婚約者
途中保存できない為、短めですが一旦投稿しておきます。 加筆するかも。
(追記:加筆完了しました)
「少し時間を頂けますか?」
店主の申し出に僕は、即答は避けた。あと数日で行くあてすらなくなりそうな僕には魅力的な話だったが、この店で即座に世話になるということは、ただひたすらに熟練度稼ぎをするという予定を変えるということでもある。自分の事だけを考えるなら、申し出を受けるのがベストだろう。だが、それでは熟練度稼ぎの効率は落ちる。熟練度を稼ぐことで成長した技能に賭けて公爵の暗殺を阻止しようとするなら、申し出を受けるのは間違いだ。
「ああ、構わないよ。突然の話だからね」
「すみません」
僕が躊躇した理由を恐らくは別方向に誤解しながら気遣ってくれる店主に軽く頭を下げ、心の中で嘆息する。どっちつかずだ。店主の申し出てくれた安定した生活を手に入れ損なうのも、公爵が暗殺されるとわかっていながら何もしなかった卑怯者と呼ばれることも、公爵が暗殺されて生じるであろう騒動で誰かが傷ついたり不幸になるのを見るのもどれもが怖くて、すぐに決断できなかった。
「では、僕は一度宿に戻ります。ご馳走様でした」
熟練度稼ぎから逃げ出してきたくせに、と声には出さず自分を罵りながら店主に礼を言って席を立つ。
「いやいや、うちで働く気になったらまた訪ねて来てくれ」
「はい。 昼食、ありがとうございました」
もう一度頭を下げた僕は飲食店を後にし。
「ローズフォレス家、か」
反芻してここではないどこかに向けた意識は過去へと飛んだ。
◆◇◆
「ヴァルク! まだ技能に目覚めないらしいわね」
信じられないと呆れた様子を隠さず僕に視線を投げつけたのは、一人の少女。淡い金髪を波打たせ、暗い青色の瞳を僕に向ける少女の名は、ミリティア・コゾン・ローズフォレス。貴族の姓の初めにつくコゾンの称号を冠する子爵令嬢であり、僕の婚約者であった。
「あ、うん……」
明らかに非難する態だが、技能に目覚めていない僕としては頷くしか出来ず。
「うんじゃないでしょ! このまま技能に目覚めなかったら恥をかくのはあなただけじゃないのよ? あなたの実家も、ご両親も、そして当然私だって恥をかくんだから!」
険しい表情で非難する婚約者に、僕はただ耐えるしかなかった。ミリティアの言に何も間違っているところはないのだ。現在の僕の年齢で技能を得ていないというケースは貴族であればかなり少数派。『生まれてくる子供に効能を発揮する技能の為、妊娠するまで技能に目覚めなかった』なんて条件を満たせないから技能が目覚めていなかったというケースもごくまれ報告されているが、それは例外中の例外の上、該当する例は全て女性。男の僕では言い訳にも使えない。
「ごめん、けど僕は諦めるつもりもありませんし、頑張るから――」
ミリティアは二人の姉と二人の兄を持つローズフォレス家の末っ子。末っ子故に甘やかされ、自分本位な考え方が言動に現れる。たまにそんな風に言う者を見かけたが、同意を求められれば僕ははっきりと否定した。臆病者の僕でもそこだけは譲らなかった。
「ミリティアがああいうのは、全部僕の為ですから」
呆れたり小馬鹿にしたりしてくることは多かったが、どれもが僕を発奮させて、技能に覚醒させるため尻を叩いてくれているのだと思う。
「僕がミリティアの立場だったら――」
この年齢になってまで技能に目覚めない婚約者を見捨てず応援できただろうか。きっと無理だ。だからこそ、何とかこの婚約者の思いに答えたくて。
◆◇◆
「その結果、目覚めた技能がアレだったんですよね」
現実に戻ってきた僕は宿に向かう道の途中で、嘆息した。覚醒した直後は技能の内容に動転し、周囲に目が行っていなかったからこそ、技能が発動しかけたのを見た使用人が父のところに駆けだしたことに気付けず、技能のことで父に嘘をついて追放されるまで殆ど時間がなかった。
「追放されて、身分を失った僕じゃ、ローズフォレス家を尋ねるわけにも――」
結果として、婚約者とは会えずじまい。僕はまだミリティアに何も言えずにいた。
・コゾン
作中で貴族の姓の初めに冠する称号。王族の場合は、姓の初めに「コォン」の称号を冠する。