2話
朝四時、起床。
ガンガンとフライパンとおたまが打ち鳴らされるけたたましい音に、彼は叩き起こされる。
そこは荒野に突如出現した軍学校風の建物であった。
高い塀に囲まれた、一階建ての灰色の建造物。
四角いデザインはどこか大学帽を思わせる。
宿舎もかねているそこは、刑務所のおもむきさえあった。
実際、似たようなものだ。外出には許可が必要であり、その時だって門限という縛りからは逃れられず、門限を破れば『連帯責任』が待ち受けている。
そして『主人公』に外出許可が下りることはないだろう。
なにせ彼女たちの世界はとっくに完成してしまったのだ。
二十人のミリタリー系乙女ハーレム。
『司令官』『新兵』『教官どの』『隊長』――いったいどの役職なのか第三者から彼の正確な立場を推し量ることは完全に不可能だが、ミリタリー系乙女たちは彼を好き勝手な役職で呼び、またそのように扱う。
司令官として司令室にいると「新兵がなぜその席にいるかァッ!」と怒られ、訓練に励んでいると「隊長! なぜ新兵のようなことをやっているのでありますか!?」と責められ、部隊と連携訓練をしていると「教官どの! 今日の授業はいつ始まるんですか!?」と泣きつかれる。
これを幸福と思うかは個人差がありそうなのだが、ミリタリー系乙女たちが現在までどこのハーレムにも加わらず二十名ほど余っていたことを考えれば、あんまり需要はないのだろう。
そんな生活を、彼はすでに一週間も送っていた。
そうだ、あの日、彼は投降したのだった。
当たり前の判断だ。銃器で武装した二十人の軍服姿の美少女に囲まれれば、たいていの人間は投降する。
例外はない。どれほど勇敢な者であろうが、そこで美少女に向かっていくような英雄的行動をとれば、たちまち美少女の仲間に成りはてるのだから……
『不幸だね、本当に』――その言葉は他ならぬ自分の身の上に向けられたものだったわけである。
第三者は――少なくとも、上官系美少女はそのように判断していた。
「……まあ、なににせよ、軟弱な貴様を私がいっぱしの兵に育てあげてやる」
上官系美少女はそのように使命に燃えていた。
いや、主人公がてもとに来る前から、その使命だけがあったのだ。
誰でもいい。
彼女たちが求めていたのは自分たちのストーリーにハマる主人公でしかなく、主人公の人格が不満ならば『訓練』という人格矯正に丁度いいことさえできるキャラクター性があった。
使命は主人公が来る前、彼女の中でくすぶり続け、身を焦がし続ける種火だった。
それが、主人公を当てはめて一気に燃え上がっただけである。
だから――校舎裏。
土の敷かれた地面で、上官系美少女はなにかに座っていた。
彼女の椅子は、白いTシャツを汗まみれにし、ミリタリーパンツに軍靴をはいて、腕立て伏せをする主人公であった。
名前は名乗らないし、知らない。
彼女にとって主人公とは『新兵』に他ならない。
果てのない教練、ムチという名の愛により主人公を叱咤し続けることこそ、彼女の存在意義なのである。
だから――
「……上官殿」
男が口を開く。
訓練中の私語であった。
彼女のパーソナリティ的に、ここは懲罰をあたえるべき場面である。
だというのに――
「なんだ新兵。言いたいことがあるなら一分だけ時間をやろう」
――彼女自身、理解できないことに。
いや、無論、ただの気まぐれだろうが――新兵の雑談に付き合うことにしてしまった。
「訓練はいいんですけど、ご褒美もないんじゃ、やってられませんよ」
彼の言葉。
なぜだろう、よくわからないが――いちいち、彼の言葉は、上官系美少女の心に刺さった。
言ってほしい言葉、というのか。
そうだ、世界観がそろっている――そのフィット感は、彼女が今まで感じたことのない快感であった。
これが、主人公なのか。
彼との何気ない会話は、なぜか、彼女にとって適切であり、楽しい。
だからだろう。
「ひよっこの分際でご褒美とは、ずいぶんいいご身分になったものだな」
「……」
「だが、まあ、いいだろう。貴様の言葉、もっともな部分もないではない。毎日の食事が缶詰だけというのも気が詰まるだろう。明日、外出を許可する。明後日から再び味わう地獄に備えるために、せいぜい外食でもしてくるがいい」
外食。
それははからずも、他コミュニティの美少女のもとへ行け、というような意味をはらんでいた。
美少女に征圧されたこの世界において、労働をしているのは美少女だけだ。
料理人なのかメシマズなのか、あるいは属性こそ異なるが『ファミレス』という共通の背景を持つ者が集った場所なのか、それはわからないが……
外食するということは美少女と会うということ。
石を投げれば美少女に当たると言われるこの世界において、それは常識だった。
そしていくら『先約優位』の不文律があるとはいえ、通常、美少女は他の美少女のもとに自分の主人公を送り出すことを好まない。
NTR警戒もあるし、なによりも、美少女とは『そういうもの』だからだ。
主人公が他のかわいい子と会うことに嫉妬しない者は、もはや美少女の資格がない。
だから。
この余裕は――
「上官殿も一緒にどうですか?」
主人公の言葉。
――そうだ、予感していた。
この流れを、知っている気がするのだ。
ここで、誘われる。
なぜかはわからないが、その確信があった――確信というか、そうしてほしいという願望があって、彼はそれに応えてくれるだろうという、信頼が、あったのだ。
「なんだ貴様、腕立てもまともにできぬ新兵のくせに、私を食事に誘おうなどと、身の程を知らんようだな」
「……」
「――と、言いたいところだが。休暇を与えてやったというのにそれでもなお私に教えを請いたいというのは、上官として褒めてやるところだろう」
「……」
「貴様の誘いに乗ってやる。ただ、まあ、なんだ……」
「……」
「……私は男と二人で出かけた経験が……えっと、あの……ない、のでな……」
「……」
「あ、案内は任せたぞ!」
「はい」
かくして外出デートは約束された。
――なぜだろう、会話が心地いい。
ほしい時にほしい言葉をくれる安心感。
求めた時に求めたものが目の前に転がっているかのような多幸感。
――今、ヒロインをしている。
上官系美少女は思う。
これが主人公を得たヒロインの気分というものなのか、と。
一分はとうに過ぎていたけれど――
彼女はしばし黙って、幸福を噛みしめていた。