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第二話

 雲ひとつない河川敷。おはなやさんがシャボン玉をしていると1人の女性がやってきた。

 琥珀色のショートカット。黒のワンピースに白いロングカーディガン。煙草片手にシャボン玉を目で追っていた女性はおはなやさんを見つけると小さく声を上げ、ハイヒールを響かせながら近付いていく。

「あなたがおはなやさん?」

 振り返ったおはなやさんはじっと女性を見上げ、可愛らしく笑って小首を傾げた。

「恋をしているの?」

 女性は少し考え、苦く笑って答えた。

「恋をしていた、かな?」

 カーディガンのポケットをいじりながら。


 彼は他の女の匂いがする男だった。

 抱き締めた時、髪から香る知らないシャンプーの香り。洗濯をする時、ズボンのポケットから出てくる知らない映画の半券。ぽつりぽつりと「知らない」がこぼれ出てきた。

 付き合い始めて3年。ライブハウスに好きなバンドを見に行った時、知り合った。

 人懐っこい笑顔が好きだった。ギターを弾く手が好きだった。安っぽい金髪が好きだった。

 誕生日もクリスマスも何ももらったことがない。

 そんな彼が初めてプレゼントしてくれたのが携帯灰皿だった。

 何の記念日でもない普通の日だった。

 彼女の部屋。ベッドの上。行為が終わった後、一服していた彼が床に放り出されたGパンを手繰り寄せた。

 後ろポケットから取り出されたものは薄っぺらい紙の袋で。中を見ると琥珀色のポケットタイプの携帯灰皿が入っていた。付けっ放しの値札には500円(税抜き)の文字。

 胸下まである彼女の髪をいじりながら彼は言った。

「同じ色でしょ?」

 人懐っこい笑顔。

 彼女は少しでも特別になりたいと思い、彼の好きな髪色にして、彼の好きな煙草の銘柄を吸った。

 喫煙者になったのは彼のせいだ。

 自分らしさではなく、あわせた自分に向けたプレゼント。

 それでも、それがどんなに嬉しいものだったか。

 無邪気にただ感謝の言葉を待つ彼にどうしたらこの喜びを伝えられるだろうと思った。

 くしゃりと頭を撫でて、彼女は彼にキスをした。

 それが、精一杯だった。


 その日から彼女は携帯灰皿に願いを託した。

 吸い殻を落としながら願った。

 唯一になれますように。

 小さな頃のおまじないみたいなものだった。

 神様が宿っていなくても良かった。

 ハートを描いた消しゴムでも特別だと思うことが出来れば人は祈ることが出来る。

 願い事を預ける場所が欲しかった。

「願い事は叶ったの?」

 となりに座ってぽつりぽつりと語る女性の顔をのぞきこんで、おはなやさんは尋ねた。女性はポケットから携帯灰皿を取り出すと自嘲気味に笑った。

「叶うわけないじゃない。だって、これ、ちっとも特別なものじゃないんだもの」

 冬の終わり。彼女の誕生日のことだった。

 仕事帰り。

 いつも通り何の祝いの言葉も届いていない携帯電話を見ながら彼女はため息を吐いた。

 せめてケーキだけでも買って帰ろう。そう思い、近くのショッピングモールに向かった。

 大きな観覧車があるそこは待ち合わせ場所としてよく使われていて、その日も多くの人が店の前で誰かを待っていた。

 横目で見て通り過ぎようとして、視界に入った光景に足を止めた。

 琥珀色の長い髪。若い女性がちらちらと時計を見ながら煙草を吸っていた。

 彼と同じ銘柄。

 吸い殻を落とす携帯灰皿は彼女と同じものだった。

 まさかと思った。

 でも、嫌な予感ほど当たってしまうもので。

 綻ぶ女性の表情。その視線の先にいたのは彼だった。

 ああ、ちっとも、特別なんかじゃなかった。

 彼の好きな髪色。彼の好きな煙草の銘柄。そして、プレゼントされたもの。

 全部おんなじだった。

 それくらい良いじゃないと思った。

 たった500円のプレゼントくらい、私だけのものであってもいいじゃない。

 願い事を託す場所を失った彼女は彼に近付いていった。

 驚く彼に思いっきりビンタした。

「もういいよ……」

 最初で最後の誕生日プレゼントは諦める心だった。


「そんな感じで終わって、ベタにバッサリ髪を切ってみたりしたんだけど。見えないものってやっぱり駄目ね。中途半端に残そうとしちゃって。だから、こんな恋で悪いんだけど、あなたに花にしてもらいたくて」

「いいの? 摘むことが出来るのは一度だけだよ」

 女性は吸い殻を灰皿に放り込む。

「ちゃんと葬ってやりたいのよ」

 哀しげに微笑む彼女におはなやさんは納得したように頷いた。

「分かった。じゃあ、目をつぶって? 頭をなでてもいいかな?」

 素直に目をつぶる女性の頭をおはなやさんはそっと撫でた。育んできた心を愛でるように。そっと。そっと。

 その手から花が生まれる。

 それはひとつしか花びらがない花。

 黄色い中心。てっぺんに一枚だけ白い花びらが残る、花占いの最後のような花だった。

「目を開けて?」

 丁寧に女性の手に握らせる。目を開けた女性は手の中の花に瞳を揺らした。

「これが、私の花?」

 たった一枚でも懸命に咲いている花びらに触れる。匂いをかぐ。小さく笑う。

「健康に悪そうな花……。あの男の煙草の匂いがする……」

 女性は残った花びらを指先でちぎって掌にのせた。

「私、禁煙するわ。髪も染め直して私らしい特別を探すの」

 今日は雲ひとつない青空のはずなのに、ぽたりぽたりと雫は落ちて、花びらが浮かぶ。

 確かに終わった花を握りしめ、彼女は「ありがとう……」と絞り出した声でお礼を言った。


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