熱を逃がす。
思ったより長くなりました。
この夏、背中から熱が逃げるとよく睡れることにやっと気が付いた。
平熱が低く、冷え性で、爪先の冷えで目が覚めることが度々あるからいつも温めて睡るように努めてきたけどどうもそういうことじゃないらしい。
体温が下がるタイミングで眠気がやってくるのは知っていたけど、冷えを気にして結局温める方を選んできた結果、四季折々常に不眠症気味の日々を過ごしていたらしい。
最近緩やかに睡れるようになってきた理由も冷え性に効くからとお白湯だのなんだのを続けた結果だと思っていたけどそれは違ったらしい。
朝一番に摂る水分も就寝前最後の水分もお白湯にして結構長いこと経った。まあお白湯はあくまでも老廃物を出す為等々の理由もあって始めたから熱が下がるまで時間が掛かろうと一応続けるつもりでいる。
そして、この夏、体温がこもらない寝具を使ってみたところ、たちどころに寝付きが良くなった。床について二、三時間は寝返りを打ちながら止まらない考え事で脳が疲労して気絶するような寝方をしてきたのに、子どもの頃のような眠気、微睡み、深い睡眠、起きた後の回復の実感を十何年か振りに味わって喜びよりも怒りと悲しみがやってきた。
こんなことでこんなに睡れるならもっと早く、と思ってしまった。頭痛薬やら何やらに頼りながら毎度睡る前に睡れるのか不安になりながら睡眠と向き合った時間は何だったんだろう、とすっきりした頭と身体でちゃんと、やっと、解決策のない不定愁訴や不眠症に怒ることが出来た。怒ることすら出来ないまま、振り回された日々は私が思うよりずっと精神を蝕み、そのこと自体に慣れきって、怒る対象にすらしてこなかったことに気付いた。
私はいつも私の不遇に慣れて、二人三脚で歩いてしまう。一生付き合うものだと思って、自分自身より大切にして、あらゆる時間も思考も割いて向き合ってしまう。逃げてもいいし、無理もしていいものとは違うと思ってきてはいたが、他人がそういう言葉を掛けてくる度に違和感や、はっきり言うと不快感を覚えていた。でも、向き合って解決する訳でもないならなあなあに付き合う位でよかったし、今も今まで言われてきた他人からの言葉に違和を感じてはいるけど、その方が良かったんだろうとほとんど確信している。
ただ、それらに割いた時間で決定的に色んなことが違っていったことはほぼではなく、間違いなく、そうだと思っている。
心身の不具合、人嫌い、どんな社会に対しても不適合な自分が身体の中で摩擦を起こしてそれを燃料に行かなくてもいい領域まで真っ直ぐ飛んでいって燃料から切り離されて単体で戻れない場所に居るのは確かな実感がある。
小さい頃から箱の中に居るような気持ちで生きてきた。ほんの少し軽く生まれて保育器に入り、幼児期はなんとか元気に、小学校に上がる頃にはやんちゃというより粗野で粗暴な子ども時代を過ごしたが、それも大して続かず八歳の頃には後に罹患していた事が分かる病気の症状が少しずつ表れ、休みがちになり、家に居ることが多くなっていった。原因が分かるまでは自律神経失調症等々の病のダストボックスと呼ばれる名前を当てられて大した治療らしいことはされなかった。病名が分かる頃には、私はすっかり健康ではないことに慣れきっていたし、元々馴染めない仕組みが多々ある学校に行かないことの方が日常になっていた。
病名が分かり、凄まじい加速度で入退院を繰り返す薄幸の少女そのもののような生活をしているうちに、自分の性分が分からなくなっていったのを今も思い出すことがある。か弱くはなかったし、守られるキャラクターではなかったのに気付いたら同級生の誰よりも身体の弱い子、という共通認識になっていった。
他人から決められた役割や抱かれた印象に押し負けて私は粗野で粗暴な頃の私を引っ込めた。反抗期や思春期の類も体調の悪さからくる何も出来ない状態の身体を奮ってまで暴れるまでにはいかなかった。後々、こういうものは澱として溜まるもので、大人になった今も残滓がある。大抵、怒りの発露をしなかったツケは高いものなんだろう。
頭に血が昇り、思ったままに行動して後悔したことも山程あるし、手や足が出たこともある。もうさすがにそんなことはしたくないが、身体にこもった熱は逃がさないと焦げ付いて器に取れないものを残す。
最近頭にきたことももっときちんと気が済むまでやるべきだったと思う。
こればっかりは切欠次第なので、再燃させるような火種を向こうから寄越したならば、よく睡れるように然るべき発散をする気でいる。
時間帯はともかく、よく睡れるようになってきました。