労働組合に相談に行きました2
「送ってきました」
ヨハンナは、元のカビ臭く、埃っぽい事務所に戻った。
「お疲れ様でした。では、決まったら連絡します。そして、組合員のやり取りに使える伝言草もお渡ししますね」
マルセルはそう言い、伝言草を渡した。伝言草とは、魔力を使った伝言装置である。離れていても、必要な情報を音で伝える事が出来、三日程内容も保存される。魔力の補充料金以外は無料で使えるが、やり取りできる情報量は十秒程度であるため、具体的なやり取りは手紙か電話が主流であった。
「やったー、終わった」
奥から甲高い、無邪気な声が聞こえた。ヨハンナは、声の主が両腕を挙げて伸びをしたミギョンであることを確認した。ミギョンは立ち上がると、ヨハンナに近づいた。
「ラッパルトさん、さっき選挙とかデモについてお話してましたよね。法の専門家として言うと、労働組合にそんな権限はないですからね。そもそも、経営者とかが労働者に命令するのは、労務に必要な部分のみに有効な『指揮命令権』があるからに過ぎないわけで、人が人に命令する権利なんて法律とかそれに基づいた特例でしかないですよ」
ミギョンはそう言い、棚に置かれた葡萄酒を開け、瓶のまま飲んだ。
「チョさん、私達はまだ仕事あるので、ほどほどでお願いします」
「あはは、ごめんなさい~。難しい仕事後の葡萄酒が何よりも美味しいんで」
葡萄酒は既に瓶の半分無くなっていた。ヨハンナはその小さな体で、よくその量を飲み干せるなと小さく感心していた。
「では、私はこれで」
ヨハンナはそう言い、扉の方へ向かった。
「ええ、団体交渉の日が決まったらまたお伝えしますんで」
「ヨハンナ・ラッパルトさん、安酒でいいなら飲みに行きまちょうよ~」
ミギョンはヨハンナに舌足らずに絡んだ。
「え?」
「マルセルさんやテオドール君まだ仕事あるみたいだし、一人じゃ寂しいですから。ね?」
ヨハンナは断って帰ろうと思ったが、ミギョンの無邪気な笑顔に負けた。
「少しだけなら」
ヨハンナがそう言うと、ミギョンは嬉しそうに
「よし、レッツゴー」
と言い、手元の葡萄酒を飲み干して、カバンを持った。
「ごめんなさいね、我儘に付き合ってもらっちゃって」
ミギョンは葡萄酒を飲みながら言った。
「いえいえ。だけど…最近お酒も厳しいですよね。身分証明書確認してまで二十歳未満飲ませないとか、自家用馬車等を運転する場合も飲ませないとか」
事実、店に入る際にミギョンは慣れた様子で身分証明賞を提示していた。ヨハンナの発言はそれを見ての事だった。ヨハンナは彼女が何歳か気になっていたのだが、どうやって聞き出すか迷っていた。
「ですね。私が飲み始めた二十五年前は少し飲んで運転しても何も言われませんでしたものね」
え、となると四十代半ば?だけど、肌も綺麗で、髪も艶があり、サイドテールも自然で無理して若作りしてる様子もない。自分は加齢と供に肌が荒れるようになってるのに…と、色々考えながら小さく嫉妬していた。
「チョさんは、昔から弁護士やってたのですか?」
「いえ、実は、私も元々冒険者で踊り子でした。しかし、冒険者も数が多くなり、冒険者同士でのトラブルも増えていきました。その際特に割を喰らうのは、雇われた冒険者だというのに気づいて、どうにかできないかと司法学校に入り、弁護士になったんです」
「そうだったんですね。冒険者って、どんなグループだったんですか?」
「えーと、勇者マルクって分かりますか?」
「ええ、有名ですから」
約三十年前、まだ魔界との停戦条約が結ばれていない時、停戦条約を結ぶべく帆走したのが勇者マルクと仲間たちであった。マルクは存命でありながら像も建てられ、専用の豪邸も与えられ、英雄として崇められていた。
「私、そこの冒険者だったので」
「え!?まさかの!?」
ヨハンナは酒の力もあり、驚きを素直に表現した。そして、確かに魔術に優れた踊り子が居るという話があったのを思い出した。
「ただ、そのマルクは、確かに正義の人ではあったかもしれませんが、取り分をあまり与えなかったり、私も含め女性冒険者に性的な発言や、無意味なボディタッチもしてきたんです、世間的には英雄ですが、私達にとってはクソ野郎でもあったんですよ」
ミギョンは笑顔を作っていたが、目が笑っていなかった。
「最年長で二十越した私をおばんとか言ってきたりね、あいつ死んだら暴露本書いてやるんだから、ふふふ」
ヨハンナはミギョンの思い出し怒りに怯えたが、さっきの発言で、既に頭部が剥げて、髭も真っ白なマルクよりも年上なのかなと、別の意味でも恐ろしく感じた。そして、隙を見てその若さの秘訣を聞こうとも思った。
「ヨハンナさん知ってます、マルクは街の貧しい子どもを保護するって名目でお金渡して自分の屋敷に住まわせて、裏で性的なことしてるとか」
「良いんですか、ここでそんなこと言って」
ヨハンナは周りに人がいるのを気にして言った。
「大丈夫ですよ、知ってる人も多いから。男女問わず小さい子どもにそういうことするクソ野郎なんだから、近いうちに尻尾つかんでやるんです。チ〇コハサミでもいいかもね…」
ヨハンナは酒の力で暴走するミギョンを抑えるべく、話題を変えようとした。
「チョさん、お肌綺麗ですよね。秘訣とかあるんですか?」
「化粧水と顔面運動ですよ。あのクソ野郎みたいに老け込みたくないっていう個人的な勝手で若作りしてるだけです」
ヨハンナは結局、あのクソ野郎の話題になってしまい、失敗したと感じていた。結局、ヨハンナはこの後もミギョンのマルクの愚痴をえんえんと聞かされる事となった。そして、最後にこう言った。
「ねぇ、ヨハンナさんも、怒りは吐き出した方がいいですよ。変に溜め込むと正しく怒る事が出来なくなっちゃうから。色々あったんじゃないですか?」
「ええ」
ヨハンナも、自分をクビにした冒険者リーダーの愚痴を話そうとしたが、いざとなると言葉が出てこない。結局苦笑いをして、何も言えなかった。
「まあ、難しいですよね。怒ってはいけないって教育受けてますからね、今は少し柔軟にはなったとはいえ、まだまだですし」
ミギョンは笑顔で言った。ヨハンナは何も言えず、葡萄酒を飲み干した。
「法もあって私は同行できませんが、団体交渉はそういう練習の場にもなりますからね、頑張ってください」
ミギョンはそう言い、ヨハンナの両手をつかんだ。そして、子どものような瞳でまっすぐにヨハンナの目を見た。ヨハンナは、近くで見てもミギョンが自分の親と同じくらいだと信じられなかった。
ヨハンナは酒をしこたま飲み、ふらつきながらも迷わず自宅に戻った。
ヨハンナはベッドに横たわりながら、木目の天井を見ていた。
これまでの戦いといえば、スライムやドラゴン等のような、人とはかけ離れた存在との、武器や拳や魔法を使った、云わば教科書のあるような戦いだ。しかし、今度は違う。団体交渉の方法は教えられた事は無い。そもそも、子どもの頃から権力者には逆らうな、理不尽な規則でも偉い人が言うなら従えと教えられてきた。ヨハンナは眠れず、まだ残っていた棚の安酒をぐっと飲んだ。