馬車
「はぁ、はぁ、はぁ……間に合った!」
ミリティアの悲鳴は外まで聞こえていた筈と少し不安であったが、客のいない時間帯だったことが幸いしたのだろう。店の入り口に野次馬の姿はなく、さっきの御者らしき人物が店の中から出てくる様子もない。
「ミリティア、馬車の中に! 僕は御者台に、っぐ」
一っ跳びで飛び乗ろうと跳躍したが、流石貴族の馬車と言うべきなんだろうか。
「うう、御者台高っ」
「‥‥ヴァルク」
跳躍の高さが足りず蛙のように御者の足場に手をかけてへばりつく羽目になったが、これが初めてなのだ大目に見てほしかった。
「っと、と、ミリティア、出しますよ?」
何とか御者台に自分の身体を持ち上げ、座り込んだ僕は何事もなかったように声をかけた。時は一刻を争うのだ。ミリティアの視線に凹んでいる暇なんてない。確かにあれはカッコ悪かったとは思うけれども。
「飛ばしはしませんが、舌を噛まないようにしてくださいね。はいっ」
もうずいぶんご無沙汰だが、馬車の乗り心地に関しては覚えがある。念の為に忠告してから馬を出発させる。
「いつでも出られるようにしておいてもらって助かりましたね」
本来ならミリティアが食べ終えて出てきた時に待たせず出発できるよう御者の人が行った気配りが、こういう形で役に立ってしまうのはあちら側としては皮肉でしかないのだろうけれど。
「さてと、ほぼ無計画の出発になりましたが、問題はやっぱりミリティアの見た目ですよね」
お忍びとは言え、貴族の令嬢なのだ。服は上等なモノであるし、町娘と見間違われるようなことはないように思える。
「うーん、女物の古着を手に入れられれば良いんですけど、この足で古着屋に寄ったらまず間違いなく追っ手の方にも情報が行きますよね」
ムレイフさんと合流してからムレイフさんに単独で街に戻って買ってきてもらうというのも一つの手ではあるが、それだと合流までどこかで待つか追いつける速度で進む必要が出てくる。
「あそこは使えない」
紙屑を燃やした場所は、煙が立っていた上に、僕は街の外に出る時にごみを焼却処分すると話してしまっている。ムレイフさんの存在を知らなければ、そんな場所にもう一度立ち寄ると追っ手が考えるとは思えないが、一つでも僕の手掛かりを得るためにと調べに来る可能性までは除外できない。
「ヴァルク?」
「ああ、すみません考え事を」
馬車の中の訝しむ声に答えつつ、僕は再び唸るのだった。




