3話 エステル
「えっと……悪いな。みっともないところを見せた」
しばらくして落ち着きを取り戻した俺は、明後日の方向を見ながらそう言った。
単純に恥ずかしいのだ。
大の大人が小さな女の子の前で泣いてしまうなんて……
あああぁ、できることなら、なかったことにしてやりなおしたい。
「……」
女の子はなにも言わず、じっとこちらを見ていた。
その瞳には、信頼の色が見えた。
「そう……だな」
ここまで関わってしまった以上、この子を放置しておくことはできない。
とりあえず、事情を聞くことにしよう。
「っと、まずは自己紹介だな。俺は、セツナ。セツナ・イクシスト。キミは?」
「……エステル……」
小さな声で、女の子……エステルはつぶやいた。
「エステル……そっか、かわいい名前だな」
「っーーー!?」
エステルは顔を赤くして、ぶんぶんと首を横に振った。
どうやら、照れているらしい。
「名前はエステル……名字は?」
「……」
途端にエステルは暗い顔になった。
なにか言いたくない理由があるのかもしれない。
「両親は?」
「……いない。ずっと前に……それから、私一人で……」
「そっか……ごめん。悪いことを聞いた」
「ううん……気にしてない、から」
強がっているわけではなくて、本心みたいだ。
こんな小さな子が一人に慣れているなんて……
俺が思っている以上に、辛い時間を過ごしてきたのかもしれない。
ますます放っておけないな。
「エステルはここで暮らしているんだよな? さっき、村って言っていたけど……」
窓から外を見ると、鬱蒼とした木々が見えた。
どうやら、ここは森の中らしい。
とても村があるようには見えない。
「ここは、村の外れで……他の人は、森を出たところにいるよ」
「どうして、エステルはこんなところに?」
「……迷惑をかけるから」
エステルが暗い顔になる。
その表情で、だいたいの理由を察した。
おそらく、魔族ということで迫害されているのだろう。
魔物の血が流れているということで、魔族を迫害する人は多い。
どれだけ害がないと言っても、それを信じることはせず、石をぶつける……残念なことだけど、そういう人は少なくない。
同じように、エステルも村人達に迫害されて、このような森の中で暮らすことを余儀なくされたのだろう。
あるいは、両親の死も魔族ということが関わって……
いや、これ以上考えるのはやめておこう。
それが本当のことだとしても、この子に告げるには残酷というものだ。
「話は……終わり?」
「いや、もう一つ、聞きたいことがある」
避けては通れない話だ。
「呪怨の鎖……今までエステルを苦しめていた呪いだけど、いつからあんなことに?」
「ん……よく、わからない……一ヶ月くらい前から、急に……」
「一ヶ月前か……わりと最近だな」
そして、ギリギリだ。
呪怨の鎖は、一ヶ月ほどで対象を死に至らしめると聞いている。
この出会いがなければ、エステルは……
「簡単に言うと、エステルは呪いをかけられていたんだけど……犯人に心当たりはあるか?」
「それは……」
エステルが暗い顔になった。
逃げるように視線を逸らして、うつむいてしまう。
心当たりがあるみたいだ。
でも、言いたくない……という感じか?
「大事な話なんだ。辛いことだとしても、教えて……」
「おいっ! いるか、ガキ!」
突然、粗暴な声が響いた。
扉が乱暴に開けられて、大きな男が勝手に入ってきた。
その後ろには、村人らしき人が数人、見えた。
大男は小屋の中を見回して、エステルを見つけると嫌なものを見たというように顔を歪めて……
それから俺の存在に気がついたらしく、不思議そうな顔をする。
「ん? なんだお前は?」
「……そういうあんたらこそ誰なんだ?」
「質問に質問を返すんじゃねえよ。俺様の質問にちゃんと答えろ。痛い目に遭いたいか?」
大男は、これみよがしに腰に下げた剣を見せつけてきた。
腰に下げた剣に、軽鎧……冒険者だろうか?
あるいは、村の自警団というところだろう。
俺も武装しているのだけど……コートを羽織っているせいか、相手はそのことに気がついていないみたいだ。
「で、お前はなんなんだ?」
「ただの通りすがりものだ。さあ、ちゃんと質問に答えたぞ。あんたらは?」
「……わしらは、この近くの村の者じゃよ」
一番、年老いた男が声をあげた。
「それで……その村人達が、エステルになんの用だ?」
「なに、ただの確認じゃよ」
「確認?」
「あれから一ヶ月……そろそろ終わったのではないかと思い、こうして足を運んだのじゃが……」
年老いた男が、ちらりとエステルを見る。
その目は、まるでゴミでも見るかのようだった。
「どうやら、まだみたいじゃな」
あれから一ヶ月……そろそろ終わり……まだ……
それらの言葉から、一つの答えが導き出される。
もしかして、村の連中がエステルに呪怨の鎖を……?
「戻るぞ、バラッゾ。まだ終わっていないのならば、ここにいる必要はない」
「待て! あんたらは……」
「旅人よ。あんたも、このような魔族と一緒にいない方がいいぞ?」
引き止める間もなく、村人達は小屋を出ていった。
なるほど……ね。
大体の構図が見えてきた。
エステルは、村人達に迫害されてきた。
そのせいで両親を失いながらも……子供が一人で旅をすることはできず、村を出ていくことはできない。
だから、ここに留まるしかない。
しかし、村人はそれさえも許さなかった。
魔族がなにかするのではないかちう被害妄想に取り憑かれて、エステルを迫害することを正義だと盲信して……
ついには、エステルを排除するために禁忌に手を出したのだろう。
どうやったのか?
それはわからないが……
呪怨の鎖を使い、エステルを殺そうとした。
間違いないだろう。
「くそっ……ふざけた話だ!」
「あぅ……お、怒ってる……?」
「あ……いや、なんでもないぞ?」
俺の怒りを感じて、エステルが怯えたような顔をしてしまう。
こんな小さな子供に、こんな顔をさせてしまうなんて……
はあ……自己嫌悪だ。
戦いばかり上手になって、対人コミュニケーションはダメダメだ。
ホント、ここは反省点だな。
「セツナも……あの人達みたいに……怒る?」
「そんなことしないさ。絶対にしない……神に誓うよ」
「……ごめんなさい」
「なんでエステルが謝るんだ?」
「私……イヤなことを、聞いたから……」
「いいよ。気にしてないから」
「ん……ありがとう」
落ち着きを取り戻したらしく、エステルの表情が穏やかなものになった。
尻尾がくねくねと、ゆっくりと揺れている。
どうやら、リラックスしているみたいだ。
心を許してくれているのだろうか?
だとしたらうれしい。
「さてと……だいたいの事情は理解したよ」
「……ん」
問題は、この後どうするか……だよな。
呪怨の鎖は解呪したが……
いずれ、そのことはバレてしまうだろう。
そうなれば、村人達はさらに過激な手段を取るかもしれない。
というか、確実に取るだろうな。
そんなところにエステルを置いていけるわけがない。
(とはいえ……こんな子供を育てるなんて、俺にできるのか?)
俺は、戦うことしか知らない人間だ。
こんな小さな子供を育てる自信なんてない。
(……いや。迷っている場合じゃないな。こんなこと、放っておけるわけがない。ここでエステルを助けなかったら、俺はこの後、絶対に後悔する)
気がつけば……
俺の中から自殺願望が消えていて、代わりに、エステルを守らなければいけないという使命感が湧き出していた。
考えをまとめたところで、エステルに向けて手を差し出す。
「俺と一緒に行くか?」
「え……?」
エステルが信じられないものを見たというような顔をした。
「こんなところにはいられないだろ? 俺、色々あって旅をしているんだけど……一緒に行かないか?」
「いい……の?」
エステルは、どこか怯えているみたいだ。
ちらりちらりと、こちらの顔色をうかがうような仕草をとっている。
その仕草を見ていると、エステルの置かれていた環境がひどいということが理解できる。
ずっと、迫害されてきたから……
それで、すぐに他人の顔色を伺うようになってしまったのだろう。
俺は、エステルが安心できるように、努めて柔らかい笑顔を浮かべた。
「いいよ。なにも問題はないさ」
「でも……私が一緒にいると……迷惑に……」
「そんなことないさ。というか、むしろ、一緒にいてくれない方が困る」
「どうして……?」
「一人でいると、寂しいだろ? だから、エステルが一緒にいてくれると、寂しくなくてうれしいんだ」
これは本音だった。
エステルの太陽のような笑顔を見た時から、俺は、生きようという気力を取り戻していた。
だからこそ、彼女ともう少し、一緒にいたい。
今ここでさようなら、なんてことはしたくない。
彼女のためでもあり……
俺のためでもあった。
「いいの……? 私が一緒にいても……いいの?」
「もちろん」
「うぇ……ひっく……うぅ、うううぅ……うぇえええええっ」
今度はエステルが泣き出した。
「って、えっ、えええぇ!? ど、どうしたんだ!? なんで泣いているんだ!? えっと、その……ま、まさか、どこか怪我をしているのか!? 痛いのか!?」
「う、ううんっ……ひっく、えぐ……そんなこと、ないよ……大丈夫、だよ……うっく……えぐっ……」
「でも、それならどうして……」
「うれしかった、から……私……ここにいたら、いけないって……そう、思っていて……この世界に、いらない子なんじゃないか……って」
……あぁ、そうか。
エステルに親近感を覚えていたのだけど……その理由がようやくわかった。
俺は、この子に自分を重ねてみていたんだ。
同じ境遇だから……自分と似ているから……
だから、どうしても放っておけないんだ。
ただの同情かもしれない。
傷の舐め合いかもしれない。
それでも。
この出会いに意味はあると思う。
広い世界で俺達がここで出会ったことは、きっと、運命なのだろう。
自然と、そう思うことができた。
「エステルがいらない子なんて、そんなことはないさ」
「本当に……?」
「もちろん」
「うぅ……セツナぁ……」
「だから……俺と一緒に行こう?」
「うんっ!」
もう一度、太陽のような笑みを浮かべて、エステルは俺の手を取った。
本日19時にもう一度更新します。