第35話 齟齬
夜明けを向かえた。暗い森の木々の間から朝焼けの日差しが差し込み始めた頃。森の中で見つけた滝つぼの淵でリースはローブを外し、厚手のズボンと上着を脱始めた。締め付けた拘束が外れると一気に胸の膨らみが肌着を押し上げる。
解放された胸で一度大きく深呼吸をする。
長い圧迫が解けた胸で楽に呼吸を始めると、脱いだ肌着を畳み他の衣類と一緒に重ね合わせた。一糸まとわぬ姿で器用に長い髪をまとめる上げると、咥えていた髪紐で束ねてからゆっくりと滝つぼの奥へと進んでいく。
冷たく飛び散る水飛沫がまるで天然のシャワーのように身体を濡らし汚れを落してくれる。そのまま腰まで浸かると手柄杓で水をすくい上げて身体を洗い始めた。
近くの淵ではリスが水を飲みに現れリースを眺めている。その大きな瞳には肌に着いた水滴に日が反射したリースの身体をラメ色の照らし出した姿が映りこんでいる。
しかし、絵になる程の光景に吸い寄せられたのは、何も小動物達だけではなかった。
心地いい水温にさらに歩みを進み肩まで浸かっていると、突然リースの近くで小さな水柱が上がった。振り返ると畳んで置いた衣類の側に2人の兵士たちが立っていた。
兵士たちはニヤリ顔とその醜悪な視線をリースに飛ばしている。しかも卑猥な手付きで手招きまでしてくる。まるで追い詰めた獲物をこれからどう料理しようかと優越感に浸ったような表情を見せる。
全身の産毛が総立ちする感覚と悪寒が走り、リースは無意識に後ずさりした。
「オイ、そう怯えんなよ。ちょっと話がしてぇだけなんだよ。コッチ来いよ」
「…悪いけど今手が離せないのよ。上がるまで向こうで待っててくれるとありがたいんだけど」
「そいつは無理だな。ココに居ないはずの人間を見つけちまったからな。女だからって見逃すわけにはいかねぇな」
「おうよ。怪しい、怪しい女だな。目を離した隙にどっか行っちまったら俺達がドヤされちまう」
「そうそう。だからアンタが逃げないように監視してなけりゃならなねぇ。へっへっへ、別に離れても良いが一応逃走防止にこの服は預からせてもらうぜ」
畳んであったリースの服を掴み上げまるで犬が嗅ぐかのように鼻に近づける。
「…なら、せめて後を向いてよ」
水面に頭だけ出したまま射貫くような鋭い目で睨みつけながら、全身を不快な蟲が何匹も這いずるような感覚に見悶えする。
「ああっと、手は見える位置に上げておけよ。何か隠してると思われると俺達に拘束されちますぞ。その恰好でな、それは不味いだろ、なぁっ」
小さく舌打ちをするリース。二人を睨みつけながらゆっくりと兵士達の方へ歩を進めていく。水面から胸を隠している腕がみえると一人の兵士が口笛を吹いた。
「はい、そこで止まれ。へっへっへ」
隠しきれない腕からはみ出る膨らみに、さらに汚い歯を見せて笑う兵士の視線はその一点を凝視してくる。
「ほらほら隠すんじゃねぇーよ。手をどかせ。よく見せな」
「…手をどかしてもいいけど、そうすると貴方達…後悔するわよ」
「はっ!! するわけねぇだろうがよ。むしろ手をどかさないと後悔するのはオメェーの方だろうがよ」
「ほら早く俺達に見せろよ、こっちにも我慢の限界があるんだよ」
涎と鼻下を伸ばす兵士たちは自分の股間をまさぐっている。
「はぁっ、これだから男って奴は………ちゃんと警告したわよ。もう知らないからね」
リースが大きくため息を溢すと、胸を隠していた腕を離してみせる。露わになった豊満で良形の二つの存在に二人の見開いた眼が釘付けになる。
「おおっ!! いいねぇ!! いいねぇ!!」
「ああっ、サイコーだぜ!!」
更に鼻の下が伸びるのと比例するように、兵士の股間が盛り上がり始める。その光景をリースは羞恥の顔と侮蔑の眼で兵士を睨みつける。
「いいねぇ、その美人の睨む姿はそそるぜ。なあッー!?」
隣の仲間にふと顔を向けた瞬間、男の声が止まった。そこには見慣れない男の顔があり次の瞬間。喉に強烈な一撃を食らった。
「ぐぅ…がぁ…」
息が出来ず何が起こったのかも理解出来ないまま、その場で蹲ると今度は足の踵に鈍い激痛が生まれた。
「Uuuuuuuuuuuuuuuuu!!!!!!!」
出ない悲鳴の変わりに口元から濁った唾液と泡を溢し何度も転がり回る。
「ちょっとッ!! 二人とも殺したら不味いわよ」
「問題ない。逃げられないようにアキレス腱を切っただけだ。口さえ聞ければいいからな。それに俺達の顔は見されたんだ一応眼は抜いておくぞ」
「えっ!?」
男の顔に跨るヴィノを見たリースは咄嗟に顔を背けた。同時に割れんばかりの絶叫が辺りに響いた。
「ああああア゛ア゛゛あ゛あ゛あ゛ぁぁァァァァァっぁ゛!」
悶絶する男の視界に二本の親指が押し込まれると、眼球が反転し視界が闇に閉ざされた。
それが…この男が観た人生最後の光景となった。
狩人が獲物を捕る時に最初に考える事は、いかにして獲物を捕るかだ。その方法として獲物を追跡、待ち伏せ、罠と多種多様な手段を考える。
その中で一番労力が掛からずに自分の変わりに獲物を捕まえてくるのが罠だ。音もなく気配もない仕掛け罠は、何時間も何日も獲物が罠に掛かるのを待ち続ける優秀な狩人と言える。
ただし普通に罠を作っても簡単に獲物が罠にかかるわけでもない。野生動物は人間以上に警戒心が強くそして単純でもない。だからどうしても狩りには豊富な経験と閃きのよなカンが必要になる。
そして獲物の習性と行動パターンを知らなければ話にならないし。いかにして獲物の裏をかき騙すかが重要になる。逆に同じ人間ほど罠にかけやすい獲物はないだろう。
簡単に思考が読めるし相手の注意を逸らす事など動物を相手にするより遥かに楽だ。最初にリースが水浴びをしていたのは、潜んでいる獲物をおびき寄せる為の囮。馬鹿な獲物は女の裸という単純なエサにのこのこと姿を現した結果、ヴィノという捕食者の餌食となった。
「………よく平気ね…躊躇らいもしないなんて」
着替え終わったリースは、横たわる一人の兵士を手際よく証拠隠滅《解体》しているヴィノに思わず声を掛けた。
「躊躇う必要がどこにある。躊躇う奴は死ぬだけだ」
「…そう…私は吐きそうよ…」
「なら向こうで吐いてこい。邪魔だ」
「………」
少しは気遣ったらっ、と言葉が喉まで込み上げてきた所でリースはそれを飲み込んだ。どうせこの男には何を言っても無駄だなんだと諦めるしかなった。
最初に首を折られた男は運が良かった。何故なら後の眼球をくり抜かれた男に待っていたのは拷問による尋問だったから。
しかも、使用する器具はボアの牙と森で拾った狼の頭骨という奇妙な組み合わせだ。ボアの牙が刺さり狼の刃で身体中の贅肉をこそぎ落とされる度に男の絶叫が鼓膜を震わせる。
余りの痛みに何度も失神してはボアの牙を急所に突き刺し込まれ、よけいな言葉を言うものなら石で顔を殴打しながら軌道修正をしながら尋問を続けた。
そのかいあってか後半では手を加えるまでもなく、怯えた獲物は震える声で淡々とヴィノの質問に答え続けた。
自分たちが何者なのか、ここにいる理由。誰に連れてこられたのか、その目的の詳細を細かく話し続けた。ただしコイツ等は末端の人間でしかなく、有益な情報は殆ど得られなかった。
そして必要な情報を得ると、命乞いをする男にヴィノは躊躇う事なくボアの牙を頸動脈深く突き刺して絶命させた。
これでこの死体はボアに殺され、遺体の一部を狼に食い散らかされた状態にしか見えないだろう。別の仲間が捜索に来てこの惨状を見れば殺人ではなく獣害と考える。
ヴィノの隣では真っ青な顔のリースが指で印を組んで死者に祈りを捧げている。
「未だに信じられないわね、コイツ等があのアーズヴィッツ監獄の囚人達だなんて。一番野に放っちゃいけない猛獣たちを野に放つなんて、看守達は一体何考えてるのよ」
「そうか」
「もし本当ならこの国の騎士団や司法官が黙っちゃいないわよ」
「そうか」
「…よりもよって貴族絡みなんて、ああぁ…何て厄日なのよ」
「そうか」
「くぅっ、あのねぇ、少しは状況理解できてるの!? 私達って今とんでもない状況に巻き込まれてるのよ」
「そうだ」
まるで他人後のようなヴィノの変わりない返答にリースの苛立ちが頂点に達しようとしていた。今までの人生でこんなにも会話で苛立つことがあっただろうか? 魔術学園時代のいけ好かない学友たちや、護衛任務の時に夜な夜な卑猥な言葉で迫ってきた色情狂の傭兵達が可愛くさえ感じる程だ。
「ねぇ、なんで貴方はそう他人事みたいな返事しかできないのよ。私たち今まさに命の危機にさらされているのよ。わかってるの命の危機なのよ、なのにさっきからその返事は何なのよ。よく平気でいられるわね」
「お前こそ何を言ってんだよ。所詮相手は人間だろう。向こうが俺達を殺そうとするなら、先に殺せばいいだけだ。それに人間誰しも一度は死ぬだろ。遅いか早いかの違いだ。少なくとも俺はまだ死ぬ気はない、だから先に見つけて殺す。簡単な事だろう」
「…ぁ…」
「それに、ここは俺の領域だ。森の中に入れば俺が支配者だ。心配する理由がないぞ。そんなに心配なら一つだけ確かな事は教えてやる。貴族がどんな権力を持っていようと、どんなに強い兵隊が来ようと、ここじゃぁ敵が俺を認識する前に殺せる。お前は俺が何者か忘れたのか? 俺は『スカウト猟兵』だぞ。人間なんぞ森の中にはいれば山羊よりも簡単に狩れる。特に兵士はな」
「…それ、本気で言ってるの?」
「なんだ、人間を殺した事がないのか? その等級で?」
「あっ、あるわよ。これでも、護衛の仕事で…でも、狩りだなんて…そんな風に思った事なんて一度もないわ。相手は人なによの、尊厳をもった人一人の人間なのよ………」
「一度人間狩りを体験したみろ、色々と吹っ切れるぞ」
「そんな言い方…まるで………貴方まさか………」
一瞬その場の空気が下がったような気がした。
「自分の心配をする前に、早くレッド・ダガーを見つける事を考えたらどうだ」
向けられた深く暗い双眼に、リースはゴクリっと唾を飲み込んだ。一体どんな修羅場をくぐり抜ければこんな冷たい眼が生まれるのか、いくら考えてもこの男の死生観を計り知ることは出来ないのだろうと。
「…わかってるわよ。早くコイツ等が言った死体置き場に行きましょう。日が出ている内に確認したいし、こんな森にあと2日もいるなんて気が変になるわ」
「いいや、死体置き場には行かん。連中が『レッド・ダガー』を発見した場所に向かう。恐らくそこにあるはずだ」
「そこに何があるのよ?」
「証拠だ」




