もう一人の記憶(1)
ヴィルジールが怪我をしたのは太腿だ。
その治療のため、彼のズボンが容赦なく脱がされる。
「う……わ、きゃあ」
マルクはうっかり、女の子のような悲鳴をあげ両手で顔を覆ってしまう。
セレスタンの助手として、主の足を押さえていたジョエルがふっと笑った。
「え……あ……っと、俺、向こうの様子を見てくるから。セレス、ヴィルをちゃんと治療してやってくれよな!」
ヴィルジールを毛嫌いする兄が、どんな治療を施すか不安だったが、マルクはその場を逃げ出した。
先ほどまで死闘が繰り広げられていた石の床で丸く区切られた場所に戻ると、負傷していない仲間たちが、魔虫の死骸を円の中心付近に集めていた。
この後いつものように、魔術師たちが火を放って後始末するのだろう。
「もう全然魔力を感じないから、あいつも燃えるのかなぁ」
魔術の攻撃も防御も効かなかったせいで、かなり苦戦を強いられた。
あの穴が閉じなかったら、今頃どうなっていただろう。
苦い思いを噛みしめていると、「マルク、こっちへ来てくれ」とオリヴィエに呼ばれた。
「なに?」
少し離れた場所に立っている団長の元に向かう。
「ほら、これだ」
マルクが近づくと、オリヴィエは足元の石をブーツの踵でかつんと蹴った。
そこには、円の中心に向かって、長いひび割れができていた。
「割れてるね。でも、これがどうかしたの」
「セレスの指示で、クレマンとバスチアンがこの石を割ったそうだ。その直後、あの穴が消失した」
「じゃあ、この石の床とあの穴が繋がっていたっていうこと?」
「ああ。セレスは、この場所全体が巨大な魔道具のようなものだったんじゃないかって言っていた」
「魔道具か。なるほどね」
確かに、四百年前も今も、全てはこの円の中で起きた。
昔の魔王は、この石の円の縁に沿ってできた透明な壁の中に囚われていたというのだから、何らかの術が仕込まれていてもおかしくない。
「でも、この石の床が魔道具なら、中央にあった椅子だって魔道具の一部だろ? どうして椅子がなくなってるのに魔術が発動するの? 魔王もここにいないのに」
「さぁ。俺には魔術のことは分からんが。そのことで、セレスが後でお前とヴィルに確認したいことがあると言っていた」
「魔術のことなんて、俺も分かんないよ。ベレニスだって基本脳筋だし……」
勇者の記憶を探ろうと考え込むマルクの腕を、オリヴィエがぐいと強く引いた。
「わっ!」
「……もう、あんな無茶はやめてくれ」
小さな身体を自分の腕の中に収めると、ぎゅうぎゅうに抱きしめる。
「ちょ……、リーヴィ!」
帰還した直後にできなくて欲求不満だったのかもしれないが、いつもより切羽詰まった感じがする。
「本当に無事でよかった。あいつのせいで……マティにもしものことがあったら、憎んでも憎みきれない」
二人きりだから、オリヴィエはマルクを妹の愛称で呼ぶ。
抱きしめる腕と大きな身体がかすかに震えていた。
ああ、また心配かけちゃった。
彼の過保護っぷりは、三年前に輪をかけて強くなった。
妹が勇者の生まれ変わりで、誰よりも強いことは頭で理解していても、無条件で心配するのだ。
マルクは彼の背中に両手を回し、抱きしめ返した。
「ごめん。でも、別に無謀じゃなかったんだよ? あの状況じゃ、魔虫を倒すのは無理だって分かっていたから、ヴィルを連れて逃げることしか考えていなかったし。逃げるだけなら、そう難しくなかった」
なんでもないことのように少し嘘を混ぜて言う。
確かに最初は、ヴィルジールの救出は簡単だと思っていた。
しかし、彼が毒に侵されて自力では動けなくなったのは誤算だったし、魔虫の回復も予想以上に早かった。
あのまま穴が閉じなかったとしても、捨て身の覚悟で彼を抱えて走れば逃げきれたとは思う。
けれど、そんなことを正直に話したら、オリヴィエはきっと発狂する。
妹の体を切り裂いて治療するような事態になれば、もう一人の兄も正気ではいられないだろう。
「あ、でも、アロイスには助けられたよ。魔虫の脚に首筋をやられそうになったとき、彼の矢が飛んできたんだ」
その説明に兄の体がびくりと震えた。
「そうか。アロイスが……」
オリヴィエは、ようやく腕を緩めると、魔虫の死骸の後始末をしている仲間たちに目を向けた。
その中から妹の恩人を探し出し、呼び寄せた。




