(3)
「おい、マルク! どこへ行く」
突然走り出したマルクにヴィルジールが声をかけた。
しかしマルクは、膝まで伸びた草を蹴散らし、途中に転がる魔猪の骸を飛び越え、驚く仲間達には目もくれず、蔦に覆われた大岩に向かって疾走する。
そして、大岩の手前まで来ると何かを避けるように大きく迂回し、岩の前の中央に立った。
鋭く尖った岩の頂までの高さは、マルクの身長の四倍程度。
根元の幅は高さと同じぐらいの、右上に尖った大きな三角形をしている。
彼が立っている面は、ほぼ垂直に削り取られたように平らになっていた。
以前は丸裸だった岩肌は、幾重にも重なる蔦と葉で覆い尽くされ、わずかな隙間に無機質な色が見えるだけだ。
マルクは短刀を取り出すと、目の前に絡まる蔓を水平線を描くように大きく切断した。
そして両手を大きく広げ、蔓の束を抱えこんだ。
「やあっ!」
力任せに引っ張ると、岩にしがみついていた根や、互いに絡みつく蔓がぶちぶちと音を立てて切れ、分厚い蔦のカーテンが岩肌を滑り落ちた。
そこをねぐらにしていた小さな魔鳥や虫が驚いて飛び立ち、砂や小石がばらばらと降ってくる。
「うっ! ぺっ」
砂まみれになった顔を手で払っていると、ヴィルジールが駆け寄ってきた。
「どうした、マルク。そこに何かあるのか?」
「そこは踏むな! 回り込んできて!」
最短距離で近づいてこようとするヴィルジールに叫ぶと、先ほどのマルクの動きを見ていた彼は、同じように迂回してきた。
彼の後からオリヴィエとアロイスも来ていたが、おそらく彼らも迂回してくれるだろうと考えて、マルクは岩肌に視線を戻した。
岩の頂の真下。
身長差を考えると目の高さより上のはず。
おおよその見当をつけて、岩肌にこびりついた土を落とすと、岩に刻みつけられた文字が見えた。
しかしその文字には見覚えがなかった。
「違う。これじゃない」
おそらくもっと上なんだ。
自分の身長の低さを恨みながら、背伸びをしてさらに上の土を払おうとするが、土が顔に降ってくるだけ全然届かない。
「うっ。ぷっ……。くそっ! なんでこんなにチビなんだよ!」
「ここの土を払えばいいのか? ちょっとどいていろ」
ヴィルジールがマルクが立っていた場所に割り込むように入ってきた。
彼の身長は同じくらいだ。
だから。
「ヴィルの肩ぐらいの高さだ。そう、そのあたり」
彼が指示通りの場所の土を払うと、手の下に人工的に彫り込まれたものが浮かび上がってきた。
上下に並んだ二行だ。
「何か、文字のようなものが彫ってあるな」
「そう! なんて書いてある?」
マルクがせかすが、彼は首を横に振った。
「これはドゥラメトリア語ではなさそうだ。もっと古い文字だろう。最初の五文字は同じ文字だが、俺には読めない」
「あー、もう! ヴィル、ちょっと肩を貸せ!」
「なん……うわっ!」
マルクは軽く跳躍すると、ヴィルジールの左肩に右手を置いて腕を突っ張った。
右足は彼のソードベルトにひっかけて立ち、左足は宙でバランスをとる。
マルクの思いがけない行動に、ヴィルジールは一瞬身体のバランスを崩した。
「おいっ! いきなり危ないだろう!」
傾きかけた体勢をなんとか立て直すと、彼はマルクの左足を「そっちの足もよこせ」と掴んで引き寄せ、右足とともにベルトの上で支えてくれた。
身体強化を使ったのか、もうぐらりとも動かない。
「ほら」と、岩に彫ってある文字が見えやすいように一歩前に出てくれる。
「……ありがと」
マルクはそう言うと、腰をかがめて岩壁に左手を置いた。
その手が少し震えた。
岩に刻まれた文字は一部は風化して欠け、くぼんだ部分には土が詰まっている。
それでもかろうじて読める。
仮に、読めないほどに風化していたとしても、記憶で補完して読めるはずだ。
書かれていたのは次の二行だった。
『英雄ラウル ここに眠る』
『英雄アンナ 安らかに』
「あ……あぁ、やっぱり……」
この文字は、読み書きができなかったベレニスが、同じパーティの魔導師チェスラフに教えてもらいながら刻んだものだ。
ラウル。
アンナ……。
心の中で名を呟きながら、それぞれの行の二つ目の単語を丹念に指でなぞる。
この二人もベレニスの仲間だった。
当時二十四歳で最年長だった弓師のラウルは、明確なリーダーがいなかったパーティの支柱的存在だった。
前衛のベレニスともうひとりの剣士エドモンに後方から的確な指示を出し、弓の腕でも援護してくれた。
そして、ベレニスと同い年のアンナは、かわいらしい容姿からは想像がつかないほど苛烈で容赦ない攻撃魔術を放つ、凄腕の魔術師だった。
「マルク? どうした。そこに何が書いてあるんだ?」
そう聞かれても、すぐには返事ができなかった。
ヴィルジールがふと視線を下げると、最初にマルクが土を払っていた場所にも文字らしきものがある。
何が書いてあるかは分からないが、最初の単語は上の二行と同じようだ。
「おい」
ヴィルジールが催促するように声をかけると、マルクはようやく口を開いた。
「ここに書いてある……の、は……」
しかし、そこまで言ってたところで言葉に詰まった。




