想定外の結末
「外だ」
あの男の部下の姿を見かけることは一度としてなかったが、それは僕が見つからない様身体を低くして屋根の上を這っていったからだ。こちらから見えるなら、あちらからだって見える。そういう状況を避けてきただけであって、かなりの綱渡りだったのだと思う。
「ありがとうございます」
役目を終え消滅していく紙人形に礼を言うと、念のため前方、つまりスラム地区の外縁部に接した通りを確認する。
「うん、大丈夫そうですね」
僕を追いかけまわした連中の姿も、行く手を塞いだ盗賊ギルド所属と思しき連中の姿も存在しない。
「まぁ、あれから一晩経ってる訳ですし」
油断するわけではないが、こんな時間に待ち伏せていたら、それこそ異常だろう。奥を追いかけまわしていた方なら、衛兵に捕まっているなら一晩くらいは牢の中だろうし、捕まっていないとしても騒ぎを起こしたことで衛兵に追われてるであろう連中が外を出歩いてる可能性は低いと思うのだ。まして、こんな夜明け前に。
「もっとも、注意しなければいけないのはその二組だけじゃありませんし」
スラム地区を出たら安全かと言うと、まったくもってそうではない。スラム地区の外とは言え、スラム地区と接している部分なのだ。普通に考えれば治安が良いはずもなく、しかも今はまだ日も登っておらず東の空が白んではいるものの、昼間に比べれば暗い。
「犯罪者がうろついてておかしくない状況なんですよね」
油断して路上強盗とかに襲われでもしたら笑えない。
「まぁ、こんな汚い格好の人を襲ってくる路上強盗が居たならの話ですけど」
屋根を体でえんえん雑巾がけするはめになった僕の服の前面は真っ黒に汚れており、手も同様に真っ黒だ。
「煙突掃除の仕事をしてもこうはなりませんよね」
不自然なほど身体の前面だけが汚れている。
「今が人気のない時間でよかったと思う少ない点、かな」
言いつつ僕は服を脱ぐと畳んで脇に抱える。
「さてと。流石に下は脱ぐわけにはいきませんけれど、些少マシになった筈。問題は――」
現在地がどこなのかわからないということだ。
「そりゃスラム地区がどの辺りにあるかは、概ね解かってますけど……」
白み始めた空が東と言うことは変わらないので、スラム地区の南側に面している場所だとも思うが、そもそも僕はスラム地区に近づいたこともなかったため、この辺りの地理にも詳しくない。大まかに宿がどっちの方向かぐらいは解かるが、おおよそそちらであろうと思われる真正面にあるのは、道ではなく建物なのだ。
「まず回り込んで、向こう側に行く道を探して――」
道があれば良し、だが、なかった場合は引き返すのか、それともある道を進んでできるだけ目的の方向へ進んでゆけるようにしてゆくのか。
「知ってる場所に出る前に迷いそうな気が」
「おい、そこのお前!」
するんですがと続ける前のことだった。
「え?」
「こんな時間にこんな場所で……しかも上半身裸で何をしている?」
「あ」
呼び止められ、振り返った僕は自分の身体を見て、声を漏らした。言われてみればこんな時間に半裸は少々問題だったかもしれない。
「これには事情が」
「そうか、事情か。では詰め所の方でその事情とやらを聞かせてもらおう」
どこまで説明したモノかと考えながら言葉を紡ぐと、僕に声をかけて来た衛兵は言う。
「あ、はい」
想定外の展開だが、逆らうつもりはなかった。むしろ道もわからなかった手前、幸運だとも思う。衛兵に連れられた僕を襲おうとする犯罪者は居ないだろう。あのシャロスと言う男の部下が追ってくることもないと思う。一応この衛兵が買収されてる危険性こそ残るものの、現状は可能性でしかない。何の関係もない普通の衛兵だった場合、逃げれば後ろ暗いことがあったと見られるだろう。
「それに」
仮に逃げることに成功しても、この辺りは全く不案内なのだ。再び捕まって立場が悪くなるよりは、ここはおとなしく従うべきだと思う。逃げるとしても、詰め所に連行されずスラム地区の方にこの衛兵が誘導し始めてからとかで遅くない。
「さ、こっちだ」
「あ、はい」
スラムとは逆の方角を示す衛兵に応じつつ、僕は片腕をつかまれたまま歩き出した。