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32話 依頼

「あくま? とーばつ?」


 エステルがきょとんとしていた。


 まったく、この男は……

 エステルの前で、こんな話をするなんて。

 子供がいる前でするような話じゃないだろう。

 それくらい察してくれ。


「悪い、エステル。ちょっと用事ができた。部屋で少し待っててくれないか?」

「うん」


 俺から持ち出した話なのに、速攻で破ってしまい、ものすごい罪悪感だ。

 ただ、エステルは俺にも事情があるということを理解しているらしく、すんなりと頷いてくれた。

 賢い子だ。

 そして、優しい。


 今はエステルの優しさに甘えることにして……

 後で、絶対に埋め合わせをしないといけないな。


「とりあえず、下に行こうか」


 部屋を出て、兵士と一緒に一階に降りた。

 それから、話が散らばりにくい食堂の端へ。

 共にコーヒーを注文して、さっそく本題へ移る。


「俺に悪魔を討伐してほしい、ということだけど?」

「はい。実は、この東クリモアは魔物の脅威にさらされていて……」

「ああ、その辺りの事情は知っている。大悪魔を名乗る魔物から、月に一度、生贄を要求されているんだよな? 討伐隊を編成したけど、返り討ちに遭い全滅……そういう認識で間違いないか?」

「さすがですね、もうその話にたどり着いているなんて」

「過剰に褒めないでくれ。これくらい、そこらの人から普通に聞けるような内容だろう」

「おっしゃる通りです。誰もが知るものになるほど、悪魔の脅威は大きい……どうにかして討伐しなければいけません」


 兵士は深刻な顔になる。


 女将の話では、定められた生贄を捧げる日が間近という話だ。

 焦るのも仕方のないことだ。


「ただ、わからないこともある。領主は意固地になり、自分の力だけで悪魔を討伐しようとしているみたいだが……国は動かないのか? これだけの事件になれば、領主の意思は関係なく、国が動いてもおかしくなさそうなものだが」

「それが……」


 兵士は気まずそうに視線を逸らした。

 俺に聞かせたくない話らしい。


 ただ、そこで引き下がるわけにはいかない。

 事情は隅々まで全部聞かないと、納得することはできない。


「話してくれないか?」

「……わかりました」


 兵士は苦い顔をしながらも、そっと口を開いた。


「実は……この事件は、国はまだ把握していません」

「どういうことだ? 街一つが魔物の驚異にさらされているのに、国がそれを知らないなんてこと、ありえるのか?」

「悪魔の力は思っていた以上に強大で……さらに、無数の魔物を部下として引き連れています。悪魔はこの街を包囲していて……その……街にやってくる人に危害は加えませんが、外に出ようとするものは脅したり捕まえたり、最悪、危害を加えたりと……」

「なるほど。逃げようとする者には容赦しないのか。生贄が減るのが困るのと、外部と連絡をとれないようにした、っていうところか」

「国に助けを求めることも検討されましたが、街から出ることができず、連絡をとれなくて……」

「結果、領主は自力でなんとかするしかない……か。プライドが高いから、自分の力だけでなんとかしようとしていたわけではなくて、救助が望めないからそうしていた、というわけか」

「このことは、まだ一部の者しか知りません」


 女将は、領主のことを現実が見えていないと言っていたが……

 それは街の人々を少しでも安心させるためのフェイクかもしれないな。


 悪魔に街を包囲されているなんて知られたら、パニックに陥る。

 それを避けるために、あえて領主はバカの振りをして、人々の注意を逸らしたのだろう。


「しかし……まいったな」


 こうなると、知らん顔を決め込むことはできない。

 俺とエステルも、おもいきり巻き込まれてしまった。


 こんなことになるなら、東クリモアに来るんじゃなかった。

 門で詳しい話を聞くなり異変に気がついていれば、街に入ることは……


 いや、それも難しいか。

 兵士たちは異常がないように、必死に平静を装っていたはずだ。

 肝心の兵士たちが慌てていたら、動揺が広がるからな。


 ある意味で騙されたようなものだけど……

 過去のことをあれこれ言っても仕方がない。

 これからのことを考えないといけない。


「領主さまは、近々、全戦力をまとめて悪魔に戦いを挑むつもりのようですが……正直なところ、どうなるかわかりません」

「それほどまでに、悪魔は強いのか?」

「強いです。熟練の冒険者でも敵わないほどで……それに、無数の魔物を従えているため、その数も脅威です」

「なるほどな」

「ですが、勇者さまなら……!」


 すがるような目を向けられた。


 俺は元勇者であって、世界の平和を守る、なんていう使命感は消え失せた。

 あの日、あの時……

 愚かな国に裏切られた日に、俺の存在意義は消えた。


 今の俺は、一人の娘の親だ。

 エステルのことを第一に考えている。


 とはいえ……

 さすがに、目の前で起きようとしている惨劇をスルーできるほど、人間を止めたつもりはない。

 放置するとなると、良心が咎めるし……


 それに、俺もエステルもすでに当事者だ。

 ここで悪魔を討伐しておかないと、無事に街を出ることも敵わない。


「わかった。その依頼、引き受けよう」

「っ……!? あ、ありがとうございます!!!」


 兵士は大きく頭を下げた。

 目立つから、そういうことはやめてほしいのだけど……


「ただ、一つ条件がある」

「なんでしょうか?」

「俺一人でやらせてくれ」

「え? 勇者さまだけ、ですか……?」


 兵士としては、領主が集めた戦力に俺を加えて、一大決戦を挑む……という構図を思い描いていたのだろう。

 しかし、そうなると領主と顔を合わせることになる。

 そうなると、領主を通じて、アルドミア帝国が俺のことを知ることになる。


 それは避けておきたい。

 あの国のように、帝国も俺を陥れるかどうかはわからないが……


 基本的に、俺はもう、『国』というものを信用していない。

 上に立つ連中は自己保身と名誉と金……欲望しかなくて、他者を思いやる気持ちに欠けている。

 それが俺の今の心境だ。


 そんな連中に、俺のことを知られるのはまずい。

 最悪、俺だけではなくて、エステルやシロに害が及ぶかもしれない。

 なので、領主と協力して戦う、という選択はない。


 それに……足手まといはいらない。


「さっそく討伐に……と、いきたいところだけど」


 エステルとシロのことはどうしよう?

 俺がいない間に、なにか起きるかもしれないし……正直、不安だ。


 かといって、他の人間にエステルとシロを任せるつもりもない。

 この兵士は真面目そうな性格をしているが、それでも、職務の方を優先させないとは断言できない。

 エステルはともかく、シロを見つけたら捕獲しようとするかもしれない。


 冒険者を雇うにしても、所詮、金で繋がる関係だ。

 簡単な仕事ならともかく、エステルとシロを預けるという大役を任せることはできない。


 ……仕方ない。

 エステルの説得が必要になるが、俺がなんとかするしかないか。


「悪魔が指定した生贄を捧げる日までは、まだ余裕があるんだよな?」

「はい。五日後なので……領主さまは、三日後に総攻撃をかけようとしています」

「十分だ。それまでに片付ける」

「えっ、数日で……!?」

「ただ、ちょっと準備をしたい。あと、誰も同行を許可しない。あんたもだ」

「そ、そうですが……」


 ついてくるつもりだったらしく、兵士が残念そうにした。

 自分は安全なところで高見の見物をするわけではなくて、自ら危険地帯に飛び込む。


 ……この兵士は、思っていたよりも良いヤツなのかもしれないな。

 ただ、そんな人だからこそ、危険な目に遭わせるわけにはいかない。


「あんたには、この街を守るという仕事があるだろう? 外敵の排除は俺に任せるといい」

「……わかりました。ご武運をお祈りしています!」

「敵は悪魔だけではなくて、無数の魔物も含まれているとなると、たぶん、時間がかかるだろう。明日か、明後日か……それくらいになるだろうな。そうだな……どんな結果になったとしても、明後日、報告に戻る。明後日の昼、門で待っていてくれないか?」

「わかりました」

「それじゃあ、俺は準備に取りかかり、それから出る」

「気をつけて……!」


 兵士と別れて、部屋に戻る。

 さて……悪魔よりも大変であろう、エステルの説得をしないと。

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