(4)
最後の仕上げとしてマルティーヌの小さな唇に紅を引く役目は、母親が譲らなかった。
迷いに迷って色を決めたあと、紅筆で慎重に色を塗り重ねていく。
「できたわ! 完璧よ! もう、どうしてこんなに可愛いのぉ」
一通り飾り立てられた娘の可憐な姿を見て、母親は感動の涙を拭った。
周囲の侍女らも、大仕事をやり終えた満足感いっぱいの表情を浮かべていた。
「マティ、ちょっといいか」
「お兄様」
視線を上げて鏡を見ると、長男のオリヴィエと、次男セレスタンが部屋に入ってくるところだった。
濃い茶色の髪を刈り上げた体格の良いオリヴィエは、黒い刺繍が施された光沢のあるグレーの上着でシックにまとめている。
マルティーヌと同じ色の髪を後ろで一つにまとめたセレスタンは、濃いグリーンを基調とした装いだ。
彼らもこの後、正式にヴィルジール殿下に会うため、正装をしているのだろう。
彼らは、鏡に映る妹の見慣れない姿に、思わず息を飲み足を止めた。
レースやフリルが盛りに盛られた鮮やかな青のドレスに、白い長手袋。
ゆるく巻かれた長い金の髪には、真珠があしらわれた銀細工の髪飾りが留められている。
上目遣いに鏡を見たその瞳は少々きつい印象だが、彼らがこれまで会ったどんな令嬢よりも格段に美しかった。
「あぁ、マティィィィー!。な、なんて、素敵なんだぁぁ!」
思わず駆け寄ろうとしたセレスタンの腕を、オリヴィエががしっと掴む。
侍女二人も「だめです!」と決死の覚悟で彼らの前に立ちはだかった。
兄二人は妹を溺愛しており、特にセレスタンはスキンシップが激しい。
せっかく、丹念に仕上げた化粧や髪が崩れてしまっては大変だ。
「だって、こんなに綺麗なんだよぉ? 間近からじーっくり見たいじゃないか! お願いだ、あと十歩でいいから」
十歩も歩けば妹に抱きつけてしまう距離だ。
不満を言う次男に、母親が娘から数歩離れた床の一点を指差した。
「じゃあ、あと三歩。ここまでなら近づいてもいいわ。リーヴィ、セレスをちゃんと捕まえててね」
「分かった」
二人が三歩前に出ると、マルティーヌは座り直して彼らと向き合った。
弟の腕をしっかりと捕らえたままの兄は、「美しいな」とぼそりと言うと、一瞬視線をそらせた。
それから、照れ隠しに咳払いを二度ほどする。
「あー、マティに今日の報告をしておこうと思ってな」
「うん。お父様から、ヴィルジール殿下がわたしを探してるっていう話は聞いたけど、その後、お母様たちにつかまっちゃって。それで、どうだったの? 全員助かった?」
「いや……残念ながら、護衛騎士二人と御者が亡くなったよ。セレスが到着したとき、というよりバスチアンが診たときには、すでに息がなかったそうだ」
「そっか……。やっぱりだめだったのね」
ある程度予想していたとはいえ、気持ちが塞いだ。
魔獣の被害に遭ったのは、隣国のザウレン皇国へのお忍び訪問からの帰国の途にあった、第四王子ヴィルジール一行。
王子と側近、護衛騎士二人の四人が助かった。
死亡した三人は馬車で王都へ送り届け、生存者は王都からの迎えが来るまでは療養を兼ねて、ラヴェラルタ家に滞在することになったという。
出現した魔獣は、巨躯魔狼をボスとする赤魔狼十三頭の群。
赤魔狼も凶暴で手強い獣だが、マルティーヌが駆けつけたときには全て倒されていた。
「ヴィルジール殿下は騎士学校の二つ後輩にあたるんだが、なかなか腕の立つ方だ。側近のジョエル殿も同い年で、彼も強い。高貴なお方だから魔獣と戦う経験はなかっただろうに、あれだけの数の赤魔狼を倒すとは、さすがとしか言いようがない」
「へぇ。リーヴィ兄様がそう言うくらいなんだから、ほんとに強かったんだ」
「だがなぁ……それでも、殿下が一人で巨躯魔狼を倒したとするのは無理すぎる」
オリヴィエがため息まじりに続ける。
「俺でも一人で奴を倒すのは無理だ。ラヴェラルタ騎士団の精鋭部隊総出で、ようやく倒せるかっていうレベルなんだからな」
「でも、あの状況じゃ、そうするしかなかったもの」
「まあ、何にしろお手柄だったよ。街道の結界は教会の管轄とはいえ、我が領地で王子殿下が魔獣に殺されたとあっては、大問題になっただろうからな。よくやった。マティ」
そう言って右手を伸ばしかけたが途中でやめた。
いつものように、妹の頭をぐしゃぐしゃとやりたかったが、届く位置ではなかったし、ギロリと睨みつけた母親が震えるほどに怖かった。




