もう少しだけの努力
「店主のつてでミリティアに伝言を届けてもらおう」
そんな身勝手で大それたことは考えてはいない。後ろめたく思いながらもできるだけ記憶に登らせるのを避けて、今日ここまで来た。言うまでもなく、怖いから。
「ヴァルク・コゾン・ワイゼガルド」
もはや名乗ることのできなくなったその名と共に色々と失ったが、一平民としてローズフォレス家の近くに足を運ぶことは可能だった。
「結局僕は逃げてばかりですね」
見上げた空が青い。同じ空の下にミリティアも居るはずで。
「もう少し、もう少しだけ――」
申し訳なさと後ろめたさが、僕の気力を振り絞らせる。宿に向かう足が少し早くなる。お腹いっぱい、まともな料理を食べたのだ。気力はともかく、体力面では充実している。
「一日、今日一日」
もう音を上げず、ひたすら熟練度稼ぎに励もう。所持金が尽きるまでと言えないわが身が情けなくはあるが、口にしたら嘘になってしまいそうな気がしたから。
「ただいま戻りました」
何の挨拶も返ってこないことに少しだけデジャヴを覚えながら、僕は宿の従業員に内職を再開する旨を伝えて部屋の鍵を受け取った。
「あ」
「何か?」
「いえ、こちらのことなので」
部屋の中の紙屑の山のことをここにきて思い出したが、訝しむ従業員に何でもないことの様に頭を振って背を向けた。紙屑も何とかしなければいけないが、内職すると言った直後に部屋を出るのは不自然だ。
「用を足すとかで部屋を出たついでに――」
外に出てどこかで袋を調達、内職で作った品を持ってゆくと言う名目で紙屑を詰めて運び出すとかするしかないだろう。廊下を歩きつつそんなことを考え、ポケットに突っ込んだ手の中で紙屑を取り出す。
「今のところ、変化なし、ですね」
英雄譚じゃあるまいし、決意を新たにしたから何か良い変化が起こりましたなんてご都合主義が起こるはずもない。当然と言えば当然なのだが、どこか甘えがあったのか、心の中で密かに落胆している僕がいて。
『熟練度が規定値に達しました。ストレージを開放します』
「え」
唐突に脳内に浮かんだ文字に、思わず声が漏れた。
「すとれーじ?」
反芻して脳内に浮かんできた説明によると、ストレージとはここではないどこかに僕の取り出したモノを一定数しまっておける技能の一部であるらしい。しかも、内部にしまって使用しているだけで微量ながら熟練度が上昇するとのこと。
「すみませんでした」
ご都合主義なんて起こる訳がないと声に出さず愚痴ったことを僕は詫びた。我ながら現金なモノだけれど、これで紙屑の山の問題が解決しそうな上に熟練度稼ぎの効率も上がるのだ。
「やりましょう」
さっそくポケットの中の紙屑をストレージに収納して、足を止める。いつの間にか、部屋の前まで来ていて、ポケットに突っ込んでいない方の手には部屋の鍵がある。
鍵を開け、部屋に入ると僕はストレージから先ほどの紙屑を取り出す。
「まずは実験ですね」
代わりに紙屑ではなかったモノの価値もない未完の小説原稿をストレージへとしまってみる。
「普通に考えるなら、復元成功した品の方が紙屑よりしまっておいた場合の熟練度上昇率が高くなってもおかしくはない筈ですよね」
もともと微量らしいので、差があっても知覚できる保証はない。
「それとストレージの容量も確認しておかないと」
ここに山になったモノから紙屑をしまってどこかへ処分しに行くとするなら、これは確認しておかなければいけない点だ。
「一つ、二つ、三つ、四つ……」
カウントしながら紙屑をしまい、同時進行で技能によって復元に失敗して生じた紙屑も取り出してゆく。
「うん」
先は長く、同時進行は面倒なはずだというのに逃げ出す前と気持ちは全く違っていた。新しいことができるようになった達成感のおかげかもしれない。
「少なくとも僕の技能は成長できるんだ、だから――」
不可能じゃないと自分に言い聞かせるように呟いた。