誤解
「すっかり今更だけど、あの人たちはなんなの?」
初日の舞台を終えた夕方のこと。
これから夜にかけて上演されるものもございますが、私たちの一座は昼間で終わり。幌馬車の中で再び衣装係のミラさんにお手伝いいただきながら着替えておりますと、彼女に尋ねられました。
目まぐるしい舞台の合間に、事情を話している暇もありませんでしたので、いい加減、知りたくなる頃でしょう。
「やたら怖いんだけど。めちゃくちゃあんたのこと見てるし、座長があんたを断罪するシーンで射殺されるかと思ったって、怯えてたわ」
「あらまあ。それは悪いことをいたしました」
殺気を持て余していらっしゃるのかしら。
私は学園時代の積み重ねですっかり慣れてしまいましたが、初めて受ける方には刺激的過ぎるのかもしれません。
そんな恐ろしい方が王太子のご側近だなどと明かすのは、きっとよろしくありませんね。
「実はあの者たちは、私を後妻にしようとした豪商の手の者でして。行く先々に追いかけて参るのです」
「ほんとに?」
すでに私の身の上に同情してくださっていた彼女は、顔色を変えました。
「それ、あたしたちで力になれることある?」
「助けてくださるのですか?」
「そりゃあね、あんたは恩人だもの」
やはり、恩とは売っておくものですね。
「ありがとうございます。ぜひ、その時にはお力をお貸しくださいませ」
嬉しいことを言ってくださった彼女の手を握り、私は笑顔でお礼を申し上げました。
人は表情一つで印象がまったく変わります。毒花のごとき悪役顔も、春の花々のような清廉な笑顔も、世を渡りゆくために身に着けた私の武器。
男気に溢れた彼女を少々どぎまぎさせて、馬車を出ますと、やはりルドルフ様が待っておられました。
上演中よりも、その殺気は幾分か弱まっているようです。
「こちらへ」
さりげなく、私の鞄を取って促します。
癖でしょうか。まるで従者のように、私をエスコートなさるおつもりのようです。
「どちらへ?」
「貴女をここで寝かせるわけにはいかない」
「まあ。私は野宿の経験もございますのよ? 荷馬車の中でだって眠れますわ」
なにせ宿がございませんので、昨日は幌馬車の中で休ませていただきました。
一座で押さえている宿もあるそうですが、今は食中毒の役者たちがひどくうなされているので、あまり寝心地は良くないそうです。いずれにせよ、そちらに行っても床に雑魚寝なので、馬車と大して違いはないのです。
「だめだ。そのようなことは許されない」
果たして、どなたに許されないのでしょうか。
わかりませんが、ルドルフ様は頑なにおっしゃって、私を立派なお宿へ連れて行かれました。
「まあまあ、こんな良いお部屋をどうやって取ったのです?」
普段、私が節約して泊まる小さなお部屋の三倍はございましょうか。
ダブルベッドが一つだけあるのを見る限り、贅沢なお一人様、もしくは仲の良いお二人様で泊まるお部屋でしょう。
もちろん私とルドルフ様とでは決して泊まれないお部屋です。
かのお方は私の荷物を入り口横の台に置き、それ以上、部屋の中へ進むことはございませんでした。
「ちょうど祭りに来れなくなった客があり、空きが出たそうだ」
「もしかして、このお部屋一つだけですか? ルドルフ様たちはどちらでお休みに?」
「我々のことを貴女が気にする必要はない。窓の外も扉もすべて見張っているから、くれぐれも夜中に逃げ出さぬように」
ということは、皆様は外や廊下でお休みになるのでしょうね。
ご苦労様ですこと。
「明日も舞台がございますが」
「心配しなくとも、朝には送り届ける。純粋な人助けだと言うのであれば」
「あら、ふふ。まるで売れっ子女優のようですわね」
高級お宿に騎士の送迎付きだなんて、私は一体どこのお姫様なのかしら?
私への敬意はすっかり失せたかと思いましたのに、この扱いではそうでもないようです。
でも冗談がお嫌いな方ですから、こんなことを言ったらまた睨まれてしまいますわね。
そう思ってこっそり窺いますと、意外にも怒りではない、複雑なお顔をされていました。
「・・・随分、楽しそうだな」
「そう見えますか? ええそうでしょうね。だって、何もかもが楽しいんですもの」
ここに来るまでに見かけた異国風の踊り子をまね、一人でくるりと回ってみせました。
「あぁ、今日はとっても疲れたけれど、まだ眠りたくないわ。夜中、舞台を見て回りたい。そして朝まで、知らない人々と好きな物語や劇団について語り明かすのです。そうよ、舞台の良かったシーンを絵に描きましょう。きっと素敵な絵ができるわ。ねえルドルフ様、よろしければ今から外へご一緒しませんこと?」
「許可できない」
ばっさり、つれないお答え。わかっておりましたけれど。
ルドルフ様は、いつだって真面目につまらなそうに、殿下のお傍に控えていらっしゃるお方でしたから。
「・・・今日、演じていた役は、学園での貴女そのものだったな」
改めて確認なさるように、ルドルフ様はおっしゃいました。
「やはり、はじめから貴女は己が悪役となるように仕向けていたんだな? 殿下とのご婚約が解消されるように。それは、殿下とルアナ殿との仲を取り持つためか?」
「いいえ、違います」
取り持つまでもなく、一目見た時からお二人は運命に結ばれておりました。
私は、その絆を利用しただけ。
「・・・貴女の目的はなんだ?」
まるで暗闇の中で針を探すような、慎重なご様子で尋ねてこられます。
「殿下やルアナ殿のためでなく、婚約を破棄したかった貴女自身の理由とはなんだ。なぜ、ここまでのことをしなければならなかった? たとえば・・・たとえば、貴女には、身分を捨てねばならない相手でも、あったのか」
どうにも歯切れの悪い問いかけでしたが、おっしゃりたいことは大体わかりました。
私に、殿下以外に恋い慕う相手がいたのかどうか、その方のために身分を捨てたのかと問われているのでしょう。
なるほど、そんなロマンチックな解釈もできますね。
「ええ、実は――」
素敵なのでそういうことにしておこうかと思いましたが、途端に殺気が突き刺さり口を噤みました。
なんだか、やめておいたほうがよろしい雰囲気です。
「実は、そのような方はおりません」
言い直しますと殺気が弱まりました。
はてさて、これはどういうことを意味するのでしょう。
今も私に主の元婚約者たる貞操を求めておられるのか、それとも、別の意味でもあるのでしょうか。なんとも、はかりかねるところです。
なにせ私はこの方と、これまでほとんどお話ししたことがございませんので。
「ではなぜ、貴女は身分を捨ててまで婚約を破棄したかったんだ?」
今度は、とっても困惑したお顔をされています。
「違いますわ、ルドルフ様。私は婚約を破棄した上で、身分を捨てたかったのです。こうなることは、殿下との婚約が成る前から決めておりました」
私は正直に申し上げております。
けれど、ルドルフ様の困惑はますます深まってゆきました。
「どういう、ことだ? 一体、貴女の身に何があったんだ?」
「何もございません。だからこそ、私は耐えられなかったのです」
一つも胸ときめかない灰色の日々。
お前のためだと言われ、椅子に縛り付けられ教え込まれる手習いは苦痛でしかなく。
私はもっと、子犬のように野原を駆け回りたかった。同じ顔ばかり並ぶ社交界よりも、想像もつかない世界を見たかったのです。
この欲望は、なんという名前なのでしょう。
「ラティーシャ」
目の前の方から飛び出した音に、少しだけ驚かされました。この方に呼び捨てられるのは初めてのことです。
ルドルフ様は、その声の通りにとても真剣なお顔をされていました。
「事情を余さず明かせ。貴女に同情すべき点があり、やむを得ず犯した過ちであるのならば、それを考慮した適正な罰が与えられる。――貴女は、すべてを捨てなくとも良いのだ。今も、それは変わらない」
あら、まあ・・・
驚きが過ぎて、絶句してしまいました。
私に同情? 適正な罰? すべてを捨てなくても良い、ですって。
「・・・ふふっ」
「ラティーシャ?」
おかしくって、思わず吹き出してしまいました。
だってこの方、なんにもわかっていらっしゃらないんですもの!
「ねえ、ルドルフ様はもしかして、私の名誉を回復してくださるつもりでいらっしゃるの?」
もしそのために追って来られているのでしたら、あーあー、おかしい。
こんなに滑稽な、いえ、愉快な方だったとは存じませんでした。これも旅の新たな発見ですわね。
笑みが止まらない私に、ルドルフ様はひたすら困っていらっしゃるようでした。
さてさて、この可愛らしい方にはなんと申し上げれば良いのでしょうね。
「ルドルフ様? 侯爵令嬢ラティーシャ・アシュトンは破滅いたしました。ですが、ラティーシャはこの通り、あなた様の目に楽しそうに映っております」
我が胸を満たす想いをそのまま、微笑みに表します。
「私の望みは、もう叶っているのですわ」
この夜は、それだけ申しておきました。
きっといくら言葉を重ねても、ルドルフ様は私の欲望を理解してはくださらないでしょうから。
――だけどもし明日、舞台に立つ私に一度でも拍手を送ってくださることがあれば、その時には、逃げずにお話しして良いのかもしれませんね。