33話 やだ
「やだ」
部屋に戻り、明後日の昼頃まで一人で出かける旨を伝えると……
エステルは泣きそうな顔になり、ぎゅうっと抱きついてきて、俺を見上げながらそう言った。
すでに涙をいっぱいに溜めている。
ちょっとした刺激で、一気に決壊するだろう。
「おとうさん、どこに行くの……? 私は連れて行ってくれないの……?」
「ピィイイイ……!」
エステルが泣きそうになっているところを見て、シロが威嚇するような鳴き声を発した。
なにウチのご主人様を泣かしてくれてるんじゃワレ!?
……言葉にすると、こんな感じだろうか?
「その、だな……本当はエステルも連れていきたいんだけど、危険だから……」
「でもでも……おとうさんが、守ってくれる……よね?」
「まあ、仮に連れて行ったら、全力で守るけど……それでも、万が一ということがある。簡単に約束はできないんだ」
「うぅ……うううー」
エステルがぐりぐりと頭を押し付けてくる。
ちょっと痛い。
まいったな……
予想はしていたが、エステルは簡単に納得してくれない。
この子は、ずっと一人だったから……再び一人になることをひどく恐れている。
そのことを理解していながら、一人にしないといけない。
俺、最低の親だな……
やばい、凹む。
とはいえ、これはどうしようもないことなのだ。
悪魔を討伐しないと、エステルとシロに害が及ぶかもしれない。
どうにかして、納得してもらいたいのだけど……どうするか?
もっと口が上手ならば、と思う。
そうすれば、エステルを丸め込み、うまくごまかすことが……
……いや。
果たして、それはどうなんだ?
悪魔を討伐するためとはいえ、エステルにウソをつくなんて……誠実なやり方とは思えない。
そんなことをしたら、この場を乗り切ることができたとしても、エステルからの信頼を失ってしまうような気がする。
「……そうだな」
国に裏切られて、誰も信じることができなくなった俺だけど……
エステルに対してだけは、誠実でありたい。
子供だから、とかそういうことは考えないで、まっすぐにきちんと向き合うことにしよう。
「エステル、聞いてくれ」
「んぅ……?」
俺の雰囲気が変わったことを察したらしく、ひとまず、エステルが離れた。
涙は溜め込んだまま、不思議そうな目をこちらに送る。
「実は、この街の人は悪い魔物に苦しめられているんだ」
「魔物……に?」
「ああ。ソイツはこの街の人を脅して、ひどいことをしようとしている。だから、俺はソイツを倒そうと思う。出かけるというのは、そのためのことなんだ」
「そう、だったんだ……」
エステルの顔に理解の色が広がる。
「ずっとエステルと一緒にいると言ったのに、離れないといけないのは申し訳ないと思う。本当にすまない。でも、戦いに連れて行くわけにはいかないんだ。いくらなんでも、危ないからな。わかるだろう?」
「……うん」
「でも……」
ここまでは、ある意味で建前だ。
事実は隠さずに告げたけれど、俺の本音は伝えていない。
だから、今の俺の心を……
ありのままを口にする。
「俺にいてほしいと願うなら、俺は戦いに行くのをやめるよ」
「え?」
「エステルが願うのなら、一緒にいる。片時も離れない。というか、本当は俺もエステルと離れたくないんだ。どんな時もずっと一緒にいたいと思う。あの言葉にウソはない」
「で、でも……悪い魔物はどうするの?」
「知らん」
あっさりと言うと、エステルが目を丸くした。
「いざとなれば、エステルとシロを連れて脱出するくらいはできるだろうからな。この街がどうなろうと、俺は知らない」
「で、でも……いいの?」
「いいよ。俺は、エステルの方が大事なんだ」
エステルをそっと抱きしめた。
エステルは体の力を抜いて、尻尾をフリフリと揺らす。
「エステルがいてくれれば、それでいい」
「……」
「だから、エステルに任せる。俺にどうしてほしい?」
「それは……」
嘘偽りのない、俺の本心を伝えた。
ひどい話だ。
元勇者だというのに、街のことなんてどうでもいいなんて。
でも、事実だ。
今の俺は、エステルのことを最優先に考えている。
街とエステル、どちらを救う? と天秤にかけた場合、迷うことなくエステルを選ぶだろう。
これくらいの本音をぶつけないと、エステルを説得することはできない。
まあ、行ってほしくないと言われたら、この街は見捨てないといけないのだが……
それも仕方ない。
俺の罪として、受け入れよう。
「……」
エステルは迷うように視線を揺らした。
あちこちを見て、何度も言葉を発しようとして、つまづいて……
ややあって、そっと口を開く。
「おとうさんなら、この街の人を助けられるの?」
「そうだな」
「なら……助けてあげて」
迷いの表情を見せることなく……
エステルは子供とは思えない凛とした表情で、そう言った。
「みんなが困っているなら……放っておくなんて、いけないと思うから」
「そっか。エステルは優しいんだな」
「ううん。そんなこと……ないよ」
エステルはふるふると首を横に振る。
その弾みで、わずかに涙がこぼれた。
「私、自分のことしか考えてなくて……今も、おとうさんに行ってほしくない、って思っているの。でも……」
「それを我慢しているんだろう? 偉いよ」
「違うよ……私、街の人のことはどうでもいいの」
意外な言葉が出てきて、少し驚いた。
もしかして、俺と同じようなことを考えているのだろうか?
「ただ……フィンちゃんのことは、気になるから」
「ああ……」
「フィンちゃんが怖い思いをするとか、そんなのイヤだから……それだけを考えているの。だから、私、いい子なんかじゃないの」
「十分に、エステルはいい子だよ」
エステルの頭を撫でた。
「友だちのことを考えて、辛いことを我慢しようとしているんだろう?」
「フィンちゃんは……友だち、なのかな?」
「少なくとも、フィンちゃんの方はそう思っていると思うぞ」
「でも、私、よくわからない……」
「相手のことを大事に思う時点で、友だちになっているよ。難しいことは考えないで、心で感じ取ればいい」
「心で……」
エステルは、自分の胸にそっと手を当てた。
その先にあるものを確かめるように、目をつむる。
「エステルは立派だな」
「そう……かな?」
「そうさ。こんなこと、なかなかできることじゃない。俺の自慢の娘だ」
「えへへ」
うれしそうにするエステルを、もう一度撫でた。
なんとか、エステルを説得することができた。
この街を見捨てることにならず、よかったと思う。
あとは、エステルの安全を確保すればいい。
「アクセス・ガーディアン」
結界を展開した。
この部屋にいる限り、よほどのことがない限りエステルに害が及ぶことはない。
「俺が帰ってくるまで、絶対にこの部屋から出ないように。いいな?」
「うん」
「よし、いい子だ」
結界がエステルを守ってくれるし、食料は二日分の弁当を作ってもらい、すでに運び込んである。
この部屋なら安全だ。
エステルのために、なるべく早く終わらせることにしよう。
「じゃあ、いってくる」
「おとうさん」
「うん?」
「……気をつけてね?」
「ああ。大丈夫だ」
心配そうにするエステルを安心させるように笑い、俺は部屋を出た。




