者像の台座を撫でた。
どうやら、大聖堂が新築された時に新たに作られたベレニス像の容姿には、この老女の意向が反映されているようだ。
「ベレニスは貧しい小さな村の出身でした。魔獣を狩ることで生計を立てていた彼女は、やがて四人の仲間たちと共に、魔王の討伐を志します。彼女は人並みはずれた魔力で身体を強化し、この力強い腕で鮮やかに剣をふるい恐ろしい魔獣たちを次々と倒していきます。しかし、魔王が潜むという『魔王城』への道は苦難の連続で……」
老女は勇者の崇拝者であるかのように、熱のこもった解説を始めた。
しかしすぐに、駆け寄ってきた紺色の修道服を着た若い修道士に話を止められる。
「聖女様、こちらにいらしたのですか。王城から使いの者がお見えですので、すぐにおいでください」
この男からも、背筋がぞくりとするほどの強い魔力が感じられる。
かなり実力のある魔導師だろう。
そして彼が呼びかけた言葉から、目の前の老女が聖女であることが分かる。
なるほど、聖女……ね。
これだけ魔力が高いんだから、只者じゃないと思ってたけど。
マルクは二人の様子をじっと見つめる。
「まあ。少しくらいお待たせしても、良いのではないかしら」
「だめです。お急ぎください」
「もっと皆さんと勇者様のお話をしたかったのに……」
老女は駄々をこねた後、残念そうに眉を寄せる。
そして、「本当に、ごめんなさいね。また来てくださいね」と頭を下げると、あたふたと去って行く。
側廊にある小さな扉の向こうに消えるまで、何度も名残惜しそうに振り返りながら。
「なんだろう?」
マルクが首をかしげる。
聖女の視線は、自分と話していた時もちらちらとロランに向いていたように思う。
この去り際も、彼に振り返っていた。
「なぁ、あのひと、ロランの方を何度も見ていなかった?」
マルクに聞かれてロランが考え込む。
「そうかぁ? ……言われてみれば、よく目が合った気がするけど」
「お前、何かした?」
「いや、今日初めて会ったんだし、ほとんどしゃべってもいない。気のせいじゃないか」
「そうかなぁ……」
納得はいかないが、ロランが知った人に似ていたとか、彼の寝癖のついた髪が気になったとか、その程度のことなのかもしれない。
「おい、お前ら。祈りもまともに捧げないで、こそこそ話していたら怪しまれる。ここじゃまともに話もできんから、もう出よう」
バスチアンに促され、三人は大聖堂の外に出た。
「うわ、寒いっ!」
建物内は魔術によって快適な温度に保たれていたが、外は晴れているものの冷たい北風が吹きすさぶ。
マルクは肩をすくめて外套の襟を立て、ポケットに入れていた帽子を深くかぶった。
「それにしても。ベレニス、愛されてんなぁ」
ロランがマフラーを巻き直しながら茶化した。
老女は勇者の話がしたくて仕方がない様子だった。
放っておいたら、何時間でも一人で語り倒しそうな勢いと熱があった。
「かわいらしいおばあちゃんだったね。あの人が聖女だなんて意外だな」
「俺も初めて会ったが、かなり想像と違ったな。もっと厳格で怖い人だと思ってたが、ただの熱狂的な勇者ファンだった」
バスチアンも苦笑した。
聖女はチェスラフ聖教会で最高位の修道女だ。
現在の聖女は高い魔力を持ち、聖結界術や治癒術、回復術を得意とする高名な魔導師。
多くの優秀な魔導師を育て上げたことでも知られている。
ラヴェラルタ辺境伯領の国境を護る聖結界も、彼女の弟子が手掛けたはずだから、騎士団にとっては天敵の産みの親のような存在でもある。
その聖女が、教祖である聖者チェスラフそっちのけで、ベレニスを賞賛するとは意外だった。
「でも、あのバアさんから発散されてた魔力は、えげつなかったよな。さすが聖女って感じ。ここのとんでもない聖結界もあの人が張ってるのかな」
ロランが教会を振り返って言う。
巨大な建物を、魔力を持たない者には視えない半球状の強力な結界が覆っている。
対魔獣用の強固な壁のような聖結界とは違い、善悪を判別し問題のない者だけが出入りできるようにしているのであろう高度な術だ。
この規模と難易度では、騎士団の聖結界の使い手であるパメラでは不可能。
セレスタンでも難しいかもしれない。
「聖女じゃなくても、数人ががりならやれるんじゃないか? さっきの男も、かなりの魔力持ちだったし、教会にはあんな奴がうじゃうじゃいるんだろうな」
ロランとバスチアンが真面目な顔で話し始めた。
「やっぱ、教会の攻略は難しいよな。仮に結界をかいくぐれたとしても、すぐにばれそう」
「そうだな。今日のように正攻法で正面から入るしかないだろう。ここのボスは聖女だから、なんとか彼女と接触できるといいんだが」
「かといって、何度も来るのは怪しまれるだろう?」
「ああ。来たところで、簡単に会える相手でもない。今日会えたのは、奇跡のようなものだ」
教会前の広場は芝生が敷き詰められた吹きっさらしだ。
周囲に植えられている木はまだ若く、木の葉もすっかり落ちて風除けにもならない。
しばらくじっとしているだけで、体が芯から冷えてくる。
くしゅん。
マルクがくしゃみをすると、バスチアンが我に返ったようにこちらを向いた。
「ああ、悪ぃ。近くにうちの店があるから、そこで温かいもんでも飲みながら話そうか」
三人はようやく、教会の前を離れた。




