第一話
この町の人々は近所の河川敷がたんぽぽに染まると「おはなやさん」のことを思い出す。
だぼだぼのカーキ色のモッズコートに後ろにひとつに結んだ長い黒髪。
恋する人は彼女のことを探し始める。
自分の恋心を花にしてもらうために。
夕暮れの河川敷。おはなやさんが寝ていると1人の女子高生がやってきた。
肩甲骨の下まであるくせっ毛にセーラー服。おはなやさんを見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。でも、すやすやと寝ているのを見て、出そうとした言葉を慌てて引っ込めた。
考えるように口に手を当て、そっと横に体育座り。
「ん~」
困ったように眉毛を八の字にして、顔を膝に埋めて悩み始める。
すると――
「ふふふ……」
笑い声が聞こえてきて女子高生は驚いたように顔を上げた。そこには穏やかに微笑みながらこちらを見るおはなやさんの姿があった。
「起こさないの?」
女子高生は恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「寝ている人は出来ればそのまま寝かせてあげたいと思う人間なので」
「優しい子だね。他人を大切に出来る子は好きだよ」
おはなやさんは起き上がると可愛らしく笑って小首を傾げた。
「恋をしているの?」
女子高生は今度は照れたように頬を赤らめ、こくりと一つ頷いた。
初めてのプレゼントはぴかぴかの泥だんごだった。
5歳の時、お隣に引っ越してきた同い年の男の子。
手土産としてまっ白なタオルを差し出す両親の横で、その子は彼女の手を取り、プレゼントを渡した。
「おれも「てみやげ」もってきた」
にっかりと笑ってそう言いながら。
大人にとってはとても失礼なこと。でも、彼女にとっては恋の始まりだった。
大げさではなくどんな宝石よりも綺麗に思えた。
それからたくさんの時間を一緒に過ごした。
立ち入り禁止の山で一緒に作った秘密基地。台風で壊れてしまった時は悲しくて、2人で基地の欠片を拾い上げて、ぽろぽろ泣きながら「きちのはか」を作った。
並んで漕いだブランコ。いつの間にかどちらがより空に近付けるか競争になって、いつの間にか暮れていく空の綺麗さに見惚れて勝負は終わった。
お気に入りの木登りの木。彼女が落ちて足をくじいた時、彼がおんぶするときかなくて、でも、体が小さい彼は全く立ち上がることが出来なくて。肩を貸してもらいながら足をひきずる帰り道。なぜかケガをした彼女ではなく彼が泣いていた。
「一緒に過ごせば過ごすほど想いは大きくなっていきました。髪をのばそうと思った時、可愛らしい洋服を見た時、体重計に乗ってため息を吐く時。思い浮かぶのはいつもあいつの姿なんです。本人は全然、私のこと、女扱いしてないんですけどね」
苦笑する女子高生におはなやさんは優しく相槌を打つ。
「素敵だね。でも、今でいいの? 摘むことが出来るのは一度だけだよ」
「……はい。私、受験生なんです。来年の春、私たちが居たいと思う場所は別の場所です。同じ学校に通える最後の春だからこそ告白したい。あいつが育ててくれた恋の花で」
覚悟を決めた瞳がまっすぐに見つめる。おはなやさんは納得したように頷いた。
「分かった。じゃあ、目をつぶって? 頭をなでてもいいかな?」
「はい……」
緊張したように目をつぶる彼女の頭をおはなやさんはそっと撫でた。そっと。そっと。育んできた心を愛でるように。
その手から花が生まれる。
それはぴかぴかと光る泥だんご。そこから小さな花が一輪、生えていた。暮れていく夕焼け色の花。
おはなやさんは少し驚いたような顔をして、それから、何かを理解したように笑みを浮かべた。
「目を開けて?」
女子高生の手に丁寧に握らせる。おそるおそる目を開けた彼女は手の中の花に目を見張った。
「これが、私の花ですか?」
目を細めて頷くおはなやさん。女子高生は指先で花びらをつつく。花が揺れる。匂いをかぐ。泣きそうな顔で笑う。
「可愛い花……。帰り道の匂いがする……」
胸元にぎゅっと抱き締める。
「……届くかな?」
不安が滲むかすれた声。おはなやさんはその手を両手で包みこむ。
「大丈夫、きっと幸せな時間になるよ」
どこか確信に満ちた言葉に女子高生は「ありがとうございます」と涙ぐんだ瞳で微笑んだ。
大きく手を振って女子高生は帰っていく。その姿が見えなくなった後、おはなやさんは両手を見た。手の中に花束が生まれる。十人十色の花束。おはなやさんが手折る度に恋の花はそこにくわえられる。どの図鑑にも載っていない世界でひとつだけの花たち。ひとつだけのはずなのだが――
「ふふふ」
笑いがこぼれる。
女子高生の花の横には同じ花がもうひとつあった。同じ背丈の泥だんごから生える夕焼け色の花が。
少し前にここに来た男子高生が咲かせた花。
想像する幸せな光景におはなやさんはこらえきれないようにまた嬉しそうに笑いをこぼした。
仲良く並ぶおそろいの花を見ながら。