003 なりきり青年
え、えぇ……? そりゃコスプレを楽しむレベルのファンからしたら、その“キャラ”が生きる世界観は大事でしょうけど……こんな森の中で出会った、不審者極まりないパジャマ姿の女にまで貫き通すほどですかね?
……勘弁してくれよ、こちとら寝起きだよ。そんなん、わかんないよ。設定にノッてあげるにも、起き抜けで混乱しっぱなしの頭は空回りばっかりしてるし、そもそも何のキャラのコスプレなのかもわからないので、どうしようもない。
自然と半笑いになった。だって、さすがにちょっと非常識じゃない? そりゃあ、彼のお楽しみの邪魔をしてるのは悪いと思うけれど、それでも普通、目の前にこんな状況の女が現れれば、そういうのっていったん、脇におくものでは?
どんだけそのキャラになりきってんねん。
……まあ、その衣装の作り込み具合からして、彼がどれだけそのキャラに入れ込んでるのかは、なんとなく推し量れるんだけどもね! だって、めちゃくちゃリアルだ。なんて言うか、使い込まれてる感じがする。ブーツも、手袋も、シャツのよれ具合も、不自然さが一切感じられないことに、逆に違和感を覚えるほどに。
徐々に膨れ上がっていく苛立ちを、笑顔の裏に隠す。こっちだってパジャマ姿なんだし、非常識なのはお互い様だと言い聞かせて。
「……あー、ええと、すみません。ご趣味の時間を邪魔してしまって」
「あ?」
「す、すみません……!」
出来るだけ穏便な言葉を選んだつもりだったのだけど、失敗したらしい。気分を害したらしい青年の低い声と険しくなった形相に、反射的に謝る。怖すぎて苛立ちは一瞬でしぼんだ。
「あ、あの……その、大変申し訳ないんですが、携帯を貸してもらえないでしょうか? もしくは、110番とかしていただけると、助かるのですが……」
怯みはしたけど、ここで引き下がるわけにはいかない。
どうにかして、このキャラになりきっている青年から、帰り道を聞き出さなければいけないからだ。このまま彼の“趣味”に付き合うきはさらさらない。
今はまだ明るいけど、こんな森の中で夜を過ごすなんてまっぴら御免である。タヌキやキツネならまだしも、絶対にクマやイノシシと「こんばんは」はしたくない。
私、毎朝6時に目覚ましセットして寝てるのに、なんでもう太陽がほぼ真上にあるの? 時計壊れた? だとしても、起きた場所が意味不明すぎて草も生えない。
だから他の人に助けを求めることにした。楽しんでいる彼の邪魔をしなくて済む、一番的確 で迅速 に解決できるお願いだったと思う。けれど、残念ながらこれすらも青年的にはNGだったらしい。さらに歪んだ表情が雄弁に物語っている。ねえ、だから怖いんだってば。
「はぁ? ケータイ? ヒャクトーバン?? ……アンタさっきから何言ってんだ?」
っはー……、めんっどくせぇぇええ……!!
思いっきりしかめられた顔と、変なものを見る視線、心底不可解そうな声色に、そう叫びそうになった。“なりきりレイヤー”、ここまで空気読めないもん? いや、それはない。この青年だけだ、たぶん。
そして今、頼れるのもこの心底面倒くさい青年だけだ、頑張れ私。腹を立てて去って行かれたら、元も子もない。追いかけたところで、恐らく置いていかれるような気がするし、ここはどうにか機嫌を取るところから始めるべき……?
「……ところで、その“衣装”凄くリアルですね! もしかして手作りだったりします?」
「はァ? この俺が服とか作るように見えんのかァ?」
「あ、はは……素晴らしい作り手さんが、いらっしゃるんですねぇ……ワァー。スゴイナァー、ソンケイシチャウ~」
この野郎、めっちゃムカつく……!
馬鹿にしたような、どこか憐れむような視線に頬が引きつる。こいつにゴマをする くらいなら、なんかもう一人でいい気がしてきた。……いやいや、よくない、よくないよ。耐えるんだ私。
……ところで、本当にここはどこの森なんだろうか。さっきから時折響く、動物の鳴き声が気になって仕方がない。青年と話をする方が大事だから、ただのBGMだと言いきかせて、聞こえないふりをしていたけど、さすがに「ギョェエエ!」は聞き逃せなかった。
日本にそんな鳴き方をする動物とか鳥っている? 私が知らないだけ? それとも、どこかゲームとかアニメ好きのお宅から逃げ出したヨウムくん、とか……? 無理があるかなぁ。あー、風が気持ちいいなぁ。
青年との噛み合わない会話に心がつかれてしまって、思わず現実から目を逸らしてしまった。
「つーか、アンタまさか“そのナリ”で無事にこの森を出れるとでも思ってんのか?」
「多少の怪我は、覚悟してます。御覧の通り、裸足ですし……」
「それだけじゃねぇよ馬鹿! どこの箱入りだよ、まったく……」
けれどそんな私の心情など、お構いなしに目の前の「KYなりきりコスプレ青年」は一人勝手に自分に忠実に会話を進めてくる。なんかもう、反論する気すらだいぶ奪われてしまって、とりあえず当たり障りのない返答を返したというのに。
おっとー? お次は、“馬鹿”と来ましたか。
いっそ清々しいくらいに、ストンと顔から表情が抜け落ちたのが分かった。取り繕う気は微塵も起きない。愛想? そんなもの、無限のかなたへ飛んでったわ。
真剣に話しているっていうのに、相変わらず辺りを見回すばかりで、ちっともこっちを見ようとしない青年にいら立ちが募る。そもそも人の話を聞く気ないよね? 失礼すぎじゃない?
「チッ、しょうがねェから魔力が戻るまでは、俺が護衛してやる。どんくらいかかりそうだ?」
「えっ? ……いえ、あの、お気持ちは大変ありがたいのですが、その、ご迷惑でしょうし、一瞬だけ携帯だけ貸してもらえればそれで……」
舌打ちまでしたくせに、訳の分からない申し出に、困惑が隠せない。
ご、護衛? そりゃ野生動物から守ってもらえるのは嬉しいけど、それよりももっと簡単で、あなたにとっても、私にとってももっとベストな方法があるでしょ?!
「だァら、さっきから言ってる、その“ケータイ”ってのは何なんだよ」
あーもう、やだ。この人、本当無理。
話になんない。お互いに日本語を話してるのに、こんな会話がかみ合わないことってある? あ、そっか。向こうが合わせる気がないからか! 納得だわ、くそが。
「……あの、私本当に困ってるんです。一刻も早く家に帰りたいんです。ですから、少しの間でいいんで、その“キャラ設定“やめてもらっていいですか?」
「あ゛?」
苛立ちがそのまま声に出てしまった。正直私は悪くないと思っている。けれど、明らかに機嫌を急降下させた青年を見ると、間違った選択をしたような気がしてくる。
自分の気の弱さに嫌気がさすけれど、だって「あ」に濁点がついてた。見知らぬ青年にそんな怖い声を出されて、凄まれて、怯まないでいられるほど、私は強くない。
「っ……」
だけど、ここで負けたら堂々巡りだ。
涙目になろうが、必死の思いで見下ろしてくる鋭すぎる視線と対峙する。恐らく、たった数十秒、一分はかかってないだろうその“睨めっこ”は、青年が視線を逸らしたことで幕を閉じた。
けれど勝ったとは思わない。ひと際大きく打たれた舌打ちに、心を深くえぐられた。
……なんで、こんな嫌な思いをしなきゃいけないんだろう?
私はただ、家に帰りたいだけなのに。
理不尽すぎる状況を胸中で嘆いていると、不意にガサリという音を耳が拾った。近くから聞こえたそれに、パッと顔を上げる。
もしかして、他の人!? この人のコスプレ仲間の方ですか!?
相変わらず忠実に“設定”を守って「剣」を構えている、この青年よりも話が通じる人なら誰だっていいよ! 最悪、日本語が通じなくても、ジェスチャーで頑張るから! わがまま言わない!
そんな私の切実な願いは、思わぬ方向からバッサリと切り捨てられた。
青々と生い茂る葉を容赦なく踏みつぶし、太い木々の間から現れた“それ”に絶句する。脳裏が完全に真っ白になった。
「……お、オ〇ム……?」