(8)
会議室内が静まり返る。
ロランはグラスの底に残っていた水を口にしてから、話を続けた。
「死の間際だった彼は、戦果を焦って単独行動したことを後悔してた。二人の仲間を亡くして辛い思いをしたばかりだったのに、追い討ちをかけるように自分まで死ぬなんて、ベレニスとチェスラフに申し訳なかった。魔王の討伐が夢だったのに、こんな場所で、たった一人で雑魚にやられて死ぬことが無念だった。……彼の記憶はここまでしかないから、多分、ここで力尽きたんだと思います」
ロランは両手で顔を覆った。
「うん、そう。エドモンが他の冒険者パーティに発見されたときには、既に息がなかったんだ。あれだけ有能なチェスラフでも、何……もできなくて……」
マルクの脳裏にもあの日の悲劇が蘇ってきて、言葉に詰まる。
ラウルとアンナをあの荒野で亡くしてから一ヶ月後のことだった。
ベレニスは、硬いもので全身を何度も殴打され血まみれで倒れていたロランの無残な姿に、膝から崩れ落ちた。
『エドモンを助けて!』
泣きながら何度もチェスラフに懇願したが、彼は唇を震わせながら静かに首を横に振るだけだった。
「ごめん……って。彼はずっと……そう、何度も繰り返して……て。どれだけ悔やんでも悔やみきれなくて……自分の浅はかさに、後悔しかなくて。……そして俺も、もう少しで彼と同じ運命をたどるところ……だっ……た」
全く同じ状況でエドモンは命を落とし、ロランは生き延びた。
しかし、ロランは二人分の死の恐怖と後悔を背負ってしまったのだ。
「ロラン……」
シャツの袖で涙をぬぐいながら告白する彼に、マルクは隣から両手を伸ばす。
しかし、彼の姿はその場から一瞬で消え、伸ばした手は空振りする。
「うおぉぉぉー、よかったなぁ〜、おい! お前は生きて戻ってこれてぇぇぇ」
クレマンがひったくるようにしてロランの体を引き寄せていた。
ロランの下半身は椅子からずり落ちて、上半身は騎士団一の筋肉に羽交い締めにされている。
「いっ……だだだ……っ。クレマン、や、やめっ! 今度こそ、し、死ぬっ!」
「えええっ? この話の流れだと、それは俺の役目だと思うんだけど?」
マルクが行き場のない両手をひらひら振って嘆くと、周囲から笑いが起きた。
同時に「おーい、ロラン頑張れ!」などの声援も上がる。
男所帯の騎士団ではこんな悪乗りは珍しくない。
「う……お?」
拘束している方のクレマンの顔色が変わる。
ロランから感じられていた魔力が消えたところを見ると、身体強化に集中しているのだろう。
がっしりしと太いクレマンの腕が、細い手によって一本ずつ剥がされていく。
クレマンも諦めたのか、剥がされた両腕をだらりと下ろした。
自由を取り戻したロランは、先輩のすぐ脇に立って律儀に頭を下げる。
「第二部隊長殿、ありがとうございました」
これも騎士団のお約束だ。
「おう」
「ははははっ! ロランやるなぁ」
クレマンが狙ってやったのかは分からないが、ついさっきまでの湿っぽい空気は一気に吹き飛んだ。
ロランの方も、おふざけであっても部隊長を制したことで気が晴れたようだ。
その勢いのままテーブルに両手をつき、「聞いてください!」と、身を乗り出した。
「俺が戦えなくなったのはトラウマのせいじゃないんです。エドモンの記憶と一緒に、彼の動きの感覚も一緒に蘇ったせいなんです。これまでの自分の感覚と、体の大きい彼の動きの記憶がごっちゃになって、もう、どう動いてもちぐはぐになって……うまく戦えなくなっただけです」
「そうだったのか。それなら安心した」
オリヴィエがホッとしたような笑顔を見せる。
先ほど、ロランと手合わせをしたヴィルジールも、彼の戦い方の変化に納得する。
「なるほど。最初はこれまでと戦い方を変えたのかと思ったが、やはりあれは、エドモンの技だったのだな」
「はい。まだ俺の中で、うまく消化できていない……けど。でも、俺、戦えます! 今、何が起きてるのかまださっぱり分からないけど、魔王との再戦が本当にあるのなら、エドモンのためにも絶対参加したい! よろしくお願いします」
きっぱりと言い切った力強い言葉と、以前と変わらない挑戦的な瞳に、皆が安堵する。
彼はもう、エドモンと自分自身が犯した失敗を繰り返すことはないだろう。
そして、この失敗と今の固い決意が、彼を飛躍的に成長させるに違いない。
団長の顔が自然とほころぶ。
「おう。期待してるぞ」
「はい!」
ロランは力強く答えて敬礼すると、椅子に座った。
そして隣のマルクを肘でつつく。
「なぁ、マルクは記憶が蘇った時、大丈夫だったのか? 混乱しなかったのか?」
「そういえばアロイスも混乱したって言ってたな。でも、俺は物心ついたときからベレニスの記憶があったんだよ。彼女の動きの感覚も覚えてはいるけど、この体格で彼女の剣が使えるはずがないし、自分に合った剣を模索したんだ」
「そうか。だからマルクの剣はベレニスと全然違うんだな」
「そういうこと」
「でも、ヴィルジール殿下は……? どうして殿下の剣は、あれほどまでにベレニスと似ているんだろう」
「ええと、それは……」
答えに困っていると、本人が助け舟を出してくれる。
「私の剣がベレニスに似ているのは、ある特殊な事情があるんだよ」
「特殊な……事情? それは何ですか。王家に秘伝の書が残っていたりするんですか」
「いや、そんなものはない」
ヴィルジールが苦笑する。
午前中の会議の前半、会議テーブルを囲む参加者の間にメモが回された。
そこには『ヴィルジール殿下が魔王の生まれ変わりであることを、ロランに知られることがないよう、言動には注意すること』と書かれていた。
エドモンの記憶を持つロランには、魔王は凶悪な敵だという認識しかないはずだ。
不用意に王子の前世を明かすと、マルク……あのときはマルティーヌだったが、それを初めて聞かされた時のように反射的に剣を向けかねない。
ロランがヴィルジールの事情を理解するには、四百年前の真実から現在までの詳細な説明が必要になるし、それは、そのまま今回の計画にもつながる。
だから、今は伏せておくことにしたのだ。
「私の事情を今説明するには時間が足りない。団長が会議後に時間を取ると言っていたから、その時に話そう。ほら、君も早く食べないと昼休憩が終わってしまう」
「は、はい。ありがとうございます」
ロランは冷めかけたシチューを慌てて口に運んだ。
その夜、ロランには衝撃の事実が次々と明かされた。
その中でも彼の度肝を抜いたのは、ヴィルジール殿下が魔王の生まれ変わりだったこと……ではなく、マルクが女で、かつマルティーヌ嬢と同一人物であったという真実だった。
ロランは「まじか」とつぶやいた後、机につっぷしてしまい、しばらく動けなかった。




