7話
「あなたが主人公のもとにたどり着いた理由を、ヒロイン補正や運命だと感じてなあい?」
――学校の屋上。
制服姿の二人が弁当を食べているその場所に、ついに上官系美少女はたどりつく。
あたりは荒涼としていた。
打ちっ放しのコンクリートの床。今上官系美少女の出て来た階段室の上には給水タンクがあって、その上には給水タンクが存在するだろう。
緑色のフェンスで区切られたその空間はどこか物寂しい空気が漂っていた。
それもそうだろう。
校舎。
屋上。
昼休み。
だというのに、あたりには余分な存在が誰もいない。
いるのは、焼きそばパンを食べる主人公と――
――桃色髪で、ツインテールで、八重歯で、ロリで、ニーソックスの、妹だけだ。
見るだけでわかる、おぞましいほどのヒロイン力。
属性という名の兵器で全身を覆った身長百五十センチの対サブヒロイン用殲滅兵器。
属性を重ねることでヒロインがヒロインとして成り立つならば、彼女に勝る美少女はそういないだろう。
だが――
上官系美少女には。
そのいびつに属性を盛られた妹系美少女が、化け物にしか見えなかった。
全身を覆い尽くす萌えは、ぶくぶくと体について離れない贅肉にも見えた。
「あなたは、おびき出されたのよ」
妹系美少女が語る。
立ち上がり、朗らかな笑顔を浮かべ、近付いてくる。
上官系美少女は突撃銃を構えた。
まごうことなき殺傷能力を持つ鋼のカタマリ。
だが――それは現実の法則に根付く者に対してしか、効果を発揮しないのだ。
美少女同士の戦いを決めるのは、持っている兵器の差ではない。
――ヒロイン力。
どちらがより世界の神に愛されているのか、己の全身全霊全存在で証明し合う。
美少女同士の戦いとは、魂と愛のぶつけ合いだった。
「貴様を倒し、私は彼を連れ戻す!」
上官系美少女は銃を放つ。
三点バーストで放たれる銃弾はマズルフラッシュで昼間の屋上を照らし、やや焦げ臭いニオイとともに目視不可能な速度で目標へ迫る。
だが、当たらない。
妹系美少女が弾丸を避けたのではない。弾丸が彼女を勝手に避けたのだ。
すさまじきかわいさ。
これこそが一時代を築き今なお根強い人気を誇る妹という属性の業なのだ。
妹系美少女は余裕たっぷりのゆったりした歩調で、一歩一歩近付いてくる。
『銃弾など通じない』という妹ならではの貫禄があった。
「最低」
妹系美少女が、笑う。
上官系美少女は銃を構え、されど、なぜか撃てずに――
「なにが、最低だ! 人の主人公を拉致しておいて、貴様こそ、最低だろう!」
「違うわ。お兄ちゃんはあたしのものよ。今の銃撃で確信した。あなたは彼の『嫁』じゃない」
「なぜそう言える!?」
「だってあなた――お兄ちゃんがいる側に、銃を撃ったじゃない」
「……!」
「人間は撃たれたら死ぬのよ? あなた、彼が死んでもいいの? 本当の『嫁』なら、そんなこと絶対にしないわ」
痛いところを突かれた。
そうだ、ミリタリー系乙女たちは、主人公に銃を向けるのに特に抵抗がない。
あいさつのようなものなのである。
なぜなら、彼女たちは本能で知っている。
『日常パートで放たれた銃弾は、誰の命も奪わない』。
だが主人公は――人間はそうではない。
銃で撃たれて、弾が当たれば、死ぬ。
人間には美少女と違い、日常補正もギャグ補正もない。
ただ、現実だけがあるのだ。
「だが……だが! 彼は生きている! 彼は、死なない! 私が鍛えた新兵だ!」
「まだ言ってるの?」
「事実だろう!?」
「なにを考えているかわからないけど、彼をさらったのはあなたたちの方よ」
「馬鹿な!」
「……まあ、言っても無駄ね。いいわ。ここら一帯の妹たちをまとめあげる至高の妹の力を見せてあげる」
瞬間、妹が消えた。
上官系美少女がおどろいていると、真下から圧力を感じた。
慌てて跳びのく。
すると、腰あたりにタックルをかまそうとしている妹の姿を確認できた。
いや――タックルではない。
これは、『うっかり転んだ拍子に抱きついてしまいそうになった』だけだ。
「貴様、まさか――」
「そうよ。あたしは――『ドジっ娘』属性も持っている」
それはもはや絶滅したかと思われた属性であった。
ドジ――そういうものがかわいいともてはやされた時代は、たしかにあったのだ。
だが日常生活に支障が出たり、いちいちドジをして主人公側にストレスがたまったり、ドジと言いつつ別にドジでもなく、会話のオチに困った時だけドジさを発揮するヒロインが続出したため、時代の流れの中で自然淘汰された属性であった。
その後時代は有能でなんでもできるヒロインを経て、主人公側が有能なヒロインよりも有能になっていき、最終的に『万能チート主人公』が主流になるにつれ、有能ヒロインも消え去っていくことになるのだが――それはまた別なお話だ。
つまり『ドジッ娘』とは古典属性である。
古代とか古典とかエンシェントとかつくものは、とにかく強い。
普通に考えれば最新のものの方が強いはずなのだが、なぜか『旧式』や『太古』とつくものには強力な補正がかかるのだ。
なにより厄介なのは、ドジッ娘の行動は『攻撃』ではなく、本人が意図して行うものではないというあたりだった。
『意』を読めない。
軍隊式格闘術を修め普通に強いミリタリー系乙女にとって、攻撃でさえないのに結果的に攻撃になっている動作ほど怖いものはなかった。
まして相手のヒロイン力は青天井だ。
うっかり一撃食らえば、ヒロイン力の差から存在への干渉が起こり塵になりかねない。
それこそが、妹。
触れただけで相手を塵にするような、数多ある属性の中で最強の一角と目されるモノ。
「……戦況は、いよいよ絶望的か」
最初から、数が違った。
強さや攻撃の引き出しも違った。
それでもなんとか近代兵器の力でゴリ押し、数多の妹を屠りながら来たが――
そもそも、『数多の妹』など必要なかったのだ。
目の前の妹は、たった一人だろうと、軽くミリタリー系乙女すべてを消滅させるヒロイン力を持っている。
オンリーワンの風格。
メインヒロインの迫力。
だが――
「――いくら妹と言えど、銃弾が当たれば、死ぬはずだ!」
そうだ、ここに来るまでだって、多くの妹を撃ち殺してきた。
妹は不死身ではない。
彼女たちの強力な補正を、ヒロイン力で引っぺがすことができれば、普通に銃火器で武装したミリタリー系乙女の方が強いのだ。
「私はここで貴様を殺し、正ヒロインに昇格する!」
「その発言がヒロインらしくないって、わからないの!?」
妹がコケる。
それは攻撃動作だった。
妹がコケた結果上官系美少女に迫るのは、全体重全ヒロイン力ののった強力な頭突きだ。
――まずい、反応ができない。
ドジっ娘属性を持つ時点で、その攻撃はすべて不意打ち補正がつくようだった。
気をつけていたのに、意識に空隙があった。
上官系美少女は、持っていた突撃銃で頭突きを受ける。
その瞬間、鋼で作られた突撃銃は、ボン、という音を立てて爆発し、粉々になった。
「いったあ……」
突撃銃を爆発四散させておいて、妹は頭を軽くさすり、そんなことを言うだけである。
――化け物め。この性能差は素手で埋まるものではない。
だが。
やる。
「私が――嫁だ!」
そこから始まったのは、戦いと呼べる光景ではなかった。
コケたりつまずいたりする妹系美少女。
それをかわし、さばき、受け流す上官系美少女。
いつしか攻防は音速に迫ろうとしていた。
戦闘の現実味が薄れていくにつれ、ミリタリー系乙女は不利になっていく。
存在の根幹が現実に根ざしている属性のため、ギャグ補正やファンタジー補正といった『なんでもアリ』な属性に対してはもとより相性がすこぶる悪いのだ。
そして妹とは超常の存在である。
実は血がつながっていない、実は兄のことが好き、実は料理が下手、実は実は実は実は――
学園もの、ラブコメ、ギャルゲーなどに根ざす彼女たちは動作の詳細な描写をはぶかれる傾向にあった。そして受け手も現実味などそう気にしない。
それゆえに彼女たちの動作は余裕で現実を超えていく。
言ったもの勝ちなのだ。『そういうことにする』ですべてそういうことになる――日常系という背景を持つ美少女ども。
一方でミリタリー系乙女は現実を超えられないし、超えてはいけない。
戦闘機の最高速度をうっかり『高速』と間違えて『光速』とか言おうものならクレームが来るし、逸話はあるのに実際にとりえたと思われない戦法を『本当にやった』などと喧伝しようものならば詳細な資料付きで訂正要求をされる。
現実からはみ出してはならない美少女。
『そんなのテキトーでいいじゃん』が許されない、悲しき定めを背負ったヒロイン。
属性、背景、逸話が重要となる美少女同士の戦いでは、このうえなく不利な弱々しい存在。
だが――
――キャラクター性。
――背景。
――属性。
たしかに大事だ。それがなくては、美少女たりえない。
もしも禁を犯せば、その存在は水泡と化し、二度と彼とふれあえないかもしれない。
だけれど。
――恋を、知った。
その感情の幸福を覚えている。
胸の高鳴りを覚えている。
涙するほどの幸せは、今もまだこの胸で熱く燃えているのだ。
だから、彼女は――
――我らは奇跡を否定する現実。
手を伸ばす。
迫り来る妹を見ながら、妹ではない場所で、なにかをつかもうとする。
それは、
――だけれど、一度だけ、どうか、奇跡を。あり得ぬものを、私に。
奇跡。
ありえてはならないもの。否定すべきもの。
そもそも兵器や武器というのは緻密な計算により形作られる存在だ。あり得ぬものには無理が生じ、機能を発揮することはないだろう。
だからもし、ありえぬものが、ありえぬものとして現実に干渉するならば――
――それこそが、『嫁力』。
「――『携行式レールガン』!」
現実を改変する。
手の中に現れた物体は、ミリタリーの分野ではなく、SFや魔法のたぐいだった。
実現されることのなかった技術。
まして携行などありえぬ、本来であれば巨大であるはずの超兵器。
だからこそ奇跡の産物。
主人公を想う嫁が産みだした、具現化された愛の姿。
カチリとおもちゃのような音を立て、トリガーが引かれた。
細長く尖った砲身から撃ち出された弾丸はかつてない非現実的な速度で、しかし周囲には――すぐそこにいる主人公にはなんのダメージも与えずに、妹の体に命中した。
「――」
それでも、妹は生きていた。
半身を吹き飛ばされ、呆然とした表情をしながら、残った片足で立っている。
――美少女。
それは世界を覆い尽くした人外のモノの名だ。半身を吹き飛ばされようが、ヒロイン力があり、なおかつ手順を踏む限り死にはしない。
至高の妹たる彼女は、銃で撃たれた程度で死ぬそのへんの妹とは格が違うらしい。
……だが、上官系美少女は。
「…………私のすべてを、注ぎ込んだ」
バラバラと携行式レールガンが崩れて塵になっていく。
強力な現実改変には、それだけ多くのヒロイン力が必要となるのだ。
そして補正さえまともにない、ミリタリー乙女目上官科の美少女は――
「それでもなお、届かぬのか」
――薄く、笑う。
その手は、携行式レールガンと同じように、端から崩れ始めていた。
ヒロイン力を失った美少女の末路。
そも超常の存在である彼女たちはただの人体とは違うイキモノだ。
不老であり不死である。
ただ、ヒロイン力を失えば、消え去るのみ。
武器や兵器があったとて、彼女たちには効果などなかった。
彼女たちが死ぬ時は、外部から致死量のヒロイン力をぶつけられるか、内部からヒロイン力を消費し尽くすしかない。
そして、上官系美少女の状態は――
内部から、ヒロイン力を――己の生存に必要なぶんさえ失った姿であった。
「……まあでも、恋ができたから、よかったよ。私はあの幸福を胸に、笑って逝ける」
言葉の通り、笑う。
そして――主人公の方を見た。
彼は立ち上がり、寄ってくる。
やめてほしかった。
せっかく笑えているのに――
近付かれたら、きっと泣いてしまう。
だから、
「来るな」
「……」
「もう、私はいなくなる。お前は新たな嫁を探せ。私のことは、忘れ……忘れ、て……」
「……」
「忘れ、て、ほしく、ない」
「……」
「私を、忘れないで」
かすれた声でつぶやく。
それでもなんとか――言葉で強がるのをやめたお陰で、なんとか笑顔をたもてたまま――
彼女は。
風に吹かれて、消えていった。
「オニイチャン」
弱々しい声で、妹が言う。
彼女は悲しそうな顔をしていた。
「オニイチャン、ナンデ? アノヒト、チガウ、オニイチャン、アタシ、ナノニ」
「……」
「タスケテ、アタマ、ナデテ? ソシタラ、ナオル、カラ」
「……」
「オニイチャン?」
「……お前たちは――」
彼は、髪で隠れた目元を手で覆った。
そして――
「――お前たちは、一人残らず消え去るべきだ」
「……」
「世界はお前たちのものじゃない。俺がお前を攻略して、それからあいつを攻略したのは、お前の主人公になるためなんかじゃない。お前と、他の美少女との、対消滅を狙っただけだ」
「……」
「人類を侮るな。拳を振り上げるだけが戦いじゃない。選択肢さえ誤らなければ、暴力も闘争心もなく、人類はお前たちを殺せる」
「……オニイ、チャン――お兄ちゃん、恨んでいるのね、あたしたちを」
「……」
「それなのに、最期までそこにいてくれるんだ」
「…………」
「ありがと」
彼女は笑い、崩れて、消えた。
――砲火の音はすでにない。
片方が全滅したか、それとも両方とも倒れたか。
きっと前者だろう。この計画で両方倒れてくれていたならば、それは運がよすぎる。
お粗末な作戦だった。
二つの陣営のリーダー格を攻略し、二つの陣営を争わせる。
成功するかどうかさえ賭けの、費やす時間に比べればお粗末な方法。
だけれどこれが、もっとも効率がよかった。
いくつかの実体験から彼はそう判断し、次回以降もこの作戦でいこうと決める。
――美少女とは化け物だ。
侵略者だ。
そして――親友の仇だ。
だというのに。
――私を、忘れないで。
――ありがと。
「……化け物め。どうしてお前たちは、そんなに人間なんだ」
目元を強くおさえる。
こぼれかけた雫は、きっとまだ慣れていないせいで心に負荷かかかったのだろう。
大丈夫だ。選択肢は見えている。
極限状態で身についた『選択肢を見る能力』は彼に期待以上の成果をくれた。
そうだ、選ぶだけでいい。
破滅を願って、しかし闘争をせず、怠惰に彼女たちとかかわり、多少煽るだけで、彼女たちは勝手に自滅していく。
闘争心や敵愾心は、胸に押し込めねばならない。
さもなくばヤツらと同じ存在にされてしまう。
だから、彼は心をおさえた。
まだ少し痛いけれど、じきに慣れるだろう。
なにせ世界は美少女であふれかえっていて――
すべてが消え去るまで、彼の戦いは終わらないのだから。