(2)
頭にはさらさらの長い金髪が乗せられ、唇はドレスに合わせたオレンジがかったピンクで彩られた。
こうなってはもう、髪をぐしゃぐしゃにすることもできないし、お菓子をつまむこともできない。
そして、時間ももうなかった。
「さぁ、完成よ! 世界中の誰よりも可憐な令嬢に仕上がったわ!」
母親がマルティーヌを椅子から立たせると、周囲から拍手が湧いた。
「お綺麗です、お嬢様!」
「いつも素敵ですけど、今日はまた清楚でありながら艶やかで、まるで女神様のよう! 本当にすばらしいですっ!」
「そうでしょう? マティは生まれついての、わたくしの自信作なんですもの。王都のどんな令嬢にも引けをとらないわ。いいえ、王国中がひれ伏すほどの美しさよ!」
母親と侍女たちが、ヴィルジール病に罹患したのかと思うほどに褒めちぎる。
ここまで着飾ったのは一ヶ月ぶりぐらいだから、なおさらだ。
女たちの勢いに、マルティーヌは思わず逃げ腰になる。
……でも。
「本当に、綺麗……なのかな? わたし」
鏡の前で体の角度を変えて全身を映してみたり、少し近づいて化粧映えのする顔を見つめるが、おしゃれに全く興味がないからよく分からない。
顔はお母様に似ているから悪くはないはずだし、光沢のあるドレスも綺麗で、エメラルドのネックレスも細工が凝っている。
でも、この程度なら、王都の令嬢たちと比べたら普通なんじゃないの?
マルティーヌは同年代の令嬢に会ったことすらないから、美の基準が分からない。
ラヴェラルタ家の容姿レベルが、平均よりはるかに高いことも知らない。
「あたりまえでしょ? あなたの美しさはこの世の奇跡よ。それを自覚なさい!」
「だってぇ……」
この一ヶ月近く、マルティーヌは騎士団副団長のマルクとして、濃緑の隊服に身を包み泥と魔獣の血にまみれて剣を振るう毎日を送っていた。
ヴィルジールは王族の肩書きを下ろし、騎士団のヴィルとして、マルクと肩を並べて戦った。
髪は刈り上げの短髪で、化粧も一切せず、薄汚れた隊服で『死の森』を駆け抜けた日々。
ヴィルジールにはずっと、そんな姿しか見せてこなかったのだ。
今さら貴族令嬢のように着飾って彼の前に出るなんて、これほど恥ずかしいことはない。
「やっぱり、無理ぃぃ〜」
マルティーヌはへたりと椅子に座り込んだ。
両手で顔を覆ってしまいたかったが、せっかく仕上げた化粧が崩れるし、白い手袋も汚れてしまうからできなかった。
令嬢って、なんて不自由なの!
もう嫌だぁー!
「いいかげん、覚悟を決めなさいな、マルティーヌ」
「だって、ヴィルジール殿下の前で、ずっと男の子の格好をして剣を振り回してたのよ! 急にこんなドレス姿だなんて滑稽だわ。こんなの、恥ずかしすぎるっ!」
「なにが恥ずかしいことがあるの? あなたはこんなに綺麗なのに。ヴィルジール殿下は、マルティーヌに会いたいっておっしゃったのでしょう? 彼はマルクではなく、令嬢であるあなたに会いたいの。だったら期待に応えないといけないわ!」
「でも、わたしは……期待に応えられてる?」
「ええ、充分すぎるほどよ。さ、立って。もう時間がないわ。あなたが先に行って殿下をお迎えしないといけないのだから」
母親はマルティーヌを立たせると、背中を押した。
今回のお茶会もこれまでと同じように、侍女のコラリーしかその場にいられない。
母親ができるのは娘を最上級のドレスと化粧で武装させ、お茶会という戦場に送り出すだけ。
「さあ、お嬢様。行きましょう」
侍女に促され、自室を出ようとした極上の令嬢が振り返る。
怖い——。
今朝までの自分との差が大きすぎる。
こんなに着飾った姿を見て、ヴィルはどう思うのだろう。
「ねぇ。本当に、わたし綺麗? おかしくない? 大丈夫?」
ヴィルジール殿下に初めて会った日以上に、不安でしかたがない。
しかしそれは、以前とは全く質が違う不安であることに、マルティーヌは気づいていない。
訴えるように大きく見開かれた青い瞳を、直後に金色の睫毛が弱々しく覆い隠す。
白い長手袋に覆われた手が、少し震えていた。
頬がほんのり薔薇色に染まっていること以外は、病弱令嬢らしい佇まいで、庇護欲をかきたてられる。
ほんの数日前まで、『死の森』で魔獣を討伐していた人物とはとても信じられない。
このまま社交界に放り込んだら、彼女自身に全くその気がなくても、あっという間に多くの男たちを魅了するだろう。
部屋に残っている侍女たちも、マルティーヌの儚げな美貌にうっとりとため息をつく。
「ええ、ほんとうに綺麗よ。ある意味、魔性の女よねぇ。今のあなたなら王子様でも落とせそうだわ。自信持って行ってきなさい」
「ええぇっ。うっかり落としたら困るんだけど……。もう、どうしたらいいのぉ……」
「うっかり落としちゃったら、相手が王子でも華麗に振ってやればいいだけよ。さあ、お行きなさいっ! 女は度胸よっ!」
「そんなぁ〜。難易度が高すぎるっ!」
最後までじたばたする娘を、母親は部屋から無理やり押し出して扉を閉めた。




