第2話 知りたくなかった。
「おーい!ハルー?」
すっかり怯えきった顔でヤドカリ擬きの影に隠れた少年を見つめていると、背後の崖…正確にはその上の森林の方からまたも少年の声が聞こえてきた。
「ハルー!…っと。おー、いたいた!」
崖の上からちょこんと見えたのは茶色の何か。それはすぐに引っ込むと、次の瞬間迷いなく崖下、つまり私の側に落ちてきた。
『えぇー!?』
───ドスンッ!!
凄まじい衝撃音と砂煙が上がる。
「着地成功!」
煙が消え現れたのは先程の失礼な少年と同じ格好をした茶髪の少年だった。
(着地成功って…あの高さから落ちて痛くないの!?)
そもそも無傷だということに驚きを隠せなかった。
しかし少年は親指を立て、白い歯を見せるように笑っていた。だがヤドカリ擬きの側を離れようとしない少年を見つけると驚いた表情を浮かべた。
「ハル?どうしたんだそんなに怯えて…。てか、それお前が倒したのか?スゲーな!!」
「……。」
ころころと表情の変わる少年に対し、ハルと呼ばれた少年はジーッと私から視線を反らすことはなかった。
(な、何でそんなに見てるの…?)
どうしていいか分からず私も見つめ返していると、元気な少年がハルをヤドカリ擬きの側から引き離す。
「ていうか、もうすぐ次の授業始まるぞ。今さっき課外授業は終了したからな、次は各自の教室で授業だってさ。
お前、確か一緒のだろ?先生がお前見つけて連れて来いってしつこくてよー…。そんで他の奴らは先に行きやがってよ…たくっ、俺は保護者かって!なあ、ハルもそう思うだろ?」
「……え、あ、いや」
「だいたい師匠もさ、俺達が幼馴染みだからっていつも何でも一纏めにしとけば良いって考えじゃん?
ハルにも俺にも他に友達いるって言ってんのにあのジーさん…」
ペラペラと話が止まない少年と、その少年に引きずられながらも冬華から視線を外さず黙り込んだままのハル。
(…話長っ!ていうか私のことは無視!?)
少年は崖の上に登ろうとしているのか、再び私の前までやってきた。
しかし一向に私に気付くことはなく、視線も一度も合わなかった。
『あの!無視しないで下さいよ!』
とりあえず声を掛けてみる。
「つーか、ハルもう自分で歩けよな。腕痛くなってきた…」
(また無視かい!!)
肩を回しながら「あ~、凝った凝った」とおじさん臭い言葉を言いながら歩いていく少年に対し、怒りが爆発しそうになった時。今まで黙っていたハルが口を開いた。
「やっぱり、そうだ。」
『…え?』
あっという間の出来事に私は目を見開き固まった。
目の前に突きつけられたのは先程ヤドカリ擬きに刺さっていた銀の剣。その剣先が私の顔から数センチと距離が無く、ヤドカリ擬きの血だと思われる紫色の液体がポタポタと垂れていく。
「ちょ、どうしたんだよ、ハル。そんな“何もない所”に剣なんか向けて…」
(え…)
驚いたような少年の言葉に私は剣を向けるハルという少年を見上げた。そこには冷たく氷のような瞳をした彼が私をしっかりと見つめていた。
反らすことなく、彼の視線こそが剣のように私を刺す。
「初めに言っておく、理由は聞かない。いや、聞きたくもない。
俺が言うことはただ一つだ───二度と俺の前に現れぬよう…“成仏”しろ。」
『は…?』
何を言われているのだろう。
とても真剣に、反らすことすら許されぬような視線を向けられていたはずなのに。
彼の口から出た言葉に、私は剣を向けられていることすら忘れ唖然としてしまう。
(成仏…?こんな時に何の冗談を言ってるの?!)
先程まで感じていた恐怖は彼に対しての怒りに変わり、私は気が付けば立ち上がりハルの顔前に迫っていた。
『何なのよ!いきなり物騒な物を突きつけたかと思えば…“成仏しろ”ですって?
からかわないで!!』
「ひぃっ!!?」
だが、ハルは私が顔を近づけた途端青ざめると短く悲鳴を上げ跳びずさると剣を構えた。
「ちち、近づくな!」
睨みつけてくるハルだったが、そこに先程の冷徹な視線のような気迫は微塵も感じられなかった。
しかしそんな彼の反応をずっと静観していたもう一人の少年は、何やら合点がいったように手を打つと腰の鞘から剣を引き抜いた。
「此処…かなっ!!」
『え───』
次の瞬間、私は自分の目を疑った。
少年は瞬きする間も与えぬ程の素早さで私との間合いを詰めると、手にしていた剣を何の迷いもなく私に突き刺したのだ。
自分から見えるのは深く胸元…心臓のある位置に深く突き刺さる銀色の刀身で、私は無意識に息を止めてしまった。
―――けれど驚いたのはその後だった。
『痛く…ない?それどころか、血もでないなんて!?』
私が自分の身体を凝視していれば、剣を刺した少年はそのままの体制で後ろにいるハルに声をかけた。
「ほーら、ハル!お前のだいっっきらいな幽霊は俺が倒してやったぞ!」
『は?』
「え…」
少年が剣を刺した事でハルは随分と後ろの方に下がっていた。
そんな彼が縋るような目で少年を見つめていれば、少年はそっと私に顔を近づけ囁いた。
「いきなりすみません。アイツはハル、俺はアインス。取りあえずハルに気付かれないように俺達の後を付いて来てもらえませんか?
見えるのはハルと先生だけだし、アナタもきっと自分の置かれている状況が分かっていないのかなと思いますので。」
『あ…うん。あ…いえ、はい。』
取りあえず頷いておけば、アインスは剣を私から引き抜いた。
それすらも痛みはなく、傷跡すら無かった。
「ハル!学園に戻るぞ!」
「わ、分かったよ…アイン」
アインスの言葉にハルは頷くと私を一瞥し、スタスタと歩き出してしまった。
その態度にカチンッとくるも、アインスが焦点の合っていない視線の合図を送ってきたので私も数メートル間をあけて付いていくことにした。
(ハルって子は失礼だけど、アインス君は良い子そうだったな。
それに彼の言うとおり、何も状況が分からない以上、他に頼れる相手もいないし…付いていくだけ付いていこうかな)
飛び出している崖を避けるように海岸を進んでいくと、森林に繋がっていた。その入口には崖の上へと繋がる坂があり、彼らはそこを上っていた。
垂直とも言える崖の壁を登るのはさすがに無理だと思っていたので、坂がある事に少しほっとした。
坂を上り終えるとまた森林が続いていた。そこを迷いなくずんずんとまっすぐ同じ方向に進んで行く彼等に付いて歩いて行くと、やがて見えてきたのは海岸から少しだけその姿を見たあの『城』だった。
遠目からでは城らしきものだということしか分からなかったが、近づいてみるとやはりそれは『城』という建物だった。
鮮やかな海色の屋根と白い石壁が基調の塔が幾つか並び、連絡通路のような場所は透き通るようなガラス張り。学校のように四、五階建ての学び舎も青と白の二色だった。
庭には手入れの行き届いた芝や暖色のレンガや敷石が並び、憩いの場として噴水やベンチが設置されていたりと全体的に『水』を連想させる清潔感と清涼感のある場所だった。
(う、そ…)
洋風の城なんてものを見慣れていないからというのもあったが、私が驚いたのはそれだけでは無い。
城の周りに宙に浮く島が幾つもあるのだ。
中には上に家が建っている島や、樹の生えたもの。大きな島には湖があり水が止めどなく下に広がる庭の水路に流れ、小さな滝を作り虹まで浮かんでいた。
(これ、何…夢でも見てるの?)
城の周りにはアインスやハルと同じ制服を着ている男女が入り乱れ、中には魔法使いのように黒のローブと尖がり帽子を被った生徒までいた。
一つ同じ事があるとするならば、それは皆、浮いている島などを不思議に思っていないことだった。
受け入れている…というよりはこれが「日常だ」と言わんばかりの態度だった。
「よし、着いたな!」
城や周りの景色に圧倒されていれば、いつの間にか城の敷地の入口に佇む大きな門へと歩いて行くアインス達に気付き慌てて追いかけた。
「ハル、お前は先に師匠の教室に行っててくれ」
「?…アインは?」
アインスの言葉に訝しげな視線を向けるハル。アインスは少し引きつった笑みを浮かべると人差し指を立て、城のとある場所を指した。
「お、俺はリヒト先生の所に用事があるからさ!」
「……病気も怪我も今まで一度もしたことないアインがなんで“保険医”のリヒト医師の所に行くんだ?」
益々訝しむハルの視線に耐えかねたアインスはバッと視線を逸らし側の茂みを今度は指さし、大きな声を上げた。
「あー!こんな所にも幽霊が!」
「ぎゃああああああー!!?」
その瞬間、ハルは目にも留まらぬ速さで森林と城の敷地を隔てる城壁に沿って植えられた木や垣根を突っ切り、城の方へと姿を消していった。
「ふう、危なかったぜ…ハルに隠し事は出来ねえからな。…さてと、先程の幽霊さ~ん?付いて来てますか?」
ハルが姿を消した方角を見つめていたアインスは、そう言いながらきょろきょろと森林の方に視線を向けていた。
ハルのいた間は木陰に身を隠していたが、既に私はアインスの隣に移動していた。けれど彼は私が見えていないのか全く見当違いな所に視線を向けていた。
(本当にどうなってるんだろう…?私の姿が見えていないってことなのかな?…でもそれだけなら、さっきの剣の事の説明がつかないよね。……それに、幽霊って言ってたし)
未だウロウロとしているアインスを尻目に考え込んでいれば、城の門番らしき甲冑に身を包んだ男性が腰の剣をカチャカチャと音を立てつつ駆け寄ってきた。
「魔法剣士科・中級ⅢクラスA、アインス・シュトランク。こんな所で何をしている、課外授業の為の生徒外出許可時間は過ぎているはずだが?」
「すみません、ガンゼラさん!今すぐ戻ります!」
アインスが綺麗に腰を折るとガンゼラと呼ばれた門番は仕方ないなとため息を吐くと、一足先に門の側にある小さな小屋の方へと戻っていた。
「えっと、多分ここにいるはずですよね。少し中に入りますけど“それ専門”の人を連れてすぐに戻ってくるので、この門の前で待っていてください!」
『あ!ちょっと!?』
私とは真逆の方に手を振りつつアインスはそれだけ言い残すと大きな門を潜り、城の方へと駆けていった。何もすることが出来す、ただ茫然と彼の後姿を見つめていた私は…とりあえず言われた通りに待つことにした。
そして――――数分も経たずして、アインスは一人の男性を連れて約束通り戻って来た。
男性は見た目二十代後半で癖のある黒髪と黒縁眼鏡で、よれよれの白シャツと黒のズボン、足元は左右の違うサンダルを履き、上には同じく皺だらけの白衣を羽織っていた。
(この人が…保険医?)
ハルとアインスの話を側で聞いていたから彼が保険医のリヒト先生だという事は何となく察しがついた。
「それで、先生。…やっぱりそうっすか?」
「……。」
私と彼らの間には門がある。
先程アインスが此処に現れる前に始業のチャイムだと思われる低音の金の音が三回程鳴ったのだ。すると門番の二人組が両開きの門を閉めた。
初めは閉まる前に中に入ろうかとも思ったが、不法侵入で捕まるのもアインス達に迷惑がかかるかもと思い大人しく側の木陰に座っていた。
そんな門を隔てた向こう側から、リヒト先生は眼鏡を度々押し上げ、私の事をじぃーと見つめてきた。
(な、何か…すっごく居心地悪いんですけど)
反らすこともできなければ、身動きすることすら憚られる先生の視線にじっと我慢していればリヒト先生は深く息を吐くと視線を逸らした。
つられるようにして私も息を吐けば、リヒト先生は徐に白衣のポケットに手を突っ込み中から白い手袋を取り出した。
どこからどう見ても普通の手袋だったので、同じように不思議そうな視線を向けていたアインスと共に私も手袋を凝視する。先生はそんな視線に構うことなく両手にそれをはめると、次の瞬間――――
『っ!?』
リヒト先生は門の鉄格子の間から手を出すと、そのまま私の胸倉を掴み自分の方へと引き寄せた。
突然の事に驚き目を閉じることも忘れた私は、迫りくる鉄格子に激しい痛みを予想した。だがその予想は外れ、私の体は鉄格子を“すり抜け”、リヒト先生の前に立った。
「間違いなく、君は“幽霊”だ。」
『え……』
眼前に迫る眼鏡の奥で光るエメラルドの瞳に射貫かれ、私は呆然と目の前の男性を見つめることしか出来ない。
「アインスが連れてきたから…ってわけじゃないな。………ハル、だな」
数センチしかない距離でリヒト先生は視線だけを隣にいるアインスに向ければ、アインスは肯定するように首を縦に振った。
『あの…っ』
胸倉を掴まれ少し苦しさを感じリヒト先生の腕を軽く叩けば、先生は視線を私に戻しもっと顔を近づけてきた。
男性と此処まで密着したことがないことも確かだが、それよりも近くで見た先生の端正な顔立ちに頬を朱に染めていれば、リヒト先生は口角を上げるような笑みを浮かべ、そっと囁いた。
「いきなり掴んで悪かったな、放してやるよ。だが――――“飛んで”いくなよ?」
『へ…?』
その時は分からなかった。けれど先生が手を放した瞬間、その言葉の意味が分かった。
『え…?…ええ!?』
私の身体は先生の手から離れると、まるで子供の手から離れた風船のようにゆっくりと空に舞い上がってしまった。
ふわふわと宙に浮く感覚もなく、只々自分の意志とは関係なく体は空へと昇っていく。
『ちょ…やっ…ヤダ!?なんで!?』
遠ざかっていくアインスとリヒト先生と近づいてくる大きな浮遊島。
交互に上と下を見ることしか出来ない私の側に、地面を蹴って跳びあがったリヒト先生が舞い上がった風船の紐を掴むように私の手を取ると地面まで戻って行ってくれた。
「自覚がないようだったからな。少々荒療治だったが、効き目はあったな」
『いきなり何をするんですか!空をと…飛ぶ、なんて!』
「俺に説教か?今も俺に手を取って貰っていないと何処までも飛んで行ってしまうようなお前が、か?」
高圧的な態度で見上げてくるリヒト先生に、私はカチンッとくるも正論なので言い返せなかった。
『だいたい此処は何処なんですか?!いきなり巨大なヤドカリは襲ってくるし、声が聞こえない人はいるし、剣はすり抜けるし、空は飛ぶし!』
一気に多くの情報が脳に送られたことで、私は半狂乱に陥っていたのかもしれない。もしくは、答えを分かっていてその答えを認めたくなかったからかもしれない。
――――だから、所々にあったヒントもあえて見送っていたのかもしれない。
だけど、リヒト先生は躊躇なく“その言葉”を言った。
「それは全部お前が…幽体だからだよ。つまり君は…“死んだ人間”ということだ」
『――――っ!!!』
息を呑んだ。ううん、本当は呑んだ風に思っただけかもしれない。
知りたくなかった答え。それは――――「自分が死んでいるという事」だ。
『嘘よ…っ、うそ…うそっ…嘘よ!!!』
「嘘じゃない。現実を受け止めろ。」
リヒト先生は容赦がなかった。
それでもきっとそれは正論なんだと頭では理解していた。けれど、心は強く拒絶した。
『…違う、よ。……絶対に違うっ!!』
「おいっ!?」
込み上げる感情を放出するように私はありったけの力で先生の手から逃れた。その瞬間、体は浮かび上がったがすぐに先生に腕を掴まれ彼は声を荒げた。
「死んだ理由がどうであれ、今のこの状態を受け入れろ!お前はもう“死者”なんだ、生者とは違う存在だ!」
『私は…っ、自分で命を絶った訳じゃない!!』
「っ――――」
一瞬、リヒト先生の動きが止まった。
それは私の言葉に反応したからだったように見えたが、今は何より先生の手から逃れたいと強く思った私はもう一度先生の手から腕を引き抜いた。
どんどんと浮かび上がる身体とは対照的に遠ざかる先生とアインス。けれど先生は追いかけて来なかった。
『私…っ。』
真下に広がる景色が歪み、頬を涙が伝った。
『死んじゃったの…?』
ポタポタと零れる涙は雨のように地面の方へと落ちていく。
『うぅ…っ!』
幽霊でも涙は出るものなのだろうか。そんな疑問を考える余裕すらなく、私は息を吸い込むと大きな声で泣いた。
『っ―――――――――!!!』
けれどそれすらも誰の耳に届くことが無いと知って涙はもっと勢いを増し、私は何も考える事が出来ず、ただ只管に泣き続けた。
誰かに『この声が届いて欲しい』と願いながら。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
誤字脱字などありましたら、お知らせください。