(6)
「マルティーヌ嬢が舞踏会に出席すればいいんじゃない?」
突然の提案に兄二人はぎょっとなり、慌てて否定を始める。
「何を言い出すんだ。舞踏会には絶対出ないって言ってたじゃないか」
「そうだよ。マティは社交界なんかに足を踏み入れちゃダメだよ! 悪い男がうようよいるんだから!」
「だけど、病弱令嬢が王都まで行くんだったら、腕利きの護衛を大勢つけてもおかしくないし、身の回りの世話をする使用人だって必要だろ。かなりの人数を王都に連れていけそうじゃん?」
マルクがまるで人ごとのように言うから、オリヴィエはさらに不安になる。
客観的に考えれば、この案はなかなか良さそうだ。
しかし、この計画で最も重要な鍵となるマルティーヌは、社交的にぽんこつすぎる。
「確かにそうだな。……だが、大丈夫なのか?」
「何が?」
やはりマルクは、自分で提案しながら最大の問題点に気づいていなかった。
オリヴィエが深いため息をつく。
「お前、分かってんのか? ドレスで美しく着飾って、病弱の振りをしながら、初対面の大勢の貴族の前に出て行かなければならないんだぞ。舞踏会なんだからダンスも必須だ。本当に、大丈夫か?」
「きっとマティは舞踏会に集まったどんな令嬢より、抜群に綺麗なんだろうなぁ〜」
「ああ、マティだったら当然だ。間違いなく、会場中の全ての視線を釘付けにするだろう」
「ええっ?」
兄二人が話すような状況を想像すると、背筋がぞくりとした。
そんなことまでは考えてなかった。
舞踏会に出席するという大義名分があれば、騎士団の仲間が王都に行っても怪しまれないと、単純に思っただけなのに……。
足に絡みつくドレス、バランスの悪い高いヒール、お上品な言葉使いでの上流階級の会話、貴族令嬢としての優雅な立ち居振る舞い、男性相手のダンス。
それら全てに自信がない。
会場中の視線を釘付けにするとしたら、令嬢らしからぬ大失敗をやらかした結果としてだろう。
やっぱり、今の話はなしで!
「じゃあ、王都に着いてから、病弱なマルティーヌ嬢は長旅の疲れが出て寝込んでしまったので、舞踏会には出られませんってことにすれば? そうだよ、それがいい!」
兄たちはマルティーヌが舞踏会に出ることを良く思っていない。
だから、これで許してもらえると思ったのに、ヴィルジールが立ちはだかる。
「いや、それではいくら王都にラヴェラルタの騎士を集めても、身動きが取れない。マルティーヌ嬢が舞踏会に出席するのなら、彼女自身とエスコートの者は、舞踏会会場である王城に堂々と入ることができるし、護衛や侍女、馬車の御者なども城壁の中まで入れる」
「そうかもしれないけど……ほら、王都まで行ってしまえばさ、舞踏会に出なくったって他にも良い方法があるんじゃないかな……きっと」
歯切れ悪く弁明するマルクの前で、ヴィルジールはゆっくりと腕を組み、冷ややかにに見下ろしてくる。
「こんな絶好の機会をなぜ逃そうとする。ああ、そうか。王太子が怖いのか?」
「怖い? そんなはずないだろ! 社交界なんて慣れない場で戦うより、もっと自分に合った成功率の高い方法を考えているだけだ」
王太子なんか怖くない。
怖い……じゃなくて、避けたいのは女装して舞踏会に出ることだけ。
そこを間違ってもらっては困る。
憤慨して反論すると、ヴィルジールはさらに煽る。
「王太子が魔王かもしれないのだから、恐れをなすのは仕方がない」
「だから、ちゃんと聞けよっ! 王太子のことも、魔王のことも、俺は怖いなんて一言も言ってないだろ!」
臆病者を見下すような物言いに、ついかっとなって食ってかかる。
すると彼は両手をマルクの肩に置き、今度は、幼子をなだめるように優しげに目を細めた。
いや、残念な者を哀れむ目だ。
「強がらなくてもいいんだ。いくらマルティーヌ嬢が勇者の生まれ変わりだとしても、魔王と戦った彼女と同じことをしろと言うのは酷だからな。今の魔王は社交界という『死の森』の奥地に潜んでいる。その森すら攻略できないのなら、魔王なんてとても無理だ。だから、屋敷のベッドの上で吉報を待っていてくれ」
「くそっ! バカにするな! 『死の森』だろうが社交界だろうが、攻略なんて超簡単だ!」
「だが、マルティーヌ嬢は病弱だから、舞踏会には出られないのだろう?」
「出るよ! 全然問題なく出られるからっ!」
「そうか。では、よろしくたのむ」
すっと真顔になったヴィルジールが、鷹揚に右手を差し出した。
「あ……」
彼の手を見て、一気に血の気が引いた気がした。
しまった!
また、彼にはめられた!
もうこれで逃げられない——。
妹の舞踏会参加が決定事項となってしまい、兄二人は頭を抱えて唸っている。
バスチアンとパメラは爆笑し、ジョエルとアロイスは顔を背けて肩を震わせている。
ヴィルジールに視線を戻すと、彼の口元がにやりと歪んだ。
あーもう!
その顔、ほんと腹が立つ!
「言っとくけど、ヴィルジール王子殿下のために行くんじゃない。本当に王太子が魔王なら、奴を倒すのが俺の役目だから行くだけだ」
マルクは差し出された手をぱしりと払うと、精一杯虚勢を張った。
単なる思い付きが裏目に出た感じだが、マルティーヌ嬢が舞踏会に出るのが、最上の策だということは分かる。
けれど魔王なんかより、ドレスとヒールと化粧、実戦経験のない人前でのダンスの方が遥かに難敵に思えて、正直怯む。
あと三ヶ月……いや、もう二ヶ月しかない?
一応、貴族令嬢としての教育は受けてきたんだし、この二ヶ月頑張って準備すれば、うまく切り抜けられる…………はず、だよね?
きっとやれる……いや、無理……なんて言ってられない。
自分を奮い立たせたり、直後にへたれたりしているうちに、気づけば円の中央で魔虫を焼いていた青い炎は、かなり小さくなっていた。
もうしばらくで、巨大な百足は跡形もなく燃やし尽くされるだろう。
あたりは薄暗くなり、高い針葉樹に取り囲まれた丸い藍色の空には、明るい星がいくつか見える。
「今日はここで夜を明かそう。あまり気持ちの良い場所ではないが、魔獣に襲われる可能性は低いから安心して過ごせるだろう。皆、ゆっくりと休んでくれ」
オリヴィエが指示を出し、野営の準備が始まった。




