第二話 ある放課後
昼休みのあの騒動は、最終的に僕がお叱りを受けることで終了した。
何故僕が責められなければいけないのか、と思わないこともない。しかし、彼女はあの後すぐにどこかへと消えてしまったのだから、仕方がなくもない。納得しがたいが、口に出す勇気はとてもない。
僕を責める教師は何度も「部外者を巻き込むな」「放送を私物化するな」などと繰り返して言った。酷く中身がなかったが、おそらく今回のことを見逃すわけにはいかないが、直接の犯人でもない僕を責めるには気持ちが乗らないのだろう。そう考えておいた。
貴重な放課後の時間を潰してまで行われた説教は誰にも利益をもたらさない。
最終的に。
「次からは三船高校にふさわしい放送を頼むぞ」
と、やはり中身のない締めくくりで終わった。
「なんて、災難な」
説教から解放されて、職員室から自分の教室へと戻っていく。道中、今日のことを思い返してついついつぶやきを漏らしてしまう。
釈然としない気分だ。
とはいえ僕には昼に出会った彼女を探し出して、犯人として突き出すような気力はない。加えて勇気もなかった。
今日のことは忘れて、大人しく帰ろう。
そう心に誓って、教室を目指して登り階段に足をかけた。
その時だった。
「そこの君ー、ちょっと待ってっ」
背後からの声だった。
毛糸で編まれたようなその声は、利き手を穏やかな気分にさせる何かを持っているように感じた。
階段を上りかけていた足を引きもどして、後ろを振り返る。印象の強い声ながら僕の記憶にはない声だったから、声の主に心当たりはない。
そこにいたのは、……一言で言うと柔和な女子生徒だった。
「はじめましてっ」
「は、はじめまして」
柔らかく、それでいて明るい彼女の調子に驚いてしまう。僕はただ相手の言葉を繰り返すことでしか返答できなかった。
「あのですね」
「は、はい」
目の前の彼女はなんだか緊張しているように見える。その影響なのか、持ち前の臆病さが働いたのか僕も似たような気分を感じていた。
彼女の持つ雰囲気に同調するようなふんわりとした茶髪、ややたれ目な瞳と笑顔はさながら癒しの女神のように見える。
僕が彼女の姿を見て、色々と考えていると彼女は意を決したように言葉を出した。
「謝りたいことがあって……銀ちゃんの、ああ銀ちゃんっていうのは、その、えっと」
時間をかけて整理したにしては、支離滅裂な言葉だった。しかし、それを無言で頷けるほどの理解力は僕にはない。
けれども、僕はそうするべきだったと思う。
僕がその言葉を理解できないことで、彼女は余計に焦ったらしい。口からは「うう」「あぁ」などと意味のない言葉が漏れ出し始めていた。
さすがに罪悪感を覚えて、何かしらのフォローを入れるべきか、と考え始めたその時。彼女は言った。
「――――ごめんなさいっ! お昼の放送を邪魔しちゃって、銀ちゃんも逃げちゃったし……本当にごめんなさいっ」
申し訳なさそうにに頭を下げる彼女。彼女に何かをされたわけじゃあないから、大変居心地が悪い。
それにしても、目の前の彼女と……放送室を占拠した女生徒――狛江銀はどんな関係なのだろうか。僕の頭の中は、狛江への怒りよりもその疑問が占めていた。
「気にしないでいいですよ。そんなに困ったことにもなりませんでしたから」
あまり本当のこととは言えないが、こういう時に言うべき言葉はこれだと思う。それに、犯人でも何でもない彼女を責めるのは僕にはできない。
円滑に生きるために僕は言葉を吐く。
「その、狛江さんにも同じことを伝えてください。別に気にしてないから、と」
僕が言外に彼女に会う気がないことを伝える。
彼女を見たとき、僕は彼女の内側から「特別」な何かを見出してしまった。平凡な身である僕にはその輝きは視界に入れたくない類の物だった。
簡単に言えば、姉さんみたいなイケイケ系女子には会いたくなかった。
そうやって僕は適切に応対した。
しかし、目の前の彼女の目線は訝しいものに見える。
「何か?」
「……優しいんだね」
柔らかな……けれど、どこか憐れんでいるような声で彼女は僕にそう言った。その瞳はどこか遠くを眺めているようなもので、とても見ていられるものではなかった。
そして、僕の誤魔化すような言葉が看破されていることに気付く。
彼女はおそらく、僕が職員室から出てくるところを見ていた。もっと言えば、そこを待ち受けていたのだろう。
謝罪するために、僕のことを特定したかったのだ。
職員室の外からでは説教されている人物を特定できないから、もしかしたら用事をつくって職員室内に居座っていたのかもしれない。
「あのね、君のその優しさに見込んで頼むんだけど」
彼女は言う。
「銀ちゃんのこと、手伝ってあげてくれないかな」
ゴミ拾い、それは彼女が放送で言っていたことだ。放課後に2―Cの教室で待っている、そうとも言っていたはず。放課後を迎えてしばらくたっているので、彼女はその教室にいるだろう。
目の前の彼女に見透かされていなければ、断るつもりだった。
しかし、僕は狛江と、その知り合いである目の前の彼女との出会いに少し酔わされていたようだった。
特別な何かが生まれそうな気配を感じてしまった。
絶対に手に入らないはずなのに。
「手伝うことにします。空気を読んでいっているわけじゃなくて、気まぐれですけどね。…………えっと」
「私の名前は御園遥っていうよ。君は?」
「朝露雪道です」
「同級生だから敬語はいいよ。これからよろしくねっ朝露くん!」
先ほどの憐れむような瞳は姿を消して、彼女は笑った。春の陽気のような朗らかで柔らかい人だと僕は思った。