37話 よくがんばりました
宿に戻るとエステルの姿がなかった。
その時は顔を青くして慌てた。
ただ、慌てていても事態が好転するわけではない。
急いで街に出てエステルを探して……
かもめ亭からエステルの声が聞こえたため、中に飛び込んだ。
そうして今に至る……というわけだ。
「おとうさんっ」
エステルがひしっと抱きついてきた。
「大丈夫か? 怪我してないか? 膝、擦りむいてないか? 頭を打ったりしてないか? 魔物の毒をくらうとか、そういうことは?」
「だ、大丈夫」
矢継ぎ早にまくしたてると、エステルは小さく頷いた。
なんか、俺の方が慌てているな。
「シロは大丈夫か?」
「ピィー」
エステルの腕の中で、シロが弱々しく鳴いた。
鳴く元気はあるみたいだけど、まともに魔物の攻撃を受けていたし、心配だ。
「そのままじっとしてるんだぞ」
「ピィ……?」
「アクセス・ウンディーネ」
癒やしの水がシロを包み込む。
時間を逆再生するように、擦り傷などが消えていく。
「ピッ……ピィ?」
「もう大丈夫だぞ。エステルを守ってくれたんだよな? ありがとう、シロ」
「ピィ!」
シロは元気よく鳴くと、エステルの腕から抜け出した。
元気よく翼を羽ばたかせて滞空して、エステルの頭の上に着地した。
エステルのことは自分に任せろ、と言っているようだ。
たのもしいヤツだ。
「それで……どうして、エステルはこんなところに?」
「っ!?」
エステルがビクリとした。
どうしてかもめ亭に? と思い、周囲を見た。
フィンちゃんと女将がいる。
二人を見て、なんとなくエステルの考えがわかった。
「アクセス・ウンディーネ」
女将も怪我をしているみたいなので、魔法で癒やしておいた。
「えと……そ、その……」
エステルは気まずそうにあたふたしていた。
耳をぺたんとさせて、尻尾をしなぁっとさせている。
勝手に部屋を抜け出したから怒られると思っているのだろう。
そんなエステルを俺は……
「えらいぞ」
自慢の娘を優しく抱きしめた。
なにが起きているかわからない様子で、エステルは目をぱちぱちとさせる。
「ふぇ? おとうさん?」
「うん? どうした?」
「えっと……怒らないの? 私、勝手に部屋を抜け出して……おとうさんとの約束を破ったのに」
「そうだな、約束を破るのはよくないことだ」
「あう……ごめんなさい」
「でも、友だちのためだったんだろう?」
なぜエステルは安全な部屋を飛び出したのか?
きっとフィンちゃんのことが気になったんだろう。
部屋に連れてくるつもりだったのだと思う。
この場を見れば、それくらいのことは簡単に想像できた。
「フィンちゃんを助けようと思ったとか、そういうところなんだろう?」
「……うん。魔物がいっぱいで、フィンちゃん、大丈夫かな……って」
「そっか。なら、怒るなんてことはしないさ」
「どうして?」
「エステルが部屋にいなくてすごく心配したけど……でも、自分の身よりも友だちを優先したことは、とてもえらいよ。俺にはできないことだ。だから、褒めることはしても、怒るなんてことはしない。エステルの選択は正しい」
「おとうさん……」
「がんばったな、エステル」
詳細はわからないが……
エステルのおかげでフィンちゃんと女将は助かったのだろう。
その成果を褒めるように、エステルの頭を撫でてやる。
エステルはきょとんとしていたけれど……
すぐにうれしそうな顔になり、もう一度、ぎゅうっと抱きついてきた。
「んっ!」
子供が悪いことをした時は怒らないといけない。
でも、良いことをした時は褒めるべきだ。
それが俺なりの教育方針だ。
「あの……」
そっと女将が話しかけてきた。
「ありがとう。あんたのおかげで……いや。そこのおじょうちゃんのおかげで助かったよ」
「あたしもお礼を言わせて。ありがとう、エステル」
「ううん、気にしないで。フィンちゃんのためだから」
「ピィ♪」
エステルとフィンちゃんが笑顔で手を取り合う。
その上で、二人を祝福するようにシロが鳴いた。
そんな二人を見て、女将は憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔で言う。
「あんな子を追い出すようなことをして……私は自分が恥ずかしいよ。って、今更かもしれないね、こんな言葉は」
「そんなことはないさ。そう思い直してくれるだけでもありがたい。エステルは喜ぶと思う」
女将のように、魔族に対する偏見をなくす人が出てくればいいのだけど……
いきなり全部というのは、さすがに難しいかもしれないな。
一人ずつ。
少しずつ。
一歩一歩前に進むように、ゆっくりとだけど、でも確実に理解を広げていけば……
いずれ、エステルに優しい世界ができるような気がした。
どうすればいいのか?
具体的な方法なんてわからないが……
その着地点を目指してがんばりたいと思う。
さしあたり、まずは掃除をしないといけないな。
「アクセス・ガーディアン」
かもめ亭を結界で包み込んだ。
「ここに結界を展開した。中にいれば安全だ」
「えっ、結界を? そんなことができるなんて……あんた、何者だい?」
女将が驚くけれど、詳しく説明している時間はない。
「戻ったばかりで悪いが……エステル、また留守番してもらえるか?」
「悪い魔物を退治するの?」
「ああ、そうだ」
「ん……がんばってね」
エステルの応援があれば百人力だ。
勇気と気力と元気が湧き上がる。
「あ、あんた、まさか悪魔に戦いを挑むつもりかい?」
女将が慌てた。
「やめておきな。あれは、正真正銘の化け物だ。街の兵士や冒険者たちが何人もやられた。あんなのに勝てるヤツなんていない。今のうちに逃げた方がいい」
「魔物があふれているのに、安全に逃げ切れるとでも?」
「そ、それは……」
「元々、悪魔は討伐する予定だったんだ。向こうから出てきてくれたのなら都合がいい。ここで終わらせる」
「あんたはいったい……」
俺の言葉がハッタリではないことを悟ったのだろう。
女将は訝しげな顔を作る。
そんな女将を安心させるように、俺は強く断言する。
「すぐに終わらせてくる。娘のためなら、親はどんなことでもできるからな」




