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「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください  作者: 平田加津実
第7章 『死の森』の奥地に残されたもの
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(8)

 風を切る音を追って、思わず後ろを振り返ると、鋭く尖った大針百足の脚が、じたばたしながら後方へと飛ばされて行くところだった。

 その脚が生える関節の隙間に一本の矢が刺さっている。


「やばっ!」


 少し目を離した隙に、大針百足が動き出していたのだ。


 危なかった。

 彼が矢を放ってくれなかったら、あの毒針で首筋をやられていた。


 胸をなでおろしたマルクは、矢を放った人物に目を向けた。


「ありがとう! 助かったよ。ラウ……」


 違う——。


 そこにいたのは、茶色の髪を後ろで縛った長身で細身の男。

 見慣れた濃緑のラヴェラルタ騎士団の制服の肩章には、部隊長を示す赤いライン。

 第一部隊長のアロイスだった。


 しかし、矢を射終わった後の姿勢は、もっとがっしりとした体格の男と重なる。

 今にも「これでエール一杯追加だ!」と叫びそうな。


 さっき彼は「ベレニス! 左にかわせ!」と叫んだ。

 そして俺は、当たり前のようにその指示に反応した。


 まさか。

 まさかアロイスは……。


 目を凝らして、もう一度彼の姿を確認しようとしたとき、背後にあった巨大な魔力が急激に縮小していくように感じた。


「えっ? 何が……」


 再度、後ろを振り返ると、漆黒の闇につながる穴がちょうど大針百足の胴体と同じくらいの大きさにしぼんでいた。

 次の瞬間、そこから次々と吐き出されていた巨大な魔虫の体は、見えない断頭台の刃で切り落とされたように、ざくりと切断された。

 何もなくなった空中にすがりつくように、緑色の体液が糸を引く。

 その断面は上空へと大きく弾き飛ばされ、そのまま石の床に地響きを立てて落ちた。


 蠢いていた無数の足はすべて凍りついたように動きを止めた。

 周囲に散らばる、ばらばらに切断された胴体についていた脚も全て——だ。


「まさか、穴が、消え……た?」


 中央に浮かんでいた強大な魔力は跡形もなく消え去り、周囲に充満していた魔虫の魔力も空気に溶けるように霧散する。


 石の床の上に転がっているのは、つい先ほどまで騎士団を苦しめていた魔虫の残骸。

 もう、ぴくりとも動くことのない、ただの物体だった。


「うおぉぉぉーっ!」

「大針百足を倒したぞ!」

「やった! すっげぇ!」


 周囲から大歓声が上がる。


 正確に言えば、『倒した』というのは違うかもしれない。

 魔虫を吐き出していた穴が、突然消滅し、魔虫の体が分断されたからなのだから。


 しかし、手強い魔虫を退けたことは間違いない。

 全員で粘り強く戦ったからこそ、この勝利を掴み取ったのだ。


「マルク、大丈夫か!」


 アロイスが魔虫の胴体の上を飛び移りながら近づいてくる。

 彼は今度は「マルク」と呼んだ。


 ああ、いつものアロイスだ。

 だけど……。


 マルクが彼の様子をじっと見つめていると、同じ魔虫の節の上にたどり着いたアロイスが、怪訝そうに聞いてくる。


「どうした、マルク」

「いや……なんでもない」

「ヴィルは毒にやられたのか」

「あ、あぁ。かなり毒が回るのが早い。早く連れて行かないと」


 ヴィルジールを半分肩に担いだ姿勢で答えていると、耳元で声が聞こえた。


「……も……しかして、百足は……消えた、の、か?」


 ヴィルジールの言葉は途切れがちだが、意識はまだはっきりしていた。

 周囲に充満していた魔力の消失と、仲間たちの歓声で難敵を倒したことを察したようだ。


「ああ、もう心配ない。早く戻って治療してもらわないと。動けそうか」

「……」


 彼は弱々しく首を縦に振ったが、明らかに無理そうだ。


「よし。私が彼を運ぼう」


 見かねたアロイスが、ヴィルジールのもう一方の肩を担ぎ上げようとする。

 彼も強力な身体強化術を使えるから、自分より体格の良い男を運ぶことは容易い。


 けれど、彼に任せたくなかった。


「いや。俺が運ぶからいい」


 マルクはアロイスの手を断り、ヴィルジールを軽々と横抱きにした。

 魔虫が活動していたときは、武器を手放す訳にいかなかったから、彼を肩に担ぎ上げるつもりだったが、今なら両手がふさがっても問題はない。

 万一のことがあっても、アロイスが対応してくれるだろう。


「く……そ、せめて、背負って……くれない……か」


 毒に侵され苦痛に耐える顔が、ゆっくりと横を向く。

 すでに手足の自由はきかず、首を動かすことすら難しい状態だ。


 大の男が少年の姿をした女の子に抱きかかえられるなんて、耐え難い屈辱なのだろう。


「だめだ。この方がお前の体の負担が少ない。しばらく我慢しな」

「この間の……仕返し、の、つもりか」

「は? 仕返し?」


 そう言われて、数日前の出来事を思い出す。


 英雄の名が刻まれた岩の前で、彼は、俺の涙を隠してくれた。

 お姫様だっこで。


 ぶわりと顔が熱くなる。


「なっ……何を言い出すんだよ! そんなんじゃないよ! 思い出させるな!」

「……ふ」


 向こうを向いた彼の口元がわずかに歪んだ。


「や……はり、アロイス……に」

「だめだ、俺が行くって言ってるだろ! 仕返しのつもりなんかなかったけど、せいぜい恥ずかしい思いをするがいいさ。舌を噛まないように、口は閉じていろよ」


 観念したのか、それとも力尽きたのか、口だけでなく目も閉じてしまったヴィルジールを抱きかかえ、巨大魔虫の残骸を次々と飛び越える。

 仲間たちが集まる場所に戻ると大歓声に迎えられた。


「わははは。かっけぇなぁ。囚われの王子様を救出してきたのかよ、マルク」


 バスチアンが茶化すと、周囲がどっと湧いた。


 いつもなら、二人の兄にぎゅうぎゅうに抱きしめられているところだ。

 けれど、ヴィルジールを抱きかかえていたから、オリヴィエは労いをこめて背中を叩くことしかできなかった。


「よくやった。さすがマルクだ!」

「俺が大針百足を倒した訳じゃないけどな」

「だが、誰よりも多く百足を切り刻んだのはお前だし、ヴィルを救い出したんだ。お手柄だよ」


 オリヴィエが、マルクの前髪をかき上げるようにして頭を撫でていると、「おいっ!」と、いらついた言葉が割り込んでくる。


「さっさとそいつを降ろせよ! 治療してやるからさ!」


 ぎらりと光るナイフと、解毒剤が入った小瓶を手にしたセレスタンは、落雷を呼びそうなほど機嫌が悪かった。

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