廊下を歩き
「ふぅ、んんっ」
用も足してすっきりしたはずなのに身体が軋む気がするのは、延々横たわっていたからだろうか。僕は肩をほぐすように腕を回すと、トイレを出て廊下を歩き出す。
「とは言え、のんびりしすぎると夜になってしまいますし」
今いるこの街には治安のあまりよろしくない場所もそこそこあるし、ギルド利用者である日雇い労働者の幾らかは明確な敵と言ってもいい。街中で遭遇すれば面倒なことになる。
「ただでさえ足を向けづらい場所があるのに」
そこに暗くなってから向かうなどもはや自殺行為だ。
「袋を購入できそうな道具屋で、安くて品も良いところはギルド利用者も結構足を運ぶんですよね」
さらに言うなら、その手の店は日が落ちると店を閉めてしまう。ランプの燃料になる油の節約とか損な理由なのだろうが、安価で品を提供するための努力だとすれば、何で夜は店を開いていないんだとはとても言えない。
「日が落ちる前に本を出来るだけお金に変えて、閉まる前に店にたどり着かないと」
出所を詮索されると拙いので、一つの古本屋で売れるのは一冊だけ。一冊なら元の身分を説明すれば屋敷を追い出される時に持ちだした自分の物とかで説明もつくだろう。
「気がかりなのは、古本屋同士で横の繋がりがあった場合ですけど」
Aと言う店で僕が本を売ったことをBと言う店を営んでいる店主がAの店から聞き、Bの店でも僕が本を売っていると、逆に一冊だけ本を売りながら古本屋を回る怪しい奴と認識される恐れがある。
「誰かに売るのを頼まれたと言う名目で一か所の店で売ろうにも、取り出した本に統一性がないからちょっと説得力に欠けるんですよね」
例外はあのいかがわしい本たちだが、えっちな本をカウンターに積み上げて買い取りをお願いする様な勇気は僕には無い。
「そも、複数の本は『どこに持ってたんだ』ってツッコまれること請け合いですし」
一冊なら荷物から取り出しても怪しまれない。一冊ずつ売ろうと考えたのは、単なる思い付きではなくいろいろ考えた結果なのだ。
「土壇場で変更してもボロが出るだけですよね」
怪しい奴と認識される恐れがあることにはこの際目をつむるか。
「一時しのぎ的なモノですし、情報が伝わる前に一度だけ売るということなら、情報が先回りして訪問先で追及されるってことはない筈」
逆に言うと、この手段が使えるのは今回っきり、生活費を稼ぐには別の手段を見つける必要があるが。
「あの店主さんのところでお世話になるなら、その辺りの問題は考えなくてもいいですし」
行動を制限されてしまうことには、少々不満もあるが、あの店であれば、ひょっとしたら婚約者のことも何か知ることができるかもしれない。
「つてを使って連絡してくれとかそんなわがままを言う気はありませんけど」
侮蔑されようが、憎まれようが、黙って居なくなってしまったことは事実。
「謝罪なんて自己満足でしかないでしょうし」
それでも、何らかの形で伝えたいことがある。聞きたいこともあるが、問いを投げて答えを望む資格なんて今の僕には無い。
「って、これってときどき話に聞くストーカーってやつなんじゃ」
ふいにそんなことも思ったが、敢えて考えなかったことにする。
「い、今は余計なことを考えてる余裕なんて欠片もないですから」
まずは古本屋だ。現状ではっきりどこにあるかが解かっているのは、冒険者ギルドで受けた仕事で半日だけ手伝ったことのある店だけだけれど。
「確かあれは店員さんが腰を痛めて寝込んだ時の代理だったから、また腰を痛めてるとギルドから誰か派遣されてる可能性があるって危険性もあるんですけど」
今回は客としての訪問だ。僕に嫌がらせなどしようモノならそいつの仕事の方の評価が酷いことになる。
「自分で仕事をふいにするような事までして僕に何かするってのはありえませんよね」
僕がそいつなら出来るのはせいぜい陰口を言うぐらいだ。表向きはほぼ何もせず、見聞きした情報を仲間に流して後日、馬鹿にするネタに変えるとかそんなところだろう。
「もっとも、僕の売った方が高価だと話は別、かぁ」
日雇い労働者には手癖の悪い奴もいる。冒険者ギルドの信用問題になるので、仕事先でやらかせば一発で馘首、出入り禁止になった上、衛兵に身柄を引き渡されるだろうが、そんな当然のこともわからない輩がたまに居るのだ。
「ついでに言うなら、日雇い労働者間での窃盗に関してはギルドは関知しないんですよね」
被害者が技能もちの看板労働者だったり、窃盗ではなく強盗で被害者が亡くなったりしたら話は別だが。




