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二十年ほど前のこと。
当時十一歳の第一王子が、『死の森』の魔獣討伐の視察に訪れた。
幼い王子に万一のことがないよう、視察には団長と副団長のバスチアン、パメラら騎士団の精鋭たちが同行し、比較的安全な森の浅い場所で小型から中型の魔獣の討伐を見てもらう計画だった。
「なのによぉ、全く魔獣に出くわさなかったんだ。当初の予定よりも奥地まで入ってみたがダメだった。どこにでもいる棘鼠すら、一匹もいなかったんだ」
バスチアンが肩をすくめると、パメラも苦笑する。
「護衛の王立騎士団の騎士も大勢来てたし、ウチの腕利きもずらりと顔を揃えていたのに、何もすることなくてさ。森の中でのんびり昼食を食べて帰ってきただけだったのよ」
「だからピクニック事件と? だが、この森で魔獣が一匹も出てこないなんてことが、ありえるのか?」
オリヴィエが眉間にしわを寄せて考えてみたものの、『死の森』で魔獣を目にしなかったことなどこれまで一度もなかった。
今回の遠征でも、一日に何頭の魔獣を仕留めたことか。
敢えて見逃した魔獣を入れれば一日に五十頭以上、多い時は百頭は遭遇している。
二十年前ならマルクが騎士団を強化する以前のことだから、魔獣の生息数も今より多かったはずだ。
「ありえるもなにも、本当に全くいなかったんだ。しょうがないから団長が『ごくまれに魔獣が出ない日もあるのですよ』と説明していたよ。それからしばらくの間、王都の奴らに『あんな平和な森を守っているのか』と暇人扱いされたんだよな」
バスチアンが遠い目をした。
「でね。王子の視察は次の年も行われたんだけど、やっぱりピクニックしただけでさ。気まずいったらなかったわよ」
「ええっ? まさか、二年続けて出なかったのか!」
「そうなんだ。まさか魔獣が出なくて肩身の狭い思いをするなんて思わなかったよ。『殿下がいらっしゃるから、魔獣も恐れ多くて出てこれないのでしょう』なんて、愛想笑いするしかなかった」
「殿下がいるから、魔獣が恐れ多くて出てこれない……?」
ヴィルジールがバスチアンの言葉を繰り返すように呟いた。
魔王にはどんな巨大魔獣も寄り付かない。
恐れをなして逃げていくのだという。
第一王子のピクニック事件も同じ状況だとしたら、つまり、彼が……新しい魔王?
マルクははっとなる。
「ヴィル、まさか第一王子が?」
「それを否定する要素は、今のところ思いつかない」
断言はしなかったが、明らかに彼は、王太子である兄が魔王ではないかと疑っていた。
「王子に同行した王立騎士団の騎士や、側仕えの誰かが原因だという可能性はないのか」
オリヴィエがバスチアンとパメラに確認する。
「そうだな。二年続けて同行した者も多かっただろうから、王子だとは限らないか……」
「いや、別の者である可能性は低い。というより、王太子がそうである可能性が高すぎる」
ヴィルジールが苦虫を噛み潰したような顔をした。
第一王子アダラール・ブリアック・ドゥラメトリア。
三十三歳。
ドゥラメトリア王妃の長子で、現在は王太子の地位にある。
国王には四人の王子がいるが、王太子と第二王子、第四王子であるヴィルジールは同母の兄弟だ。
第三王子だけが第三王妃の子だ。
アダラールは、現在病気療養中の国王に代わってドゥラメトリア王国の政を担う有能な男だ。
その地位は盤石で安泰であるにもかかわらず、王座に興味がないことを公言しているヴィルジールを一方的に敵視していた。
第二王子は病弱、腹違いの第三王子は学者気質の変わり者のため、唯一の若い芽である第四王子を摘み取りたかったのかもしれない。
「俺が巨躯魔狼に襲われたのは、帝国への極秘訪問の帰りだった。その日程はごく限られた者しか知らなかったが、兄上は当然知っていた。この話を取りまとめたのが彼だったのだからな。しかも、彼はチェスラフ聖教を国教として手厚く保護している。教会には優秀な聖結界の使い手が何人もいる」
ヴィルジールは王太子の一存で、隣国への留学と数年後の第三皇女との縁組が内定していた。
その日は、両者の顔合わせの帰りだった。
もしかすると留学と縁談が、第四王子を隣国に厄介払いするためではなく、魔獣に襲わせて殺害するために仕組まれたのかもしれない。
極秘訪問の理由を知るオリヴィエはそう考える。
「魔王と教会の魔導師が揃っていて、殿下が通る日時が分かっていれば、罠を仕掛けることは可能だな。最初からそういう計画だったのかもしれない」
国境の街道を魔獣から守る聖結界は、教会が施したもの。
教会の魔導師なら、結界内に魔獣を導き入れた痕跡を隠すことは容易だ。
第四王子の死を、魔獣による事故死として片付けることが可能だったのだ。
しかしその計画は、市に出かけていたマルティーヌが駆けつけたことで失敗する。
第四王子は生き残り、ラヴェラルタ騎士団内に疑念を残すこととなった。




