008 ファンシーモンスター
冷たい水のお陰で、霧がかっていた頭が随分とスッキリした。呼吸も落ち着きを取り戻し、汗も少しずつ引いていくのがわかる。冷静さを取り戻すに比例して、罪悪感がひしひしと湧き上がってきた。
「ごめんね……私、完全に足手まといだね」
「ああ?」
この休憩が青年にとっては予定外だということは、明らかだった。だって、彼は時には剣を振るいながら歩いていたのに、息はまったく乱れていなかったし、今も疲れた様子は微塵もない。完全に、私の為の休憩である。
申し訳なさに身を縮こまらせながら謝れば、またもや険しい顔をされてしまった。この青年、謝るたびになんか怖いんだよなぁ。慣れてきたけど。
「あー、まァ、でも一応目的地にはついたしなァ」
「えっ、この場所に用があったの?」
そして嘘も、お世辞も言わない。
若干居心地悪そうに、視線を逸らしながら返してくれた言葉に驚いた。反射的に、キョロキョロと辺りを見回したけれど、私には歩いてきた景色の延長にしか見えない。
一体ここに何の用があるのだろう? 川だし、魚を釣りに? ……にしては、余りにも持ち物が少なすぎるような気がするけど、もしかして現地調達が可能なのだろうか。あっそれか事前に罠を仕掛けてあるのかもしれない。
そのくらいなら、私にもお手伝いができるかも! と意気込んだのも束の間。
「この場所つーか、“ユニコーンの縄張り”にな」
「ユニコーン」
って、あの、ファンタジー代表みたいな、角の生えた馬型のモンスターのこと??
予想をはるかに上回る、というか斜め上すぎた回答に思わずオウムのように繰り返す。今いる場所が「魔法もモンスターも実在するファンタジーな世界」だということは、もうさすがに受け入れてたつもりでいたんだけど……
そっか、いるんだ、ここ、ユニコーンが。あの美しい空想の生き物が。……そう考えると、なんだかちょっと、ソワソワしてきた。
そう簡単にエンカウントできるような存在じゃないと理解しつつも、やっぱりできるなら見てみたいという気持ちが、さっきよりもずっと注意深くあたりへと視線を巡らせる。だってここ、ユニコーンの縄張りなんだって。だから「もしかしたら」があるかもしれないし。
あ、でも遠目でチラリと見えるくらいでいいです。ユニコーンって結構ハイレベルなモンスターだし、なにより青年が、危な、い…………
――えっ
びっくりしすぎると、人はフリーズするらしい。声も出ない。
ただ、物凄いミラクルが起こっていることだけは、はっきりとわかった。
「別にンな心配しなくても、そうそう出て来やしねェよ。アイツらは気配に敏感だし、滅多に人前に姿を現さねェ」
「そ、そっかぁ……」
やばい、気まずい。一応返事は返したけど、動揺が隠せてない。
どうやら私の動きを「不安がっている」と誤解したらしい青年には申し訳ないが、安心させてくれようとした、そのお言葉と正反対の状況になっている件について。
……え、本物??
私の見間違い、見てみたいという願望が作り出した幻想の可能性もあるので、目をこすってみた、けど。
――いる。
小川の向こうに、リアルタイムで話題に上がっている幻のモンスター「ユニコーン」が。
まさかの出来事と、その神秘的な姿に息をのむ。ゆっくりとした足取りで木々の間から出てきたソレは、水を飲みにきたところで私たちを見つけたのか、全身を現したところで足を止めた。
不思議と恐怖は感じないけれど、戸惑いが半端ない。二重の意味で。
そもそも、まさかこんな簡単にお目にかかることが出来るとは思わなかったし、それに、なんていうか……その、ビジュアルが、想像してたのとだいぶ違う、というか……あ、でも間違っては、ない。うん。
誰が見てもユニコーンであることは確かだし、私の想像とは違っただけで、確かにあの配色に似たビジュアルのユニコーンも見たことは、ある。主にファンシーグッズ売り場あたりで。
私たちに気づいたのに逃げもせずに、じっとこちらを見つめてくる瞳に緊張が募る。
それでもさっきのダンゴムシとはビジュアルに雲泥の差があるせいか、なぜだか心に余裕があった。そもそもどうしてだか、本能が命の危険を伝えてこない。
そのせいで脳裏では自然とBGMが流れ、「もし今この手に赤と白のツートンカラーのボールがあったら」なんて妄想が繰り広げられている。誰もが一度は憧れると思う。ただ、この場合、ユニコーンと対峙するのは、青年になるわけで……うん、分が悪すぎるな。相性の前に、性別という名の壁が立ちはだかっているし。
なんて、私のオタクな部分が勝手に「もしも」を想像して盛り上がろうとするのを、必死に押しのけて、今、どうすべきかを考える。
「逃げないユニコーン」と、その「ユニコーンの縄張りに用がある青年」
――そして「青年が命綱な私」
つまり、私が今、できることは。
「ねえ」
「あ? なんだよ」
視線をユニコーンに向けたまま、小さな声で青年に話しかける。
彼は小川に背を向け、何かを探しているのか、さっきからずっとポーチをあさっていた。視界の隅で怪訝そうな表情で青年が顔を上げたのがわかった。
「私、もしかしたら君の役に立てるかもしれない」
「は?」
いや、「は?」じゃなくて。
私的には、これ、結構勇気のいる決断だったの。答えは割と簡単に出たんだけど、それでも正直かなりの葛藤があったの。……その、主に羞恥心的な方面で。
でも、残念ながらこれ以外に「未来」へつなげられる可能性を見つけられないから。青年が用のあるモンスターが「ユニコーン」だったことを、幸運だと捉えるしかないと思ったから。
折角決めた覚悟が揺らいでしまわないうちに、立ち上がる。見っとも無く震える足は、疲労からくるものなのか、それとも緊張からなのか。
「おい、まて、なにする気だてめェ」
「ユニコーンに用があるんだよね?」
「は? ……まさか」
突然の私の言動を訝しんでいた青年だが、元々勘は良いのだろう、すぐに答えをはじき出したようだった。その証拠に、驚愕の文字が表情に張り付いた。緊張が走る。青年の手が剣に触れる、その前に。
「おいっ!」
歩き出した私に、鋭い声が追いかけてきた。慌てたような響きを伴ったそれに、「大丈夫」と一つ強がりを残して、小川の向こうの存在へと近づく。
軽く揺らされたパステルピンクな尻尾にが、まるで私を歓迎してくれているように見えた。