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Replica  作者: ケンシン
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蒼月の邂逅

––––暖かな陽気の春の日。

俺は街へ向けて歩みを進めていた。


天涯孤独の身となった俺を拾い、生き抜く為の術を教えてくれた師匠に、とある目的を果たす為に先程別れを告げた。


感謝はしているが寂しくはなかった。師匠は必要なことを必要なだけ教えてはくれたものの、互いに不思議な距離感を保って過ごしていたから。


とはいえあの森で師匠と狩りをして過ごせば、平穏に過ごせただろう。


そうしなかったのは、俺に一つの『誓い』があったからだ。



––––全てを喪ったあの日から、必ず全てを取り戻すと。



遥か遠くに聳え立っているはずなのに、なお存在感を放つ世界樹を見据えながら、そんなことを考えていた。


この世界、『イグドラシア』の中心には世界樹と呼ばれる巨大な白い幹の樹木が屹立している。


また北東の果てには、上空から大量に水が流れ落ちるグランドフォールと呼ばれる滝があり、その滝を遡ると『もう一つの世界』があるとされている。


イグドラシアは、そのもう一つの世界で起きた『魔神戦争』と呼ばれる大戦の惨禍から逃れる為に切り離され、世界樹はその際に引き連れてしまった強大な魔神の力を封印する為に存在している…と信じられている。


その後は今では古代魔導文明とされる魔法の文化が栄えていたが、人口の精霊を作り出してしまったことや魔力に頼りすぎた日々を送っていたことで、不満を持っていた奴隷達に魔力の供給源となっていた塔を破壊され、衰退してしまった…



そんな風にかつて父に聞かされた話を思い出しながら、川沿いに道を歩いていると、自分の右手にある森の前に小さな小屋がある事に気づいた。


不思議な小屋だった。


非常に小さな窓があるがどこか物騒な印象を受け、木で作られている小屋であるのにも関わらず、()()()がなかった。


そして最も不思議なのは、その小屋の前に一人のエルフの男が座り込み、憂鬱そうな顔をしていることだ。


危険な魔物でも閉じ込めているのだろうか、と少し興味が湧き、進路を逸らしエルフの男に話しかけた。


「この小屋の中ってどうなってるんだ?」


男は俺の接近に気づかなかったのか驚いたように俺の方を見て答えた。


「…女の子が閉じ込められているのさ。一応手洗いと最低限のものはあるし、毎日食事は与えているが…それだけだよ」


「エルフの女…、罪人か何かか?」


「あぁ。…アリスが苦労して捕まえた忌み子を逃がしたせいで、村の仲間達が大勢死んだのさ」


…忌み子、ナイトメアの事だろうか。


ナイトメアは病的に白い肌と頭に角を持つことが特徴的な種族で、何故か稀に人間やエルフなどの他種族の親から生まれつくことがある。


しかし、その角で産まれる際に母体を傷つけ死に至らしめることがある為、忌み子として恐れ、迫害されている種族だ。


「へぇ、アリス…ね」


俺の反応を気にすることもなく、エルフの男は掠れる声で呟いた。


「でも、アリスも人を殺したくて忌み子を助けたわけじゃない。…そそのかされただけなんだ。なのに…閉じ込められてもう200年以上になる。僕達の寿命は人間に比べれば無限に等しいけれど、200年間刺激のない日々を送るのは何者にだって苦痛さ」


エルフの男に向かって俺は、ただ思った事をそのまま口にした。


「…じゃ、俺が連れて行こうかな」


エルフの男は俺の顔を見上げ絶句するが、気にせずドアに歩み寄り、ドアを破壊しにかかる。


「…ふっ!」


弓を引きしぼる様に足を引き、突き出す。

一発目の蹴りでドアは軋む音を立てた。

続けてもう一度、金具の壊れる決定的な音が響く。

三発目でドアから木の裂ける音が鳴り響き、人が通れるほどの穴が空いた。



その殺風景な部屋の隅には一人の美しいエルフの少女が佇んでいた。


長い間切ってはいないのであろう金髪は、それでも絹のような柔らかさを残しているように見えたし、白い肌は雪のように太陽の光を照らし返す。


エルフの少女…アリスと呼ばれていた少女は、顔をあげると目を細め眩しそうに俺を見た。

太陽の光を全身に浴びたのは恐らく200年振りなのだろう。


声を出すのも久しぶりなのか、少女は掠れる声で何かを口にしようとしている。


「…あ…な……た……は……、だれ……で………す…か………?」


そんな、当たり前の質問をするだけで苦しそうにする少女の質問に、俺は静かに答えた。


「…俺は、シアン=アンノウンっていうんだ。よろしく、アリス」


姓は本名ではない。

師匠から与えられた『未知の可能性』を意味する下位古代語の名だ。

それでも、この場では十分だろう。


よく考えればまともに女性と話すのは久しぶりだが、挙動不審になることもなく自然に話せているようで密かに安心する。


名前を呼ばれたことすら200年振りなのか、少し不思議そうに小首を傾げる姿は、容姿の若々しさと比較してもとても幼く。

俺とあまり変わらない年の程に見える容姿とミスマッチで、少し、痛々しかった。



そして、我に返ったエルフの男が俺に声を掛けた。

怒鳴られるのだろうか、それとも涙を流しながら感謝でもされるのだろうかと考えていると、男は思いもよらない事を口にした。


「…僕を殴ってこのロープで縛ってくれないか」


半ば意図を察しながらも、


「特殊性癖だったのか?」


と、俺が茶化すと男は華麗にスルーし、


「僕をロープで縛って、集落の入り口に放り出してくれれば、僕は何者かに襲撃されて為す術もなくアリスは連れ出されたってことになるだろう」


大きく深呼吸してから、エルフの男は言葉を続けた。


「僕はそれなりに処罰を受ける事になるだろうけど、()()()()ならともかく()()()()となれば罪人(アリス)に追手がつくこともないだろう」


決意を秘めた表情で、その男はそう言ったのだった。


「…いいのか。ちっぽけな罪で200年閉じ込めるような連中だぞ。お前も『それなり』で済む保証はないんじゃないのか」


答えなどわかっているくせに、俺はあえて聞き返した。

そんな俺に、男は微笑んで言った。


「いいんだ」


「アリスをずっと助けようって思いながら、僕は今まで結局何もできなかった」


「怖かったんだ。アリスみたいに、僕も処罰を受けるのが」


「でも君は、そんな風に悩みはしなかった。ただ、君が思うように、したいことをしたんだ」


「だから僕も、自分の気持ちに正直になりたい。アリスを、ここから出してあげたい」


「これは、ずっと見て見ぬ振りをしてきた、アリスに対する僕なりの贖罪だ」


…これ以上は野暮だ、と判断して実行に移す。


恐怖に震える男をできるだけ苦痛を与えないように縛り上げると、男は俺に向かって言った。


「…ありがとう…君と出会えてよかった…」


本当は怖いくせに、勇者(エルフの男)はそう言った。


「ああ、俺もあんたみたいなやつに会えてよかった。…アリスは、俺が絶対に幸せにしてみせる」



––––やがて、夜になった。

火を焚いて、野宿をすることにした。


煮沸した川の水と持ち歩いている茶葉で作った紅茶に蜂蜜をたっぷり入れて、アリスに渡す。


アリスはしばらくそのカップを眺めてからこくこくと飲み始めた。


「それで喉が楽になるといいんだけど…どうだ?」


上を向くようにして、その一杯をぐいっと飲み干すとアリスは言った。


「…すごく、美味しかった…です」


先程より少し滑らかに喋るアリスを見て、効果があったようだと察し、笑って言う。


「味じゃなくて喉のこと聞いたんだけどな。俺の好きな飲み方なんだそれ。紅茶に蜂蜜を入れて飲む組み合わせは『マリアージュ』って言って、下位古代語で『最高の組み合わせ』って意味なんだそうだ」


「最高の…組み合わせ…」


そんな会話をしながらも、近くの川で釣った魚に適当に調味料の塩と胡椒をかけ、焼きあがるのを待つ。


その作業を、アリスはぼんやりと眺めていた。


アリスの白い肌と金髪は月の光を反射して、繊細な芸術品のような、少し触れれば解けてしまう雪のような、そんな美しさを放っていた。


思わず目が奪われそうになるが、そんな儚い美しさは本来あってはならないものなのだと思い返して、魚を焼くことに意識を戻した。


「今日は、夜空が綺麗だな」


視線を魚に向けたまま、俺はアリスに声をかける。


「………」


視界の端でアリスがじっと夜空を見上げているのが見えたが、その心情と表情を窺い知ることはできない。


そんなアリスに今日の夕食をきっかけに声をかける。


「…ほら、焼けたぞ。魚食い飽きてたら保存食もあるぜ。まあ干した果物だからそんなに美味しくはないけどな」


「…ありがとう…ございます」


アリスは少しだけ綻んで俺に向かって恭しく頭を下げた。


なんとなくバツが悪くなって


「…俺に敬語は使わなくていいよ。俺も初対面でアリスって呼んじゃったしな」


と、提案すると


「…うん、…わかった」


アリスは少し微笑んで簡潔な返事をした。


そんな俺の動揺を誤魔化すために


「いただきます」


と手を合わせる。


アリスも続けて小さな声で「いただきます」と言ったが、あちちと手で魚を弄び、どこから食べたらいいのか困っていた。


俺が焼け上がった魚の腹に齧りつくと、それを見たアリスも(俺と比べるとずっと小さな一口だが)魚を齧った。


アリスはしばらく咀嚼してから二口目、三口目と続けてかぶりついた。


しかしふいに、その食事を摂る手と口が止まった。


「…アリス?やっぱ魚は飽きてたか?」


「…違う……っちがう……」


ぽろぽろと、涙を流しながらアリスはそう答えた。


何か機嫌を損ねてしまったかと固まる俺に向かって、アリスは言った。


「…星や…空が…こんなにも綺麗で…、紅茶や…魚や…こんなに美味しくて…。誰かがとなりにいることが…こんなにも…あたたかくて……っ」


その先は、嗚咽で言葉になっていなかった。


「………そんなに泣くと、魚がしょっぱくなるぞ」


誰にも理解できるものはいないであろう孤独を耐え続けてきた一人の少女に、俺はなんと声を掛けるべきかはかりかねて、空を見上げた。


満月と夜空は何も語らず、優しくあるいは残酷に、世界を包み込んでいた。



––––今夜は本当に、月が綺麗な夜だ。

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