4話
妹系美少女。
そう述べたならば、たいていの者が各々なんらかの具体的なイメージを抱けるであろう――実際に需要は多く、また、供給も多い。
それだけ根強い人気を誇る存在であり、おそらく美少女の中では最大派閥の一つと言えるだろう。
上官系美少女の中で、美少女としての本能が警鐘を鳴らす。
――アレにはヒロイン力で勝つことができない。
妹とはそれだけで複合属性を持つ。
ロリ属性、幼なじみ属性、元気属性、素直属性、血縁属性、義理属性、中には姉属性を持つ妹という矛盾した存在さえいるだろう。
妹という時点で最低二属性の複合であることは確定であり、ヒロイン力とはたいていの場合属性の数がものを言う。
ミリタリー属性目上官科にしかすぎない上官系美少女が勝てる相手ではないのである。
だから、彼女の行動は、絶対にヒロイン力において勝てない相手が現れた美少女の、本能がとらせるものだった。
主人公の腕を抱く。
それは身持ちが固い者の多いミリタリー系乙女において、通常の精神状態ではまず行わないことであった。
しかもその中でもさらに身持ちが固いとされる上官系美少女である彼女にしてみれば、薬で意識を奪われるとか催眠術にかけられるとかでもない限りは、とりえない行動だ。
それだけ脅威なのだ。
妹は――危険だ。
「あー! ちょっと! あたしのお兄ちゃんにベタベタしないでよ!」
ピンク髪、ツインテール、八重歯、セーラー服、ロリ、ニーソックスという絢爛たる武器を身につけた妹属性美少女がズカズカと歩み寄ってくる。
その歩行は脅威でしかなかった。
上官系美少女にとっては、武装が竹槍だけなのにイージス艦が迫ってくるのにも等しい。
だけれど。
彼女の恋は、彼女に勇気をくれた。
「き、貴様のではない。この男は……この男は! わ、私のだ!」
宣言した。
自分は彼の『嫁』であると、そう宣言した。
羞恥に顔が真っ赤になる。
相手の視線が怖くて、目を閉じてしまう。
代わりになのか、上官系美少女が彼に抱きつく力はいっそう強まる。
胸の高鳴りが伝わってしまいそうで、それにおびえて余計に鼓動が高まっていく。
ともあれ――
たいていの美少女はこれで引き下がるはずだ。
だが。
「なに言ってんの!? その人はあたしのお兄ちゃんなの! あんたおかしいんじゃない!?」
――引き下がらない。
それどころか、より強硬に反発してくる。
――おかしい。
まさか――NTR属性か?
しかし妹がNTR属性を兼ねるというのは、彼女の聞いたことのない話だった。
『NTRれ』の方ならば兼任する者もいるらしいが……
上官系美少女は、目を開け、妹系美少女の目を見た。
そこには光がない。
桃色の瞳はどこかよどんでおり、奥底には暗い怒りが見えた。
上官系美少女は気付く。
まさか、ヤツは――
「『ヤンデレ』か!?」
――曰く、己の世界にしか住まわない者ども。
普通、どのような方法にせよ――一例、取り囲んで火器で脅すなど――主人公の承諾を得てから、美少女は主人公を主人公と定めるものだ。
しかし、中には承諾を得ずに勝手に主人公を自分の主人公としてしまう属性がある。
代表的なのは『ストーカー』と『ヤンデレ』であり――あの瞳の濁り具合と、正面から堂々と来たあたりを合わせて考えれば、あの妹系美少女はきっとヤンデレにあたるだろう。
妹でロリで元気系でなおかつヤンデレ。
救いがたき業の深さであり、ヒロイン力において対抗しがたき属性の数であった。
同時に、彼女は思う。
――主人公を奪われてはならない。
それは戦う力を持っている系美少女ならではのメンタルであった。
火器や剣、魔法などが存在に組み込まれている美少女は、少なからず主人公を『保護対象』と見る傾向があるのだ。
まして彼女は上官系。
新兵が一人前になるまでたたき上げるのが存在意義である。
そして主人公とは彼女にとって一生新兵であり、すなわち永遠に庇護する対象なのである。
彼女は存在と同一化したアサルトライフルを取り出し、構える。
しかし――
――オニイチャン。
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
オニイチャン
――あちこちから、声が聞こえる。
上官系美少女は周囲を見回し、気付く。
――いつの間にか囲まれている。
あたりには見渡す限りの妹が存在した。
目の前に、道の向こうに、屋根の上に、空を羽ばたき、地面を突き破り、妹妹そして妹。視線を巡らせれば目が痛くなるぐらいの原色系の髪髪髪髪髪髪髪髪!
その誰もが濁った目で『オニイチャン』と静かにつぶやいている。
――怖気立つ。
まずった。どうやらこの区画にはヤンデレ属性を併せ持つ妹系美少女のみが配置されていたようだった。
油断した。
きっと、ヤンデレどもで街をおとずれた旅人を主人公に仕立て上げ、この街に定住させるつもりの配置だ。
街そのものが、罠――
ここは妹の街。出会った見知らぬ美少女すべてが、血縁非血縁にかかわらず男を兄と呼び慕う人外妹境……!
彼女は冷や汗を垂らす。
世界から争いは途絶えた。
兵器は美少女になり、武器は美少女になり、強い闘争心で戦いを続けていた者も美少女と化した。
世界は美少女に覆われ、あとにはイマイチパッとしない、リーダーシップもなければ闘争心もないような男だけが残った。
――だが、戦いは絶滅していなかった。
それは――主人公争奪戦。
戦う物は、あるいは戦う者はすべて美少女と化した。
だが、最初から美少女ならば、さらに美少女になることはないのだ。
上官系美少女は舌打ちする。
相手の数が多い。
弾切れとかいう面倒な概念はないものの、一人を撃っているあいだに他の連中が殺到してくるだろう。
開始位置が悪すぎる。包囲状態、多勢に無勢。
ヒロイン力では勝負にもならないが、物理的生圧力ならばミリタリー系乙女はすべての美少女の中で随一だろう。
だが、数の利は超えられない。
安定して強いがよくも悪くも爆発力がないというのが、ミリタリー系美少女の業である。
また、ヒロイン力の強い方に運命は味方する。
ばらまいた弾が当たらなかったり、心臓に当たったはずの弾丸がたまたま胸ポケットに入れられていたプラスチックのリング(お兄ちゃんとの思い出の品)に弾かれてノーダメージだったりという展開も覚悟しなければならない。
状況は絶望的だった。
……だから、なのか。
ドン。
彼が、上官系美少女を押した。
なにが起こったかわからず、上官系美少女はしりもちをつく。
――その、徳前まで彼女の頭があった位置を、巨大な刃物が通り過ぎた。
上官系美少女は、背後から音もなく忍び寄っていたらしい、刃物を振った相手を見た。
そこには血まみれのエプロン姿で中華包丁と出刃包丁を持つ、瞳の濁った妹が――
「逃げてください」
彼は言う。
イヤだ、と上官系美少女は首を振る。
「早く!」
彼は、初めて、大きな声で言う。
上官系美少女は――
従った。
今まで情けないと思っていた相手の、予想外の男らしい声に、反射的に従った。
あるいはそれこそ、美少女の本能だったのかもしれない。
根は従順であることが望まれる、悲しき生命体の本能。
……だが、理由はどうでもいい。
妹たちが一斉に主人公に飛びかかる。
熱い抱擁を交わし、頬にキスをし、腰に飛びつき、耳を舐める光景が見えた。
だが、すべての仕打ちを見ることはかなわなかった。
彼の姿は、あっというまに見えなくなった。
団子状になった色とりどりの妹が、彼を多い隠してしまったのだ。
彼女は逃げる。
……そうだ、逃げるべきなのだ。
今、抵抗してもなにもできない。
ならば――必勝の戦術をもって救出する方がいい。
その方が戦術的に正しい――
そう思いつつも、彼女は下唇を噛む。
そうしないと、叫び出しそうだったから。
叫びだして――妹たちに向けて銃を乱射してしまいそうだったから。