無力
「ねぇ、お外の事……お話してくれる?」
打ちひしがれて、どれだけ俯いていただろう。ふいにかけられた声に振り向くと、横たわった少女が目を開けていた。
「寝て――」
寝てなくていいんですかという問いと、寝てなきゃ駄目じゃないですかと窘める言葉、両者がぶつかって僕はそれ以上言葉を紡げず。
「わかりました。ただし、一つ話を聞いたら寝てくださいね。次の話は起きてからです」
かわりに沈黙を挟んでから、気づけば条件付けで少女のおねだりに応じていた。次なんて、あるはずもないのに。
「ありがとう、お兄さん」
「気にしないでください」
気が滅入っていたところだ、気分転換ぐらいにはなるでしょうしと自分を納得させ、苦笑した僕は語りだす。
「この話は僕が人に聞いた話で、又聞きと言うか、実際に体験したわけじゃないんですけどね」
そう前置きしたのは、僕の体験談を話すより家庭教師の先生が話してくれたことの方が聞いていて楽しいと思ったからだ。
「僕に色々なことを教えてくれた人が居まして、その人は昔、旅をしていたそうなんです。この国の外に出たこともあるそうですよ」
そんな広い見識を持つがゆえに僕の実家に家庭教師としてあの人は雇われた。
「旅と言うのはいくつもの驚きに満ち溢れている反面、時として危険で――」
旅立ちから旅の終わりまですべてを語っては日が沈むどころか明日の朝になってしまう。だが、先生はいくつものエピソードを小分けにし、授業の合間に話してくれ。僕としては先生の話をチョイスしたもう一つの理由として、その小分けにした部分もそっくり失敬してしまえば、纏める必要もないからでもあった。
「そも」
僕の体験談だったら、貴族の子息としての暮らしと日雇い労働者としての暮らしのどちらかにしかならない。過酷な状況にある目の前の子に恵まれていた頃の話をできる程、僕の面の皮は厚くないし、日雇い労働者としての生活は期間も短く、面白いとも思えない。
「そも?」
「あ、ああ、こっちの話です」
すみませんと我に返った僕は少女に謝り、話を続けた。峠道から見下ろす眼下の雄大な眺め。真夜中、獣の襲撃を警戒し火を囲みつつ見上げた空に広がる美しい星空。
「お星さま、最後に見たの……いつだったかな」
「最後?」
このスラム地区からでも外に出れば星空は見えるのでは、そんな風に思った僕に少女は首を振った。
「夜は危ないの。夕日を見るのもダメ」
「え」
驚く僕に少女が話す言葉を僕なりに解釈すると、治安の悪いこの辺りでは夕方出歩くのも自殺行為とそう言うことなのだと思う。
「お姉さんがそう言ってたから」
「お姉さん?」
「うん。本当のお姉さんじゃないけど、わたしにいろいろ教え……けふっ、こほっ、こほっ」
頷いた少女は急に咳き込み。
「あ、と、とりあえずもう寝ましょう。約束通り、お外の話をちゃんと話しましたから――」
無理をさせて聞き出すつもりなんてない。僕はちょっとうろたえつつも少女を促して。
「うん。……ありが、とう」
起きたらまたお話してねと続けた少女が寝入るのに少し時間がかかったのは、何度か咳き込んでいたからだろう。
「くそっ」
何もできていない。外の話をしたことで、かえって興奮させてしまったから咳が出たとも考えられる。だというのに、少女に僕は助けられた。今の話を聞かなかったら、僕は夕方なら大丈夫だと外を歩いてスラム地区の出口を捜すという自殺行為をしていたところだった。
「ならせめて、何か報いる方法は……。ストレージの中に医学書は……あったとしてもど素人の僕に理解できるかが……」
仮に理解できたとしても、医療具や薬は僕の技能では用意できず、状況を好転させる材料になるとは思えない。
「何か、何かないか……」
自分がどれだけ恵まれていたかを、短い時間で僕は思い知らされた。僕を蔑んでいた日雇い労働者たちが今の僕を見たら嘲笑うだろうか。指をさしてざまぁない、と。