第4話 使い魔の契約
運が良いのか、悪いのか。私の体は宙に浮く島に当たり、空へと昇っていくのを止めた。
けれど涙は溢れ止まる事を知らない。
『ふっ…うう…お母さんっ』
先月亡くなったばかりの母。
私が小学生の頃から、度々体調を崩しては入退院を繰り返していた。けれど入院している時も家にいる時もいつも笑顔で苦しそうな姿なんて一度だって見せたことが無かった。
だから重い病気なんだと父から聞かされた時も「何とかなる」、「お母さんなら大丈夫だよね」なんて根拠のない自信から、私は“あの日”一成くんたちと遊びに出かけた。
―――「体調が良くなったから退院したんだから母さんは大丈夫!子供は外で元気に遊ぶものよ?」
いつものように退院した次の日。
そう言った母はやはり笑っていた。私は無邪気に笑みを返し「行ってきます!」と家を出た。
それに「いってらっしゃい、気を付けてね」と笑顔で手を振って見送ってくれた母が――――私の中に残る母の最期の姿だった。
遊んでから帰ってきた私に、母は「おかえり」とは言ってくれなかった。
『ふぅっ…うああぁ…』
涙が雨のように地面に向かう。
―――こんな雨よりもっと強い雨音が響く家の中で、母は亡くなっていた。
「今日は早く帰ってきたんだ。」そう言う父は私からは背中しか見えない。けれど握りしめる手は握り返さない冷たい手を放すものかと示すように強く、強く握られていた。
いつも優しく時に厳しい父の震える手と背がとても小さく見えた。私が近づくと父は言う。
「冬華。母さん…笑ってるな」
震える声は涙の所為なのか。でも、口元は笑っている父の言葉にベッドで横たわる母を見た。
そこには、出かけた時と同じ笑みを浮かべた優しげな表情の母がいた。
―――これで…死んでいるというのだろうか。
眠っているだけだと言われた方が納得がいく。
父の握る手はもう二度と握り返しはしない。けれど父と一緒にその手を握る。とても冷たい、母の手を。――――
『お父さん…っ!』
あの後「これからは父と二人で生きていこう」と二人で強く誓い合ったのを思い出す。
父さんは私を護り、私もまた父さんを護ろうと決意していたのに。
(お父さんを独りにしてしまった…っ)
最愛の人の死をやっと受け入れられてきたところに、娘の死を知ったなら…。
もし自分が同じ立場ならば心をが壊れ、何も考えられない人形のようになってしまうだろう。けれどそれは今の私も同じだ。
『お父さんっ…ごめ、なさいっ…。一緒に、いたいよ…っ』
走馬灯というのは死ぬ直前に見るのだという。
けれど私は今、思い出を振り返るように父や一成、麗奈や比奈や信也くんの顔や、皆で出かけた場所や他愛無いやり取りをぼやける視界いっぱいに見つめる。
『うう…っ。あああああー!!』
まるで子供の様だと自分でも思う。
だけどこんなのは理屈じゃないんだと。心の内を叫び出すことでしか、今の自分には出来ないという無力感と愛しい人たちに二度と会えないという絶望。
(どうして…どうして…!!)
死んでしまったのだろう。
(一成くんに嫌な態度とっちゃったこと謝ってない、麗奈と信也くんが付き合ったことにおめでとうって言ってない、ひーちゃんに借りてた小説も返してないよ。…それから)
『父さん、と…母さんと……旅行に行こうってやくそ、く…っ!!』
そこからは、また全てが嗚咽に変わった。
悲しくて、悲しくて…泣きたかった。誰かに―――もしくは父さんや一成くん達にこの声が届くことを願ってかもしれない。
「これだから幽霊は嫌いなんだ」
その時だった。
私の泣き声を遮るように少年の声が響いた。
風に揺れる桜色の髪と白いマントと共に、彼は両腕を腰に当てると宙に立っていた。
『貴方に…何が分かるのよ!!』
「ひっ。」
思わず声を荒げてしまえば、目の前に立った少年は怯えたように悲鳴を上げた。
『死んだ人の気持ちなんて…誰にも分からないわ!特に貴方みたいな無神経で幽霊嫌いな人には!』
「は、はんっ…こっちから願い下げだ。幽霊の気持ちなんて分かってたまるか!」
未だに怯えたような表情はしていたが、少年は眉を吊り上げると私に向かって人差し指を突き出した。
「だいたい、大声で泣き叫ぶとか女として恥じらいがなさ過ぎるんじゃないか、この大声女!」
『ご心配なく!私はもう死んでいる身らしいので、この声を聞く人はいないから平気なんです。そんなことも分からないの?バカ!』
「なっ…!!」
言い争いに発展するかと思い身構えていた私は、ふと目の前の少年が先程までの怯えた表情を消し、真剣な眼差しを私に向けている事に気付いた。
「俺は…確かに幽霊が嫌いだ。あいつらは何処へでもすり抜けては突然現れて悪戯する。けれどそれを見る者はいなく、俺が奇異の目で何度見られた事か」
突然なにを言い出すのかと訝しげな視線を向けるも、少年は続けた。
「だから自分勝手な幽霊は嫌いだ。けれど、それも幽霊なりに寂しくてやっていたことなんだと気付かされた。だから俺は…別に幽霊になってしまった奴を罵ったり不快に思ったりはしていない。勿論、お前の事もだ」
『え…』
「幽霊といっても元は同じ人間で死後、未練があるからとこの世に留まってしまった魂だ。だから…幽霊を責める気はない」
少年は目を反らすことなく言い切った。それはもう、誇らしげにだ。
だから私はジト目で返した。
『でも、わたしには凄く最低な態度を取っていなかった?』
「う、それは……ごにょごにょ。」
『え?』
「だから!……最初はどの幽霊相手にも“ああいう”態度になってしまうんだよ」
恥ずかしげ(何故かは知らないが)に顔を逸らした少年は再度視線を私に戻すと表情を真剣なものへと戻した。
「でも…お前の声、俺にはちゃんと“届いた”からさ」
『っ!!!』
一番聞きたかった言葉だったのかもしれない。
だって届けと叫んでいたんだから。それを聞いてくれた人がいたんだよ。
私の目からはさっきまでとは違う涙が溢れた。
『なんで、そんなこと…今さら優しくしたってっ』
―――私は死んでしまっているんだよ?
「俺は今までにあった幽霊は忘れようとしても忘れられない。それは俺が抱える昔の…ト、トラウマが原因だからだ。でも、お前は今まで会った幽霊とは何かが違うと思ったんだ」
『具体的には?』
「へ!?…えっと。さっきまではいつもと同じように煩いなって思ってたけど、お前の気持ちが流れ込んできて…その、なんかほっとけないとか初めて思って…って、何言わせんだよ!」
タジタジになる少年に私は気づけばフッと笑みを零していた。
先程までの絶望の闇に染められた心の中に、一筋の光が差した…そんな気がした。
(なんだ。以外に良い人だったんじゃない)
失礼な物言いだとは思ったが、彼の最初の言動や行動を思い浮かべればお互い様だろうと思う事にした。
「なあ。」
『うん?』
少し気分が晴れやかになった私を見つめていた少年は一気に距離を縮めた。
その距離僅か数センチ。虹色に輝く瞳が私を捉える。
初めて間近で見る少年の顔はあどけなさが残るも、美少年と評しても良いほどの美形さんだった。
「もしさ――――自分がまだ死んでいないって知ったらお前ならどうする?」
何を言っているのだろう。
少年の言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。徐々に目を見開いて行く私に、少年は淡々と続けた。
「元の人間に戻るために行動を起こすか。それとも今の状態を受け入れて死ぬまでの時間をこのまま何もしないで過ごすか。…それが“君”に与えられた選択肢だ」
まるで他の誰かの台詞を話すかのような少年に私の頭の中はぐちゃぐちゃに混乱する。
けれど言われている事だけは分かった。だから私は選択する。
『死んでいないというのなら、私は生きたい!だから“元の姿に戻るために行動する”!!』
私の声は空気を震わせ学園中に響いた。
そんな錯覚をするほど、自分でも不思議だったが大きな声を出した。
「なら決まりだ。お前は今日から俺の“使い魔”だ」
満足そうに笑う少年に、つい首を傾げてしまった。
『今、なんて?』
「だから、使い魔だよ。」
『えっと??』
聞き慣れない言葉という事もあったが、どんどん顔を寄せてくる少年に私の思考は定まらない。
「元に戻るために行動するんだろう?だから俺の使い魔になって、今年の冬に行われる『魔法剣大会』で力を合わせて優勝する!それが目標だ!」
瞳に力と輝きを宿した少年に今度は私がタジタジになる。
『ちょっと待って!それに優勝するとどうなるっていうの?それと、私があなたの使い魔になるなんて話はじめて聞いたけど――――』
「そういえば、名前を聞いてなかったな」
(さっき良い人だとか言ったけど、やっぱり最悪よこの人!)
自分勝手に話しを進める少年に苛立ちながらも答える。
『…水瀬冬華』
「ミナセフユカ?…何処までが名前だ??」
『水瀬が名字で冬華が名前よ!』
少し切れ気味に言えば、少年は気にした様子もなく私の名前を何度も呟きつつ頷いていた。
「分かった。俺の名前はハル・ヴァインセッドだ。じゃ、契約に移るぞ」
『ちょ、ちょっと!まだ説明が…!!?』
海岸での姿や先程までの彼怯えっぷりの方が可愛いものだったなと現実逃避をするしかない私とは反対に、少年・ハルは私から少し距離を取ると何やら呪文を唱え始めた。
すると私とハルの足元に虹色の魔法陣が広がり、光の帯が私たちを包むように円柱型に広がった。
「“春の加護を受け、日だまりの優しさ、澄み切った空を駆ける風、舞い踊る花たちの歌声に祝福されし剣を扱う者――名をハル・ヴァインセッド”」
ハルの呪文に魔法陣から伸びた光の糸が、ハルの右手に絡みつく。
「“此処に使い魔との契約を行う。我と契約せし者の名はフユカ・ミナセ”」
次に私の名を呼ばれるとハルの右手に絡みついた糸と同じような糸が私の右手にも絡みついた。
(暖かい…)
ふわりと巻き付いた糸は暖かく、花のような香りが鼻をくすぐった。
「“魔を共有し、我は彼の者を護り、彼の者は我を護り、共に信念の為に行動することを誓う”」
ハルはそう言い終えると魔法陣の中を動き、私と距離を縮めた。
「さ、先に謝っとく。ごめん。けど…恨まないでくれよ」
『え――――』
顔を赤らめたハルはそう言うと顔の角度を変え、私の顔に自分の顔を近づけた。
その刹那――――温かなものが唇に触れ、目を閉じたハルの鼻先が私の鼻先に当たる。背には宙に浮く島の岩肌が当たり、首元に回されたハルの手が熱を持っていた。
そこで初めて…キスをされていることに気付いた。
『!!!?』
驚きのあまり目を見張ったまま固まっていると、ハルが唇を離した。
その瞬間、魔法陣はパンッと音を立て弾け、ハルと私の右手には互いを結ぶように存在した虹色の糸は音もなく空に溶けていった。
「これで……契約完了だから」
茹蛸のように真っ赤な顔をしたハルに私も遅れて顔をが火照ってきた為、絶叫した。
『ええええーーー!!!?』
私の絶叫は、学園中に響いただろう。けれどその声を聞くことの出来るのは此処にいるハルと他数名だけなのだった。
――――「お?契約成功だね!」
空を見上げ、嬉しそうにするのは学園長であり冬華とハルの契約を仕組んだ張本人であるシェルゼだ。
その隣では悪戯が成功した子供を見守るように苦笑するリヴィグがいた。
「本当に契約できるとは…その幽霊の少女とはいったい何者なのですか?」
「う~ん…。僕にも分からないよ?」
疑問形で応えるもその表情は何もかもを知っているようにリヴィグには見えた。
「危険はないのでしょうか?」
「大丈夫だよ。彼女はきっと、ハル君の良い使い魔になるよ」
「随分と自身がおありなのですね」
リヴィグではない男性の声に、シェルゼは振り返る。
そこに居たのは白衣に手を突っ込んだまま歩くリヒトと緊張した面持ちのアインスだった。
「初めからあの子が此処に入るよう仕向けたのですか?ハルと…契約させるために」
「どうかな~?僕にだって分からないことは沢山あるよ?」
おちゃらけた態度のシェルゼにリヒトとリヴィグは溜め息を吐くが、学園長のそんな姿を初めて見たアインスは瞬きを繰り返していた。
「ふふ、でもこれから楽しくなるのは間違いないね!」
楽しそうに空を見上げるシェルゼに続き、皆が同じように空を見上げた。
そこにはハルと薄っすらとだが姿の見える少女が言い争いをしている光景があった。
「これからハルとあの子は大変だな」
「そうですね…。シェルゼ様の無理難題な思い付きに振り回されないといいのですが」
「それは……無理だな」
「ですね」
リヒトとリヴィグは苦笑を浮かべると、遠い空に浮かぶ二人に思いを馳せた。
ただ一人、冬華の姿が未だに見えないアインスだけは親友が使い魔と契約できたことに安堵の笑みを浮かべていたのだった。
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