(8)
ラヴェラルタ家の者たちが応接間を退出すると、ヴィルジールは難しい顔をして椅子に戻った。
「いかがでしたか? 随分と弱々しいご令嬢でしたが、彼女は例の娘でしたでしょうか」
ジョエルが主の顔色を伺う。
「……いや」
ヴィルジールはテーブルに肘をつき指を組んだ。
この家の令嬢は、巨躯魔狼の前に飛び出してきた娘とは何もかも違って見えた。
とはいえ、あの時目にしたのは娘の後ろ姿のみ。
しかも、切り落とされた魔獣の前足に隠されて、上半身だけしか見えなかった。
白いブラウスの華奢な肩。
背中に広がる茶色のもさもさした髪。
一瞬だけ見えた、少女の体格に似つかわしくない幅広の剣先。
少し低めの声。
粗野な言葉遣い。
しかし、マルティーヌ嬢は、このまま社交界に出しても全く見劣りしないほどの美しさだった。
髪は艶やかな金髪。
透き通るほど白い肌。
おどおどしていたものの、所作も令嬢として完璧だった。
長い金色の睫毛に半分塞がれた青い瞳は不安げに揺れ、声も消え入りそうに震え、庇護欲を煽る。
病弱のせいで社交界に出られないと聞いていたが、なるほどと納得する。
二人の間に共通点があるとすれば、年頃と背格好ぐらいだろうが、それすら、あやふやに思えてくる。
それほどかけ離れていたのだ。
「ラヴェラルタの娘ならあるいはと思ったんだがな。さすがにあんな気弱な令嬢では、魔獣が目の前に現れただけで気を失ってしまうだろう。巨大な魔獣の前足を一刀で落とすことなど、とてもできるはずがない」
「それは男でも無理かと。私でもあの獣の体毛一本、切り落とせませんでしたから」
それは、ヴィルジールでも同じだった。
彼が浴びせた剣は、ことごとく、あの剛毛に弾かれたのだ。
「そうだな。私も全く歯が立たなかった。オリヴィエほどの男なら可能だろうか」
さっきまで隣に座り、王子である自分に警戒心をむき出しにしていた屈強な男。
彼が実際に魔獣を相手にしているところを目にしたことはないが、騎士学校時代には他者を全く寄せ付けない圧倒的な強さを誇っていた。
自分も何度か剣を交えたことがあるが、まるで相手にならなかった。
騎士は相手が人間にしろ魔獣にしろ、戦闘時に魔術で身体強化を施す。
オリヴィエの魔力量は自分と同じ程度だから、戦闘力の差は、ひと回り大きい体格と剣の技術の差ということになる。
現在、ラヴェラルタ騎士団を率い、数多くの実践を積んだ彼ならば、騎士学校時代よりさらに実力は増しているだろう。
しかし、そんな彼でも単独で巨躯魔狼を倒せるとは思えなかった。
ジョエルもオリヴィエの騎士学校時代の実力を知っているが、彼も首を横に振る。
「オリヴィエ殿でも難しい気がしますね。彼に弟のセレスタン殿ほどの魔力量があれば、可能かもしれませんが」
ラヴェラルタ家の次男は王国でも指折りの魔力量を持つ魔術師だ。
先ほど、ヴィルジールの二つ隣の席に涼しい顔をして座っていたが、彼の纏う魔力は警戒心をむき出しにして、こちらに向かって不穏な揺らめきを見せており、服の下の肌を粟立たせるほどだった。
しかし、斜め向かいに座っていた令嬢とその母親からは、魔力が一切感じられなかった。
「だとすれば、やはりマルティーヌ嬢は違うな。彼女には魔力がなかった」
「そうですね。彼女は母親似なのでしょう。例の娘は、強い魔力を持っていたのでしょう?」
「いや、分からない。一瞬すぎて、そんなことを感じ取る余裕はなかったからな」
ヴィルジールはため息をついた。




