第4話 魔法科 Ⅲ
ロイッシュとの戦いを繰り広げた魔法科校舎入口から続く左側の廊下を黙々と歩いていれば、数分も経たずして重厚そうな扉の前に辿り着く。
壁や天井の神秘的な空間に少し違和感のある木で出来た扉には取ってが付いていなかった。
どうやって開けるのだろう、と思っているとリニメル先生がローブの中から徐に杖を取り出す。
先端に青色の宝玉がついたシンプルだが静かな魅力を感じる杖をそのままコツンッと扉の中心に描かれていた魔法陣に当てると、杖と魔法陣が同じ青色の光を放ち、静かに扉は横に開いた。
「見学についてはもう担当教師に話してあります。私とブラーゼクトは隣の指導室の方で待機しているので、授業が終わり次第こちらに顔を見せて下さい。良いですね?」
「はい」
『はい』
「お前のは聞こえないだろ」
『あ、そっか』
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」
ハルの返事に軽く頷いたリニメル先生はロイッシュを伴い隣の部屋に入っていった。
「行くぞ」
『あ、うん…』
先に教室の中に入っていくハルの後に続いて私も入る。
ファンタジー感溢れる大学の教室という印象を受けた教室の中には二十人程度の生徒が座っていた。席は決まっていないのかハルは真っ直ぐに窓際の一番後ろに腰かけた。
『これが魔法科の授業…』
ハルから一メートルほど離れた隣に腰かけた私は改めて教室を見回した。
教卓側の壁は全て緑色で黒板になっているのか、女性教師が教科書を片手にリニメル先生と同じような杖を黒板に向けて、二回ほどノックする。
接触部分から途端に淡い青白い光が広がったかと思うと、見たことの無い文字や図形が印刷されたように黒板に映し出され、生徒はそれを持参のノートに書き写していた。
(図書室でも思ったけど、日本との違いは魔法があるかないかくらいだよね)
興味深げに見つめていたから気付くのが遅れたが、誰かに見られているような視線を感じ、迷うことなく左を向いた。
『どうかした?』
「っ! 別に…ちゃんと話、聞いとけよ」
『うん、そうだね』
ハッとしたように顔を窓の方に逸らしたハルの仕草に思わず笑ってしまいそうになったけど、授業に集中することにした。
(何と言ってもハルが取り計らってくれた見学のチャンスだもんね!)
再び教卓の方へ視線を戻せば、丁度“魔法の基礎”についての講義が始まった。
「魔法は魔法に強さや意味を与える言葉と《発動呪文》と呼ばれる魔法語、総称は《ルーン》ですが、それを詠唱することで発動できます。例えば―――」
女性教師は教卓の上に教科書を置くとその手に向かい杖を翳した。
「“緩やかな流れ、ウンディーネの涙、その雫を我の手に――――ヴァッサー”」
静かに奏でられたメロディーのように滑らかな呪文が紡がれたかと思うと、女性教師の手に収まるくらいの“雫”が出現した。
『すごい!』
思わず声を上げてしまったが周りの生徒は皆、見慣れているとばかりに静かに女性教師の次の言葉を待っていた。ただ、隣で一人笑いを堪えている人はいたけど。
「先の呪文詠唱の場合“静かな流れ、ウンディーネの涙”で魔法に意味を持たせ、“その雫を我の手に”で強さを決め、発動呪文であるルーンは《ヴァッサー》、これらを組み合わせる事で《魔法》となります。此処で出てきたヴァッサーというルーンは法則で決まっており《水》を表します」
手元の雫を消した女性教師は黒板を一回ノックする。現れたのは四つの図形。
左から炎をイメージしたような図形、水をイメージしたような雫型の図形、風をイメージしたような鳥の羽型の図形、地をイメージしたような岩の図形だ。
「先程の水系統の魔法では《ヴァッサー》、火系統では《フォイヤー》、風系統では《ヴィント》、地系統では《ボーデン》をそれぞれ使います。
発動呪文であるルーンは必ず詠唱の最後に唱え、また組み合わせが別系統のものだと上手く魔法が発動しません」
女性教師はそう言うと先程と同じように自身の手に杖を翳した。
「“静かな流れ、ウンディーネの涙、その雫を我の手に――――フォイヤー”」
次の瞬間、手の中心に浮かび上がった水の雫は輪郭を激しくぼやけさせるように揺れると、パンッと音を立てて弾け飛んだ。
「今のは威力を抑えての事でしたが、このように呪文一つで破裂や暴走の危険があるので絶対に真似はしないように。特にルーンの詠唱を間違えるのはとても危険です。それを忘れずにしてください」
女性教師は何食わぬ顔で念を押すが、最前列の生徒は髪を制服もびしょ濡れだった。
(あれ…謝らないつもりかな?)
気の毒にと思う前に女性教師に対して嫌悪感を覚えた私に隣でボソッと声がした。
「これはルイネーラ先生の授業では当たり前だから、一々気にしてたら持たない」
『え、そうなの?』
思わず顔を向けてしまえばハルはサッと反対方向に顔を逸らした。
(首、痛くないのかな)
ジトッとハルを見つめていれば、顔を逸らしながらも最前列の方を指さしていたので其方に顔を向けてみる。そこではびしょ濡れだった生徒は迷惑そうにしつつも軽々と詠唱無しに魔法を使い、髪や服を乾かしていた。
『ホント、なんか手馴れてるね』
私の呟きに反応することなくハルは教科書に視線を落とす。なので私もルイネーラ先生の授業に意識を戻した。
「こほん。えー…先程の四つの魔法は主軸として《光》と《闇》が存在しています。
光の例として最も多く使われるのは回復魔法、闇の例として最も使われるのは攻撃魔法です。例えば先程見せた二つのヴァッサーの魔法、先に見せた雫の方は光、そして不発してしまった危険な方が闇、というように危険かどうか、それが光か闇かを見抜くのに一番分かりやすい方法と言えましょう。またルーンの中でもフォイヤーとヴィント、つまり火の魔法と風の魔法は光でも攻撃要素を持ち合わせています。」
次にルイネーラ先生が黒板をノックすると太陽と三日月の図形が浮かび上がった。
「光と闇の魔法では効力が強い時間帯が決まっており、光は太陽の出ている昼間、闇の魔法は月が出ている夜が強い力を発することが分かっています。また、逆に光は夜に弱く、闇は昼間に弱くなるということも覚えておいてください。
これにより魔法は太陽と月の何らかの力の影響を受けていると考えられますが、具体的なことはまだハッキリとしていません。皆さんも魔法を学ぶものとして、力の追及なんてことをしてみるのも良いかもしれませんね」
ルイネーラ先生はそう言うと黒板に映し出されていたものを消し、教科書を開き直すと次の講義に移った。
その間も私は他の生徒と同じように知識を得ようと真剣に話に耳を傾けていたけどやっぱり何処か現実味のない話で、物語を読み聞かせられているような感覚だった。
だから他の生徒が驚かないことも凄く驚くし、とてもワクワクしたりもしたけど―――
(此処は別の世界なんだって、改めて思い知らされた感じ……私は魔法が使えないからなぁ)
自然と口に出そうになったその言葉に、胸の辺りがモヤモヤした。
(だって…一度は使ってみたい!)
異世界に来て、しかも生きているか分からないような状態で不安も多い。
でもそれと同じだけいつもの日常では絶対に味わえないようなことをこの世界では出来るかもしれない、そんな好奇心が芽生えていた。
ファンタジーはゲームも漫画や小説も好き。そんな中学生の私にとって此処は夢の世界だ。
説明してもきっと信じられないことが、自分でも聞いたところでからかっているだけだと信じないことが今、目の前で起きている。
(ここが今の私の“現実”…なら、受け入れなきゃいけないし)
片方だけ頬杖をついて教科書を読んでいるハルを横目に見る。
(どうせなら異世界文化を、魔法を学びたいよね)
ハルの使い魔になっても私は“ただの人間”で特別な事と言ったら“幽体”であるということだけ。
(予想的中で、やっぱり私は足手まといになっちゃったし)
さっきのハルの戦いを思い出す。
熱湯の時、ハルは軽々とそれを避けていた。でも最初の苦無の時は扉に苦無が刺さるまで気付いた様子は無かった。
考えられるのは私(嫌いな幽霊)に気を張っていた所為でハルは苦無が飛んできたことに気付かなかったんだ。
(シェルゼさんも言っていたけど、ハルは本当に実力がある。それはさっきの戦いとロイッシュの言葉から分かったし)
初めて魔法を使った戦いというものを見たけど、ハルの動きに無駄なものは無かった。
素人目にでもそう分かるんだから、きっと今わたしが思っているよりも遥かに上回る実力をハルは持っているんだ。
(だったらなおさら……こんな足手まといの私なんかが使い魔じゃ――――)
そこまで考えて首をぶんぶんと横に振る。
(ダメダメ!そういうネガティブなこと考えないようにしようって決めたんだから!)
自分を律するように拳を握り大きく頷く。
(それにロイッシュの攻撃である熱湯の時もそうだけど、最初の苦無もハルは私が攻撃を受けて怒ってくれた。それって私を使い魔として少しは好きという事だし!……でも、あれ?―――ハルの口から足手まといでも構わない…みたいな言葉って聞いてないよね?)
ハルが強引に使い魔の契約した理由は「使い魔がいないと試験を受けられなくて退学」だって後で聞いた。
(それって試験に受かれば私は用無し?)
そこまで考えて血の気が引いていくのが分かった。
(どうしよう…やっぱり私は――――)
「それでは…ハル・ヴァインセッド、次の問いに答えて下さい」
『…!』
「はい」
自分でもしつこいと思うくらいにアレコレ悩んでいるとハルが返事をして立ち上がった。
「太古の昔は精霊の力を借りて魔法を使っていた為、その名残から詠唱に使われる呪文の中には畏敬の念を込め、必ず精霊の名が使われています。そして――――」
ルイネーラ先生の問いにつらつらと教科書の内容を話すかのように答えるハルの姿につい視線を送ってしまう。
先程まで見せていた不機嫌そうな不愛想な顔はなく、優等生のように真面目で真剣な横顔につい同一人物か疑いそうになる。
「ありがとうございます、ヴァインセッド。とても良い回答でした」
ルイネーラ先生は満足そうに頷くとハルに座るように促した。
ハルは静かに腰を下ろそうとして、不意に私へと顔を向けてきた。自然と視線が絡み合う。
「……。」
(ん?また口パク?――――えっ)
座りながら口元を動かして声にならない言葉を紡ぐハル。その内容を理解しようと凝視していた私は、ハルの紡いだ少し長めの言葉に目を丸くするしかなかった。
(“これからの一年、授業中にずっと百面相してるつもりか? 俺の使い魔になったんだからちゃんと魔法を学べよな、バカ”……って)
目を丸くして固まる私を見ながら、ハルは無表情のまま舌を出していた。
私がいつものように反論するのを待っているようなその姿は癇に障るもので、強く言い返してやろうと思った。
『私、ハルの使い魔で居ていいの?』
でも口から出た言葉は対極のものだった。ハルも驚愕のあまり舌を出したまま固まった。が、すぐに小さく噴き出す。
「なるほど、さっきの戦いでやっぱり自分は足手まといだから使い魔は辞めた方が良いと思ってアレコレ悩んでたんだろ?」
(バレてる…)
どう返せばいいのか分からず言葉を詰まらせているとハルは小さく笑みを浮かべた。
「そこまで言うならしょうがないな。お前が元の世界に帰るまでの間、使い魔として色々と扱き使ってやるよ」
『私は何も言ってな――――』
「だから、もっと気楽に考えればいい。」
『っ…!』
「誰だって全ての物事を上手くこなせる訳じゃない。
上級クラスの魔法を使う奴だって元々は何も知らない無知な人間だ。此処で学ぶことによって初めて魔法を使えた奴だっている。
だったらもっと気楽に、今の自分が出来ることをすれば良いんじゃないのか?」
ハルの言葉がストンと胸に落ちる。
瞬間、悩んでいたことがなんだか馬鹿らしくなってしまい、気付けば苦い笑みを浮かべていた。
『そう、だよね。…あはは、ハルに気づかされるとは思わなかった』
「ふん…馬鹿は馬鹿らしくしとけば良いんだよ」
『ば、馬鹿って何よ!』
「それに俺が使い魔として選んだ時点でお前には期待してないっての」
『はあ!?』
すぐさま耳を塞ぎ授業に意識を戻したハルに私は赤くなった頬を隠すようにそっぽを向く。―――心の中で「ありがとう」と呟きながら。
* * * *
「これにて授業を終わりにします」
ルイネーラ先生の言葉と同時に綺麗な鐘の音が響き、生徒たちは立ち上がると教室を出て行く人や残る人など様々な行動を取ったが、その顔には等しく解放感が滲んでいた。
「さて、と…行きたくはないがリニメル先生の所に行くか」
ハルはそう言うと大きく伸びをしながら立ち上がり、教室を出て行こうとする。その後に私も続いて教室を出ようとしたのだが、パタパタと足音を響かせて近づいて来る人影に気付き動きを止めた。
(女の子?)
私よりも少し小柄な銀髪の少女。銀髪というだけで可憐な印象を受けるがまさにその通りの美少女は、ロイッシュと同じ黒のローブ姿だった。
今更だが此処は学院なので制服は同じデザインだが、羽織る物で学科が分かるような仕組みになっているようだ。
ハルたち魔法剣士科は白いマント、ロイッシュたち魔法科は黒のローブ。剣士科と創製技術科の生徒とはまだ出会えていないので分からないが、目の前の少女はどうやら魔法科の生徒らしい。
「ハルちゃん!」
(え―――ハル…ちゃん!?)
私が動きを止めた事よりもその呼び名に反応してか、前を歩いていたハルはギョッとしたように後ろを振り返ると目を丸くした。
「え、なんで――――」
「っ~~! ハルちゃーんっ!!」
銀髪美少女は紫水晶の瞳でハルの姿を捉えると、周りの視線など気にした様子もなく勢いよく抱きついた。
「お、おい、シュネリア! 離れろよ!」
「えへへ、ハルちゃん!」
嬉しそうに頬ずりするシュネリアと呼ばれた少女と、口では抗議するも満更でもないような顔で頬を赤らめるハルと、状況に付いていけない私含め周りの生徒達。
とりあえず言いたいのは――――
(その子、誰!?)
そんな私の胸中の叫びはまだマシな方だ。
周りの、特に魔法科の男子生徒からは「教室でイチャつくなよ」という怒気の混じった冷たくも射抜くような視線がハルに向けれらていたのだから。
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